第17話 肴町にて

 夏期講習期間はいつもより授業のコマ数が少ない。今日は朝イチの英語の授業だけだった。受講者は自分のほかにはせりかと種市だけという空間がどうも居づらく、さっさと立ち去りたい気分だった。

 授業が終わると、せりかは医学部志望者向けの数学の授業があるようで、別の教室に向かった。種市に一緒に自習していかないかと言われたが、地理の村井に質問があるからと足早に教室を去った。


 朝は涼しく、教室内は冷房が利いていたため感じる事はなかったが、外に出ると夏本番だということを思い知らされた。時折吹くそよ風が癒しだった。とりあえず、いつもの川沿いの遊歩道を歩く。

 開運橋のあたりまで歩いたところで、なんとなく階段を上って遊歩道を出る。五差路の前に立ち、大型ディスプレイをぼーっと見つめる。午前11時という中途半端な時間。それでも、地元よりはずっと人が歩いている。ふっと、ここではないどこかに行きたくなる。所持金は2000円程度。電車で何駅か行って帰るくらいはできるだろう。あるいは、郊外のショッピングモールにでも行くか。とくにあてもないが、どこかに行きたくて、盛岡駅の方へと開運橋を渡った。北上川の向こうには今日も岩手山が青空に映えていた。

 駅に着いた。とりあえず、外は暑いので建物の中に入る。駅ビルの地下で抹茶ソフトを食べる。お茶屋の作る抹茶ソフトは、茶の味がしっかりして美味だった。

 さて、どこに行こうか。どの路線に乗ろうと、行ったことのない場所だ。情報がない。ただ、買い物ができるほどに金があるわけでもない。駅をうろつきながら考えることにした。

 駅を歩いていると、駅前の駐輪場でレンタサイクルをやっているという情報をつかんだ。200円で一日借りれるらしい。自転車で風を浴びながらというのもいいだろう。そう思い、来た道を戻り、駐輪場に向かった。


 帳簿を書き、代金を払い、鍵を受け取る。自転車はそこそこ使い込まれたママチャリだった。とはいえ、風を感じながらの移動は気持ちが良い。

 街中を適当に流していると、赤レンガの建物が見えてきた。駐輪場でもらった観光案内によると、明治時代の建築だということだ。国の重要文化財らしい。

 近くの商店街の中に、東山堂の肴町本店があるという。東山堂と言えば、下宿の前の材木町商店街に支店がある。たまに帰りに寄るが、こじんまりとした書店の雰囲気というのは言葉にできない良さがある。浪人なんてしていると、こうして気分転換していても勉強のことを考えざるを得ない。自転車を置けそうなところに置き、肴町の商店街に向かう。


 アーケードを歩く。地元にも商店街のアーケードはあるが、シャッターが並ぶばかりである。肴町商店街はそれを思うとかなりにぎわっていた。アーケードのまん中に洋服のワゴンが置かれている。夏物のセールらしい。材木町商店街もそうだが、地域住民に愛される商店街というものは、居心地が良い。

 目的の東山堂に着く。本店を名乗るだけあって、支店の倍くらいの規模はある。それでも大通りの大型書店にはかなうべくもないが、参考書の品ぞろえは健闘していた。数でこそ大幅に遅れを取っているが、マイナーな参考書もあり、担当者のこだわりを感じる。そして何より、いつもは行かない書店で本を探すというのはなかなかに楽しい。数学の薄いテキストを見つけ、東大実戦までにこなせそうと思い、購入して帰ることにした。


 昼過ぎとなり、小腹が空いた。財布の中身は、銀行に行かずともぎりぎりじゃじゃ麺は食べられる、そういった具合だった。ちょうどじゃじゃ麺の店を見つけたものだから、食べて帰ることにした。

 いつもと違う場所で、さほどいつもと変わらないことをしたわけだが、それがなかなかの気分転換となった。知ってる人間にはまず出会わないだろうという安心感。手作り感のある暖かい商店街。そこにひとふり、未知の場所を歩くというスパイシーな感覚。それほど遠くに行かずとも、普段の生活のなかに非日常の彩りを添えられることを知れたのは、幸せなことなのかもしれない。


 その後また適当に自転車で盛岡を駆けた。盛岡天満宮に立ち寄り、東大実戦の願掛けをしたところで、自転車を返しに駐輪場に戻った。その頃には、早く学習に戻りたいという心持ちに戻っていた。

 

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