第3話

オープンから3ヶ月経つ頃から様子がおかしくなってきた。年が明けると物量が一気に増え、倉庫に入り切らなくなった商品が、室外に並べられるようになった。日が暮れて暗くなる頃にフォークリフトの運転手がやってきて、中に入れる算段になっていた。フォークマンは倉庫の会社の人だった。名前は浜田と言って、よく日焼けしてがっちりした体型だった。大村さんは、色白だった。私は浜田さんとほとんど関わりがなかったから知らなかったが、あるとき大村さんが真顔で

「浜田さんは絶対童貞だ。間違いないです。フォークのタンクの下には、エロ本が隠してあるはずです」

と言ってきた。それから数日すると今度は

「浜田は童貞ではなかった。結婚しているらしいです。息子は野球部だ」

と非常にがっかりした様子で、報告してきた。私はどう反応していいのかわからないので、

「大村さんは、結婚しているんですか?」

と話をそらした。娘が2人いるとのことだった。保育課の高校に通う姉の方は底抜けに頭が悪い、と教えてくれた。消費税の計算もまともにできないらしい。対して小学生の妹は、勉強熱心でクラスの人気者であり、毎年クラス委員をしているらしい。

「クラス委員なんて、進んでやる人間がいるとは思わなかった。とても自分の子とは思えないです」

「でも、大村さんだって、現場のリーダーじゃないですか」

「リーダーなんて、やらずに済むならやりたくなかったです」

「じゃあなんで、引き受けたんですか」

「頭のおかしい先輩がひとりいて、万が一その人がリーダーになったら冗談じゃないと思ったから」

「なんですか、それ」

それからその頭のおかしい先輩の話になった。筋金入りのクレーマーで、文句が言えるなら、市役所でも教育委員会でも、どこにでも電話をかけるらしい。会社の上空を飛ぶヘリコプターの音がうるさいからと、自衛隊にクレームを入れたこともあったそうだ。


その頃には私と大村さんは、だいぶ打ち解けていた。私たちは、いつも休憩室で話をしていた。大村さんも煙草は吸わなかった。他にも吸わない人がいたはずだが、休憩室には我々しか来なかった。


商品が倉庫に入らなくなったのは、物量が増えたせいではなく、今までここから逃がしていた静岡の外部倉庫がパンクして、受け入れ先がなくなったせいだった。入荷量に対して、洗浄数が追いつかない状況が続いているらしい。それは我々が仕事に慣れていないせいもあったが、そもそもとして、作業者の数が足りないためだった。すでにオープン時のスタッフも、何人か辞めている。追加募集をかけても集まりが悪いので、人数の穴埋めは、派遣社員で行われるように。でっぷりと太った男の営業が、3人のスタッフを連れて見学にやってきた。見るからに裕福そうで、人身売買で身を立てているように見えた。3人のうちの中年の女性は、周りと打ち解けたが、残りの若い2人は、すぐに辞めてしまった。男の方は明らかにやる気0で、さらに私にやたらと馴れ馴れしい口をきいてきた。

「よくこんな汚いの、触れるね」

「もっと他にいい仕事あるよ? 若いんだし」

「こんなきつくて汚い仕事、ベトナム人とかフィリピン人がやるんんじゃない? 普通」

彼自身は、YouTubeのゲーム実況で身を立てたいと言っていた。格闘ゲームの腕は相当らしいが、私はゲームの名前も、彼の言う凄腕ゲーマーの名前もまったくわからなかった。夜通しゲームをするから、昼間は眠くて仕方がないとのことだ。当然仕事ぶりは悪かった。


「タチバナ君、ちょっと大村さんに言ってよ。あいつ、本当に酷いよ」

同じチームのパートの長橋さんに言われて、私は大村さんに相談することにした。大村さんは笑いながら話を聞いた。

「ていうか、あいつ、いつも白いトレーナー着てるけど、汚れとか気にしないんかなあ」

「『時給分以上は働くなんて、馬鹿みたいだ』て言ってました。周りにも悪影響出そうです」

「そっか。でも、それは一理ありますね」

「え?」

「一生懸命やるのって馬鹿みたいじゃないですか。そうやって、利用されちゃう人を今までたくさん見てきました」

大村さんは、遠くを見ながらそう言い放った。言われてみればそんな気もするが、およそ大村さんには似つかわしくない言葉に聞こえた。大村さんが誰よりも献身的に動いていることは、誰の目から見ても明らかだった。噂だと、土曜日も隠れて出勤しているらしい。

「そんなこと、パートさんの前で言わない方がいいんじゃないですか」

大村さんが私を見た。一瞬だが、目つきが鋭くなった。

「そうですね。でも、本音では『仕事なんて、適当にやってくれ。手を抜いてくれ』て言いたいです」

「そんなこと言ったら」

「大変なことになっちゃいますね。でも、みんなの一生懸命さに期待をしちゃうのは、なんか違うって言うか、とにかく情けないです」

大村さんは「情けない」と言いながら寂しそうな笑みを浮かべた。

「ていうか、じゃあ自分は手抜きしていいんですか? ダラダラと仕事しても?」

「結果で判断しますよ。タチバナさんよりできる人いたら代わってもらうだけです」

「じゃあ、おんなじじゃないですか!」

私が抗議すると、大村さんは愉快そうに大声で笑った。声が1オクターブ高くなるのが、大村さんが爆笑するときの特徴だった。大村さんは、実によく笑う人だった。逆に怒っているところは見たことがない。パートの中には「大村さんは優しすぎる」と批判的な人もいたが、私はその方がずっといいと思っていた。以前の会社のときは上司は常に威圧的で、周囲も気を張っていなければならなかった。精神を病んでしまう同僚も何人かいた。

「タチバナさん、利用されちゃ駄目ですからね。死ぬ思いでやったって、馬鹿を見るだけですよ。熱くならないのが肝心です」

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