第2話

月が変わると、社員の数が増えた。埼玉県T市にある工場は、関東にある3つの工場がひとつになってできたところだった。社員とは、それらのどこかに勤めていた人たちで、つまり私よりも先輩で、業務についてはベテランだった。大村さんも元は埼玉工場の現場リーダーで、我々の指導のために、一足早くこちらに来ていたのだ。元の埼玉工場はK市にあって、ここからは車で2時間くらいのところにあった。大村さんはその近くに住んでいて、毎日2時間かけて通っている。


新しい社員の中に、埼玉工場の人はひとりもいなかった。大村さんの部下は、移転が決まったときに、みんな辞めてしまったそうだ。会社都合で退職金も多く出たので、みんな喜んで辞めていったらしい。他から来た社員は、みんな大村さんよりも社歴が長かった。そのため、朝の社員ミーティングは以前と雰囲気がすっかり変わってしまった。

「神奈川ではAという洗剤を使ってました。これがないと仕事になんないです」

平然と大村さんに意見をいう人も出てきた。大村さんはそれに対して言い返さず、ニコニコしながらそれに従っていた。


社員の増加に伴い、商品の量も増えてきた。オープンしてから3週間が経ち、私は一通りの作業はやったつもりになっていたが、それは全体のほんの一部でしかないことがわかった。見たことのない商品がどんどん流れてくる。しかし、明らかに社員の数が足りないため、じっくり教えてもらえることは少なく、要点を伝えられるだけだった。大村さんもやることが増えたようで、わからないことをきいても、調べると言ったきり放置されるようになった。話かけると、そのとき手に持っていた書類をその辺に置き忘れてしまい、後から青い顔をして探しに来るのだった。色んなところでそれをやらかすようで、しばらくするとパートたちから

「大村さんは3歩進むと聞いたこと忘れる。ニワトリみたい」

と軽口を叩かれるようになった。それでも大村さんはさも愉快そうに、

「じゃあ帽子をやめてトサカでもかぶりましょう。それなら目立つしね」

と返していた。


大村さんのおかげで、業務の忙しさに比べて職場内の雰囲気は明るかったが、古参の社員のほうは、だいぶストレスを溜めているようだった。

「いくらなんでも汚すぎる。これじゃお客さんに出せないです」

社員のうちの半分は、私たちが洗浄した商品の梱包を引き受けていたが、そのときの状態が、かなり悪いようだった。最初のうち大村さんは、注意しておきます、と言っていたが、一向に改善されないので、社員たちもミーティングで大村さんに詰め寄るようになった。大村さんは特にひどい物を分けておくように指示し、1テナー分たまると、翌朝の全体朝礼で、作業者全員にそれを見せた。大村さんは私たちを叱るわけでもなく、ただ「注意してください」と言った。それから、各班の社員が、定期的に梱包担当のところに問題がないか、様子を聞きに行くことになった。ベッドの梱包担当は町田さんという人で、町田さんはとにかく話が長かった。

「完成写真をさ、用意するといいよ。ここまでキレイにする見本になるしね。それをパートに見せてやれば、もっと良くなると思うよ。レンタルだからさ、新品と同じにすればいいってもんじゃないよ。適当なところで出さないと、こっちが損しちゃうからね」

言っていることはもっともだが、「ここまで」とか「適当なところ」の塩梅が、私にはまったくわからなかった。私の方から町田さんに、洗浄品の出来映えを見せ、

「これくらいの傷はOKですか?」

ときいてもはっきりとした返事をせず、しまいには

「タチバナ君がいいと思うんなら、いいんじゃない?」

と元も子もないことを言われた。私としてはお手上げだった。私の様子を見て、班のパートも萎縮しているようだった。少し前から取り始めた生産量の数字も、ここ数日は落ちてきてしまっている。


「ベッドチーム、まとまってきたんじゃないですか?」

ある日の休憩のとき、大村さんに声をかけられた。相変わらず他の人は煙草を吸いに喫煙所に行き、休憩室にいるのは私だけだった。大村さんは休憩室に新しいイスを運んできたところだった。

「そう見えます?」

「どうだろ?」大村さんは笑った。「中島さんが『タチバナ君、一生懸命やってるよ』て教えてくれたから」

中島さんは強面の社員だったが、気さくでよく話しかけてくれた。

「でも、自分なんか、全然役に立ってないですよ。品質も、数も、イマイチだし」

「うーん。まあそれは、ちゃんと教えられてないこっちの責任もあるし」

「町田さんにも随分迷惑かけちゃってるし」

「町田さんの言うことは、あんまし真に受けない方がいいよ」

「え?」

「あの人基本、口だけみたいだから」

「だけど、ベテランじゃないですか」

「まあそうだけど。でもさ、タチバナさん、本当はみんな横一線なんだよ」

「どういうことですか?」

「町田さんにしろ松本さんにしろ、タチバナさんよりも10年も20年も長くやってるけど、それはプレーヤーとしてなんだよ。人に教えてリードする仕事は、彼らもやったことがない。ここに来て初めてだから、君らと一緒なんだよ」

「とてもそうは思えませんが」

「まあ今はね」

大村さんは時計をちらっと見た。休憩時間はもうすぐ終わるが、大村さんは構わず話を続けた。

「だけど、洗浄の技術なんて、3ヶ月もしたら身についちゃうよ。そうしたら、差がくっきり出てくるから。それにね」

「それに?」

「実は元いた社員の方が、大変なんだよ。彼らは今までの自分のやり方を捨てて、俺のやり方に合わせなければならないから。俺からしたら、最初から自分のやり方しか知らないタチバナさんや、古賀さんの方がずっと扱いやすいもの」

「そういうものなんですかね」

わかるような、わからないような話だった。もっともな話にも聞こえたが、大村さんが、私を元気づけようとしてわざと話しているようにも感じた。

「それじゃあ、結局K市の人たちとやるのがいちばん良かったってことですか?」

「それはそれで、やりづらかったかもしれないけどね。あそことここは、全然違うし。そもそも、彼らは俺のやり方が気に入らなくて辞めたんだし」

大村さんは時計を見る振りをして、私から目をそらした。休憩時間はとっくに終わっていたので、私は急いで作業場に戻った。

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