大村さんについて
fktack
第1話
「タチバナさんは、もうすぐ死ぬ人間というのを、見たことがありますか?」
あるとき大村さんにきかれた。私はとっさに祖父のことを思い浮かべた。祖父は一昨年に死んだ。膵臓ガンで、進行とともに痴呆が進み、途中から私のこともわからなくなった。死ぬ一週間前には意識を失い、小便が出なくなり、病室内が独特の臭いに包まれた。祖父のことを言うと、大村さんは口許に笑みを浮かべながら、首を振った。
「そうじゃないんです。病気とか、そういうんじゃなくて」
「事故とか?」
「いえ、自殺です」
どうしてそんな話になったのか、今となっては思い出せない。そのとき大村さんは半袖を着ていて、珍しいな、と思ったのをおぼえている。大村さんは寒がりで、5月になってもずっと上着を羽織っていた。下手すると真夏でも作業場では、長袖を着ている。大村さんはいつもの穏やかな口ぶりで、突然「自殺」なんて言い出すから、ぎょっとした。つまり大村さんは、自殺する直前の人間を見たと言うのだ。
「死相、てことですか」
「かもしれません。よく、わかりませんが」
私は大村さんより15歳下だった。2年前にこの会社に入った。新しくできた工場の、オープニングスタッフの募集を新聞の折り込みで見て、応募したのだ。3人の契約社員と20人のパートを募集していて、私は契約社員を希望した。新卒で入った会社を2年で辞め、半年間、無職でいた。無職の期間について、面接で突っ込まれるかと思ったが、特に触れられなかった。絶対に落とされたと思ったが、3日後に採用の連絡があった。ユニフォームを発注するからと、服のサイズをきかれた。
初日に出勤すると、20代は私しかいなかった。いちばん多いのは40代の主婦で、50代や30代がちらほらいるだけだった。契約社員も30代で、ひとりいた女性はバツイチだった。
初日は、何もない構内で、作業台を組み立てるところから始まった。「マインクラフトみたいですね」と言いたかったが、通じる人はいなそうだったので黙っていた。作業の指揮をとっていたのが、面接官だった山中さんと、現場リーダーの大村さんだった。最初に山中さんが
「彼が現場を指揮する、大村さんです」
と紹介をした。山中さんは、元々本部の人で、現場はやらないらしい。あと責任者だというおじいさんがいたが、この人はいつのまにかどこかへ行ってしまった。休憩室での挨拶が終わると、作業台を組み立て、それからコンプレッサーや洗濯機を設置した。実際の作業はお昼過ぎになってから開始した。作業とは、福祉用具の洗浄だった。会社は高齢者が使う介護ベッドや車いすのレンタル事業を行っていて、ここではレンタルバックされた商品を洗浄することになっていた。
仕事は想像していたよりもハードだった。私の担当した介護ベッドはいくつかのパーツに分かれていたが、ひとつひとつに重量があった。寝たきりの人を介護するためにベッド自体が上がり下がりするから、モーターをつけて、フレームも頑丈につくる必要があるためだ。他の商品も、例えば手すりなんかも据え置くだけだから、わざと重く作ってあり、持ち運ぶのは大変そうだった。持ち上げて長い距離を運ぶわけではないが、1日中作業台に上げたり下げたりすると、手首や腰が痛くなった。
「あなたがたの仕事は、作業ではなく、作業者のマネジメントですから。早く作業はおぼえて、そっちのほうに注力してください」
大村さんは、車いすの班にいたから、日中に顔を合わすことはなかったが、毎朝社員だけを集めて簡単なミーティングをした。ベッドのパーツ名や洗浄方法など、おぼえることがたくさんあったから、大村さんの話はすぐに忘れてしまったが、言わんとすることはわかった。作業そのものは社員もパートも全く同じだった。しかし、給料は違うのだから、今は良くても、いずれはもっと難易度の高いことをしなければいけないと言いたいのだろう。ただ、具体的にどうすればいいのかはわからなかった。マネジメントだから、同じベッド班の人を管理すればいいのだろうが、私には何か周りをリードできるスキルも知識もなかった。前職は営業だったし、上司の当たりがきつくて2年で辞めてしまったのだ。他の社員を見ると、けっこう周りのパートと仲良く喋っている。2人とも喫煙者で、小休憩のときも周りと熱心にコミュニケーションをとっている。どういうわけかこの職場は喫煙者の数が多く、吸わないのは私と、2人くらいしかいなかった。建物内の休憩室は、お昼以外はがらんとしていた。
仕方がないので私は、他の人よりも重い物を持ったり、嫌がるこ仕事に率先して取りかかることにした。
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