第二夜「魔法つかい、斎月くおん」(アバン)

 前回起こったこと、まとめ。

 高校生・御剣昴一郎こういちろうは、夜の町中でわけのわからないいやな生き物に襲われていたところを、推定12、3歳の、変身する女の子に助けてもらいました。


 そして現在のところは…と、いうと。

「…あ、あのっ!」

 ―ぶんっ!

 風をつんざく音が、耳元を通り過ぎてゆく。

「…あの、あのですね、斎月さいづきさんっ?」

 ―ぶんっ!

 一定のリズムでやってくる浮遊感と、凄まじい速度で流れさって行く周囲の景色。

「…何でしょうか?」

 小学生の女の子に抱きかかえられて、間隙を飛び跳ねながら、屋上伝いにビルからビルへと走り抜ける。

 なかなかに、新鮮な体験ではある。

「あの……喋っていると……舌を……噛みますよ……?」

 さして大柄ではなく、体質上肉が付きにくくはあるもののそれなりに重いであろう男子高校生ひとり抱えたまま、風のように駆けながら、ついさっき知り合ったばかりの魔法少女――斎月さんは涼しい顔でそんなことを言う。

 ―ぶんっ!

 再びやってくる浮遊感。思わず声をあげて叫んでしまう。

「す、ストップ、ストップ!」

「――んっ!」

 彼女の履いているローファーが摩擦音を立てて、急制動がかかった。

 ぼくの体が前方に放り出されそうになるのを、両手でしっかりと抱えて抑えると、

「…どうか、しましたか?御剣さん」

 と、斎月さんは問いかけた。

「気分がすぐれませんか?胸が痛みますか?」

 口調も表情も、クールで淡々としたものだけど、何となく、彼女がいたく心配しているというのが伝わってくる。

 まあ、無理もないかなとは思う。

 つい数分前まで、ぼくは彼女の目の前で盛大に血を流し、下腹部に大きな穴をあけて、虫の息となって死にかけていたのだから。

 とはいえ、そうなるに至る過程と直接の原因は、ほとんどぼくが自分で招いたことであるわけなので、それが理由でこの女の子に心配かけているのというのも心苦しいところなのだが。

「いや、痛みはもう、それほどないんですが…」

「そうですか」

 そして、その腹部を中心に、胸の方まで深々抉られていたはずの傷だが、――どういうわけか、いつの間にやらふさがっていた。

 まったく自分の置かれている状況にさっぱり理解が及んでいないのだが、そんな状態のまま「急いでここから離れます」と告げた彼女によって抱きかかえられ、そのまま階段をかけ上って屋上へと出ると、先ほどまでのように、高速道路を上限速度いっぱいで走るような速度でビルの谷間を移動し始め。――現在へと至る。

 まったく、ローファーのままであの速度で走っているということが、もうその時点で彼女が何か常人とは異なる存在であるのだと如実に示している。

 今のところぼくに判っているのは、彼女が何者かと戦っていることと、ぼくがその戦いに巻き込まれ、危険な状態にあるらしいこと。

 そして、少なくとも今のところは彼女がぼくの味方であり、ぼくを助けるつもりでいてくれるらしいということ。その程度だ。

「戸惑われるのは分かりますが、あんな風に叫ばれては心配します」

「スこししズカにしていタマエ!やかまシイゾ!」

 冷静な口調で、むしろ諭すように言う斎月さんと対照的に、彼女に劣らぬスピードで羽ばたいて並走していたびゃくやが、相変わらず合成音声じみた奇妙な声ではあるものの、人間の言葉でぼくをそう叱りつけた。

「…いや、でも、少しだけスピードを落としてもらえると…」

 体を折り曲げて抱え上げられ、不安定で身動きできない状態のまま、高速で走り回られるのは結構スリリングなのである。

「贅沢ヲ言っテイられる場合だとデモ思っていルノかネ?君に合ワセていたら日付が変わッテシまうよ!」

「びゃくや、御剣さんの気持ちも考えて!」

「…フン。大体君たちはわザワざ金を払ってまデコう言う思いをしたガルではないか」

 そんなことまで知っているのかこの白カラス。

 小学生女児による抱っこ状態での全力疾走と絶叫マシーンははかなり性質が違っていると思うのだが。

「あと…あの…少しこの体勢が…恥ずかしいといいますか…」

 というかこの状況、向かいや両となりのビルからは丸見えではないのだろうか。

 してみると、今朝方聞いた与太話はそれほど与太話ではなかったのか。

「それは大丈夫です。まだ〝鳥籠〟が残っていますから」

 斎月さんはこともなげにそう答える。

 そう言えば、さっきも聞いたな、その単語。

「…だから…ふつうの人には、わたしたちの姿は見えませんよ」

 〝鳥籠〟というのがなんだかよくわからないが、どうもそういうものであるらしい。

 まったく何から何まで、ぼくには理解が追い付かないことばかりではあるけど。

 彼女が、自分は魔法つかいだと名乗って、実際に、そうなのだと言われたら納得するしかないようなものを、目の当たりにしてここにいる。

 が、不思議なことに、実をいうと現在それほどの恐怖は感じていない。

 触れている場所から伝わってくる彼女の鼓動とか、掌の確かな体温とか、風が当たって冷たいでしょう、と言って手渡してくれた上衣から漂ってくる香りとか、そういうもののおかげなのかもしれない。

 何にせよ、ぼくは随分と恵まれているのだろう。

 こんな幼い女の子に救ってもらって、「護る」とか「助ける」とか約束してもらって、18にもなる男としては恥ずかしく思わないでもないが、実際、彼女の落ち着き払った表情や口調や、言葉の選び方。そういうものに、かなり救われている。多分。

 それだって、彼女ができる限りぼくの不安を拭おうと気を使ってくれているおかげだ。

 まだあどけなく見えるけど、魔法つかいなんて存在である点を考慮すると、案外この子も見た目通りの年ではないのかもしれない。

 そんなことを思いながら、ぼくが無言でいたのを、問題は解決したと受け取ったか、

「すみませんが、少し急ぎます」

 斎月さんはそういって、僕の体を支えなおした。

「急ぐって?…もしかして、さっきみたいなやつ?」

 脳裏に、斎月さんが戦闘中に見せていた、一瞬にしてその場から消えたようにしか見えない動きがよみがえる。

「コード・ラクシャス」とたしか叫んでいたか。

 あんな速度で立体的に動かれたら、それだけでぼくは粉々になるのではないだろうか。

「…いえ、さすがにあんな風には動きませんが」

「ですよね?」

「あの加速状態で引きズリ回すノハ攻撃手段だ、なアくおん」

「びゃくや」

 心臓に悪いことを言ってくれる相棒を窘めるように言うと、

「今は、一刻も早くあなたを安全な場所に連れて行かないといけませんから」

 と、斎月さんは付け加えた。

「…安全な場所?」

 それはつまり、今この場所は、安全な場所ではないということなのか。

「さっきのあいつ、斎月さんが倒した…んですよね?もしかしてまだ…「敵」…みたいなのがいるんですか?だったら…」

「すみません」

 一度言葉にすると、際限なく吹き上がってしまう。疑問とか不安とか。

 しかし、斎月さんはぼくの言葉を遮るように、固い口調で先んじると、

「わたしたちは、その問いに、あなたの疑問に対する答えを全部持っていますが、今はそれを説明することよりも、この場から移動することの方が、優先順位は上になります」

 彼女らしい冷静な口調で、そう告げた。

 そういわれては、ぼくは黙るしかなくて、口をつぐむ。

 それを見ると、斎月さんは少し考えるように間をおいてから

「でも、不安に思う気持ちは、わたしにもわかります」

 と、言った。

「…では、しっかりとわたしにつかまっていて下さい」

「一応、掴まってますけど…」

「そうじゃなくて…ほら、ちゃんと、わたしの首に、両手を回して」

「…はい」

 本当にいいのかなと思いつつ、言われたとおりに従ってみる。

 肩口をつかんでいた両手を動かし、斎月さんの首に回す。

 慎ましやかなサイズのバストに触れてしまわないよう、一応気は使った。

「…んっ…」

 斎月さんはそれを確認すると、自分の両手で、さっきまでよりも強く、しっかりと僕の体を抱きしめた。

「…えっ…?」

 …うわー?うわー?

 斎月さんの顔が、近い。

 艶やかできれいな髪が、ぼくの顔に掛かる。

 息のかかりそうなほどの近くに彼女の白い頬があって、これほどの至近で見ても染みの一つない絹のようであるのがはっきりとわかる。

 二つの瞳は黒真珠をはめ込んだようで、唇はほころんだ花のつぼみのようで。

 さっきまでと違う意味で、彼女が何を考えてるのか判らない!

 当惑するぼくを、両手で強く抱きかかえ、肩のあたりにぼくの顔が半分埋まるような位置で安定させると、

「…こういう風にすれば…多少は人の気持ちを安定させることができるのだと…聞いています。少しでも、不安が消えればと思うのですが…どうでしょうか?」

 斎月さんは、そう言った。

「あ……はい……」

 ぎこちなくそう頷いてみる。

 ……ああ、そうですよね、そういう目的ですよね?

「……ね?」

 そして、それは多分ぼくを少しでも安心させるために、そう振る舞ってくれているのだろうと、想像ができてしまうようなぎこちない物ではあったけど。――斎月さんは、口の端をあげて、ぼくに向けて笑顔を見せた。

 それだけでどこか、落ち着かない、いやな感じが少しづつ治まってゆく。

「では、行きますね、…なるべく振動や衝撃を与えないよう、努力します」

 そういうと、斎月さんは再び走りだし、速度を上げていく。

 不安や疑念も、今は感じない。

 ……ええと、人間の生理として、顔に柔らかなものが当たっていると、感情の安定を得られるというものであるらしいし、人間の体温や心臓の鼓動もそれに類する効果を持っているというものであるらしいから、それはけして、人からとやかく言われるようなものではないはずだった。

 ――そして、こうも思う。

 こうしてまだ生きていられるだけでも御の字なのである。と。

 今のところは、ぼくを助けると言った彼女を信じて、任せるしかない。

 一度は、彼女になら殺されても構わないとすら、ぼくは思ったのだから。

「――んっ!」

 そんな風に考えていた時、再び制動がかかる。不意に、斎月さんが足を止めていた。

「…どウシた、くおん…?」

「斎月さん?」

「――あ」

 彼女は、大きな瞳を見開いて、空を見上げていた。

「……月が」

 短く、ぽつりと呟いて、彼女はそれきり、口をつぐむ。

 彼女を、それから彼女の見上げる空に、目を向けた。

 そうか、今夜は、満月だったのか。

 空の、まだそう高くはない位置。

 白とも、銀色とも表現できる色の、大きな鏡のように、真円の満月が輝いていた。

 月の光を浴びて立つ彼女は、きれいだった。

「…えっと…斎月さん、月が好きなんですか?」

 ふとそう思い問いかけたけど、彼女からの答えはなくて。

「…斎月さん?」

 再度の呼びかけに、彼女は我に返ったように、空を仰ぐのをやめて。

「いいえ」

 と、答えた。

「――嫌いです」

 続けてそう呟いた、その横顔は、どこか、ひどく寂しそうなものに見えた。

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