第19話 女心と夏の空
夏期講習でせりかと授業が同じなのは英語だけだった。今日は午前中に地理と数学の2コマが連続で入っていた。1コマ80分なので、全部で3時間ほど種市と2人きりである。地理は種市に負ける気が全くしないが、数学はすでに負けている気がする。種市は自分が先に解けると調子に乗って煽ってくる。さすがに負けたくない思いが沸いてくる。
午前の2コマで今日の授業はすべて終わりだ。昼飯をどうしようかと迷っているところ、種市が話しかけてくる。
「ねぇ、冷麺でも食べに行かない?」
特に断る理由もなかった。
「あぁ、いいよ。」
「やった!『三千里』でいい?」
「いやぁ、『やまなか家』が…」
「はい、『三千里』で決まりだね!」
ノリが強引なのはせりかと一緒だ。いや、せりかより遠慮がない。何はともあれ炎天下の街へと繰り出すこととなった。正直、知らない店だというのを飲み込んで。
「いやぁ、学校のクーラー全然利いてないよね~、どうにかしてほしいんだけど」
「俺に言われてもなぁ…」
「別に玲央くんにどうにかしてほしいわけじゃないし」
「なんだよそれ」
「こういうときは黙って話を聞いてればいいの!」
「そうかいそうかい」
「女の子の扱いを知らないなぁ…せりかも大変そう」
「なんでせりかが大変なんだよ」
「こんな玲央くんのお守り良くするよねぇ」
「何がお守りだ」
女心というものはわからない。センター試験に出題されないのが幸いだ。そう思いつつも、ふと気になることがあった。
「種市ってせりかとどういう関係なんだ?」
「幼稚園のころからの友達だよ。せりかから聞いてない?」
「聞いてないな。」
「まぁ話す理由もないか。せりかにも。」
「そうかもな。」
「玲央くんの話はよ~く聞いてるよ。」
「何を話してるんだいったい」
「それは乙女の秘密ってや~つ」
「誰が乙女だ」
「失礼だなぁ、玲央くんの分際で。」
会話をキャッチボールに例えることがあるが、種市との会話はキャッチボールどころか、地獄の千本ノックをやらされているようなものだった。
クロステラスの前を過ぎ、歩道橋を渡る。小学校の校庭からちょうどノックの音が聞こえる。ちびっこ野球も大変だ。
「ついたよ、三千里。…あれ?やってない」
「ディナー営業しかやってないんじゃないか?」
「土曜日ならやまなか家やってるし、そっち行こうぜ」
「しょうがないなぁ、玲央くんの言うこと黙って聞きますか」
大通りのアーケード。日陰はこの天気ではありがたい。そのアーケードの角を曲がり、MOSSビルを横目に、店に入っていく。
「冷麺ふたつ、あとカルビ」
勝手に種市が注文するが、いちいち突っ込むのも面倒だ。まあ当たり障りない内容なので別にいいのだが。
「なんか、東大対策って楽しいね。」
「そうか?」
「簡単な問題で満点取らなきゃ!っていうより、難しい問題から頑張って点取らなきゃ!っていう試験の方が楽しいもん。」
「なるほどな。」
「あの世界史の第一問なんか、最高だよね。500字くらい自分で書き上げるやつ。ただ問題解いてるだけなのに、なんだか自分で世界を創造しているみたいでさ。」
世界史が苦手なだけに、なにもコメントできなかった。
「おっ、ちゃんと私の話黙って聞いてくれるじゃん。さすがに学習能力高いね~」
「こんな感じで話聞いてりゃいいのか?」
「そうそう。女は話を聞いてほしい生き物だからね~」
「それって種市だけじゃないのか?」
「少なくともせりかもそうだよ。というかせりかなんて私以上に話したがりだからね。ちゃんと話聞いてあげなよ?」
「わかったよ。」
カルビが先にやってくる。当然のごとく、種市が手早く肉を網の上に広げる。
「私も玲央くんと東大行こうかな。」
「種市って本当に獣医になる気ないんだな。」
「うん。あまり目立ちたくないから東大志望にしなかったんだけど、やっぱり東大対策面白いし。受験勉強極めるんだったら東大だよね。…どうせここだと成績さらされて目立っちゃうし。どうせ目立つなら東大行っちゃおうって思うの。」
「なるほどな。」
「それに、玲央くん面白いし。同じ大学行くのもいいかなって。」
「なんだそれ。」
「大学目指すきっかけなんてそんなもんでしょ。…普段の難関大英語来てる葛西君が名古屋大目指している理由もアイドルと野球選手の追っかけだし。」
「そうなのか。」
「自習室の野球のポスター、あれ勝手に葛西君が貼ったんだよ。で、葛西君いつもあのポスターの前で勉強してるでしょ。」
「あの谷繁のポスターか。」
「あんまり一生懸命だから先生も黙認してるんだよ。みんなあの席近づかないでしょ。もう葛西君の指定席になっちゃってるし。」
「そうなのか。」
「みんながみんな、せりかみたいに信念あって大学選んでるわけじゃないよ。」
そうこうしていると、冷麺がやってきた。
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