第20話 歯ごたえ

 「やっぱ冷麺だよね。この麺の歯ごたえ。最高。いい店知ってるじゃん玲央くん。」

 「ご満足いただけたようで何よりです」

 「冷麺は好き嫌い分かれるって言うけど、これを嫌いっていう人の気持ちわからないなぁ」


 嫌いな奴は嫌いだろ、そう言いたいのをぐっとこらえた


 「そうだよな。冷麺は最高だよ。」

 「嫌いな人って麺がゴムみたいで噛めないとか言うんだよね」

 「冷やし中華みたいなノリで食べるとびっくりするだろうな」

 「これに慣れちゃうとこれじゃないと物足りないよねぇ」


 種市はご満悦だ。


 「ねぇ、玲央くんは東大以外の大学に行こうと思ったことあるの。」

 「面白そうだなと思う大学はいくつかあるけれど、行こうとは思わないな。」

 「なんで?」


 たわいもない会話から、いきなりエッジの利いた問いかけだ。


 「なんというか、東大以外の大学目指すのが考えられなかった。」

 「だからそれがなんでだって聞いてるの。」

 「自分が東大目指すのやめたらどうなるのか想像もつかないから。」

 「うーん。」


 種市は不服そうだ。満足のいく回答ではなかったらしい。


 「玲央くんにとって東大目指すことはアイデンティティなんだね。」


 いつか下宿のみんなと話したことをピタリと言い当てられた。自分が東大を目指さなくなったら、何が残るのだろうか。東大を目指すことで、今の自分を維持しているという感覚。周りから「東大志望」として受け入れられてる事実。自分自身そのものではなく、自分の「東大を目指している人間」という属性に目が向けられているような感覚。東大に入って周りを見返すというより、東大を目指して今、周りに一目置かれている。自分自身が、「東大に向けて頑張っている」という属性、看板、レッテルにすがっているようなイメージ。東大に入ってから得られるものよりも、いま東大を目指すことで手にしているものの方に意識が行っている。


 「ねぇ、せりかのこと、どう思ってるの?」

 「どうって…」

 「正直どうよ。好きなの?」

 「まさか。……おばあちゃんのような存在を救いたい、みたいな使命で医学部目指してるの、すごいなって思う。」

 「すごいよね。あれ。」

 「自分にもああやって胸張って言えるような、大学を目指す理由があればって思う。」

 「なるほどね。」


 種市は不敵に笑う。


 「玲央くんは大学出たら何して働くの。」

 「考えたこともないな。」

 「玲央くんは東大目指してることに意味を見出してるんだよね。」

 「まぁ…そういうことになるのかな。」

 「もしそうだとしたら、なんで志望、一番難しい理科三類じゃないの。」


 理科三類というのは主に医学部に行くコースだ。東大の中でも抜群に難しい。だが、自分がそこではなく文科一類を目指しているのには理由があった。


 「高2になる直前の3月に、震災があっただろ。」

 「うん。」

 「あのとき、自分が政治家とか官僚になって、ゆくゆくは総理大臣になって、日本を立て直そうと思ったんだ。」

 「それで文科一類行って法学部目指してるんだ。」

 「そうだな。」

 「でも、今は政治家になる気はないの。」

 「そこまでな。」

 「周りからチヤホヤされて満足しちゃった?」


 種市は核心を突いてくる。


 「あ、図星って顔だ。」

 「うるさいな。」

 「で、その後のことはなんとなくわかるよ。東大に落ちて、誰も口きいてくれなくなったんでしょ。で、負け犬のまま終われない、みたいな理由でそのまま東大目指してて、そんな自分をこうして拾ってくれる人がいるから、応援してくれる人がいるから、東大以外に目を向けられないで、ここまで来たんでしょ。」

 「なんでそこまで分かるんだよ。」

 「全部顔に書いてある。」

 「はぁ…」

 「どうせ総理大臣目指すとか言うのも、周りにチヤホヤされたくて口走っただけでしょ。少なくとも最初は。」

 「あぁ…」

 「…これ以上傷口えぐるの、なんだかかわいそうだからやめとくね。」 

 「なんだよかわいそうって…」

 「いやぁかわいそうだよ玲央くんの話聞いてると。自分の人生生きてないんだもん。周りに生きさせてもらってるかんじ。で、周りが飽きたり、期待を裏切られたと思ったらポイってされるだけの存在。それが玲央くんだよ。」

 「そこまでいうか。」

 「そこまでいうよ。…今君が死んでも、一週間くらいすれば、玲央くんに期待かけてた人たちもすっかり玲央くんのこと忘れて、新しい『おもちゃ』見つけてるよ。」

 「『おもちゃ』って…」

 「現にたった今、私に『おもちゃ』にされてるでしょ。ちょっと強引にリードしてあげれば、簡単に言うこと聞くんだもん。…多分その気になれば私のこと好きにさせられるよ。なんてね。」

 「まるで心理学者だな。」

 「いやいや。玲央くんの心動かすのくらい誰だってできるよ。色んな人に思いのままに動かされて、ここまで来たような人の心なんて誰でも簡単に動かせるよ。」


 ぐぅの音も出なかった。


 「せりかに憧れてるのも、せりかが明白な理由があって医学部目指してるからでしょ。…その明白な理由ってのもおばあちゃんだから、結局本質は玲央くんと変わらないような気がするけど。」

 「せりかと一緒にしたらせりかに失礼だろ。」

 「……東大実戦、絶対勝つから。」


 街を歩いてから帰ると言うので、店を出てすぐに解散した。決戦の日はすぐそこまで迫っていた。

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