28:a.邂逅
皇帝への謁見、と聞いてどんな状況を思い浮かべるだろうか。
貴族が居並ぶ前で、
もっと大きく、晴天の下、帝都の民の前で華々しくか。
それらの想像はどちらも正しいだろう。皇帝としての権威、また一人の君主としての度量を示すのにはこれ以上ない行動のはずだ。司郎たちも、そんな感じなのだろうなとばかり思っていた。
しかし、当初の予想と過剰な緊張に反して、案内されたのはさほど大きくない一室だった。部屋に入ってすぐ、部屋の奥に窓を背にして設置された黒い木製の机が目に入る。
その手前には、小さなテーブルを挟んで対面するように二つの横長のソファーが置かれている。
「ここは?」
「皇帝の執務室です。お掛けになってお待ち下さい」
と言って礼をすると、ルネリットは入って来たのとは別の扉から出て行った。
親しく接しているとつい忘れるが、彼女は皇女だ。つまり皇帝の娘である。彼らをこの部屋まで連れて来たのは公人としてで、職務の一環とも言えるのだろう。
「お言葉に甘えよう」
言われた通りに六人が同じソファーに座る。幸いなことに大人数の来客も想定されているのか、余裕を持って全員が横並びに座ることができた。司郎は腰に帯びていた神器を机の上に横たえ、柄を左向きにしておく。
茶菓子が欲しいな、などと考えながら五分ほど待機していると、
それを見た途端、司郎は座っていたソファーから立ち上がる。一同も少し遅れてそれに倣う。
皇女を前にして入室したのは、「皇帝」という言葉の厳格さに相応しい男だった。
その服装は法衣のようにゆったりとしたものだったが、それでも隠しきれないほどの肉付きと肩幅の広さだ。泰然とした歩みは王者のそれだが、体のブレの少なさが体幹の良さをうかがわせる。執政者になる前は武人であったのだろう。顔つきも厳つい。髪から眉、髭にいたるまで白に近い金で、線が太く岩のようだ。
さらにその皇帝の背後には、見知らぬ女性が付き従っている。メイドではありえない優雅さは気品と教養を裏付けており、深い海を思わせる暗い青のドレスが眩い金色の髪を引き立てている。
顔の端正さ、雰囲気、佇まい。どことなくルネリットに面影が重なる。左手薬指には一際輝く宝石の指輪。
「待たせてすまんな。遠慮はいらん、楽にしてくれ」
司郎達の対面のソファーに腰掛けながら、皇帝はそう言った。
「では」と軽く頭を下げてから、彼らも同じように、今度は揃って腰を下ろした。
「茶の一つも出せないのは心苦しいが、この後にどうしても外せない用事が出来てしまったのでな。あまり時間も取れんのだ」
「構いませんが、そんなにお忙しいので?」
「近頃、何かと文句を言ってくる隣国があってな。内輪で揉めている場合では無いというのに、呑気なものよ」
はぁ、と溜息を吐く姿は、あまり健康とは言えないものだった。無理をしているわけではないのだろうが、あまり眠れていないのか目の下に薄く
「そういうわけで時間を無駄にすることも出来ぬ。故に手短に話すべきことだけを話す。まず――」
「あなた」
皇帝は話を続けようとしたが、隣に座る女性に肩を叩かれてそちらを見る。
「まずは自己紹介でしょう、全く。昔から気が早いんだから」
「おお、そうであったそうであった」
すまんすまん、と頭を掻く皇帝を、女性は呆れた様子で見ている。日常茶飯事なのだろうか。
だとすればなかなか苦労をしていそうだ。
「既に知っているとは思うが、私が皇帝オルディンだ。そしてこれが、正室のリーゼ」
「初めまして皆さん。以後お見知り置きを」
「どうも」
「
皇帝オルディンは、右手の三本の指を立てる。
「今ここで話しておくべきは三つだ。まず一つ。お主らが今後どうするのか。本当にこの国に留まってもよいのか?」
そんなことを尋ねられるとは思わず、六人揃って首を傾げる。
「其方らの出自は聞いた。最初は信じられなかったが、其方らの所持品や服装を見るに嘘偽りではないことは確か。我らもこのようなことを想定していなかった、まずそのことを詫びておこう」
皇帝は頭を下げた。
慣習か個人的な感情なのかはわからないが、それがその男の精一杯だということだけはわかる。
「そして既に、其方らはこの国に留まる決心をしてくれたと聞いている。相違ないか?」
「はい。でなければ、あれだけ本気で俺を倒そうとはしない」
数日前からずっと言っていたことだ。否やがあろうはずもない。
そのために、司郎という高い壁に挑んでいたのだから。変わるはずもない彼らの総意である。
「そうか。であるならば、これ以上私が何か口を挟む必要はないのやもしれないが……最後の確認だ。くどいようだが、本当に良いのだな? 今を逃せば、次の機会は当分先のことになる。失敗する可能性もある」
「それは……どういうことなんですか?」
尋ねたのは司郎ではなく飛鳥だ。が、それは司郎以外の全員の疑問でもある。
「リソースの問題です」
と、返答するのはルネリット。
「少し複雑な話になるのですが……私どもは、聖具と呼ばれる道具によって皆様をここに召喚致しました。その時に必要だった魔力は、今この城にいる魔術師の大半を集めねばならないほどでした」
「即興で行うには無理があると」
「そうです。そして、今日が皆様がここに来てちょうど一ヶ月だというのもあります」
「一ヶ月が、どう関係するんです?」
仲間たちとルネリットの問答の最中、司郎は何とは無しにルネリットが今も身につけている真鍮色の鎖に黒紅の宝石で作られたペンダントを眺め、ふと何かに気付いて口を開いた。
「……そのペンダント、もしかして"
「ご存じでしたか。その通りです」
「司郎くん、それって?」
司郎の記憶の中にある確かな情景と文言は、その道具を他のどんなものより正確に記していた。
「"空道の宝玉"。術者の願望といった条件設定を含む任意によって、空間——二つの地点を繋ぐ聖具。条件が厳格化するごとに運用も制御も難しくなる。一度繋いだ地点はひと月の間のみ記憶できる……」
「そこまで詳しくわかるのか」
「わかるも何も、かつての俺の知り合いが作ったものだ」
しれっとした発言に衝撃を受けた者が約三名いるようだが、気付かぬフリをしつつ司郎は話を続けた。
「つまり、この人たちは"神器使いが欲しい"という任意の条件に任せてあの聖具を発動して、その結果俺たちがここにいる。恐らくあらゆる世界を探してもただ一人の"神器使い"なんてものをピンポイントで指定したもんだからとんでもない代価が要求されたわけだ」
「……一ヶ月だけ記憶できるっていうのは?」
「一度"道"を繋ぐと宝玉がそれを記憶する。記憶している間は"道"を新たに探索する必要がないから、要求されるリソースが何割か節約できる」
どうしたらわかりやすくなるかを考えつつ、司郎は次のように例える。
「紙の上にAとBの二つの点があるのを想像してくれ。その二つの点をシャーペンで線を書いて結ぶ。それが"道"を開いてる状態。で、次にその線を消しゴムで消す。すると二点の間には線の跡だけが残るだろ。これが今の状態。その線の跡が完全に消えてなくなるまでの期間が一ヶ月ってこと」
「ふーん……だいたいわかった」
「だいぶ話が脱線したが、つまりは最初に陛下が言った通り、これから先は好き勝手に帰れるわけじゃないってことだ。逆に言えば、今日までならまだ安くすむってことでもある」
彼らは、皇帝の言いたいことを全て理解した。
そしてその上で、彼らが言うべきことが何一つ変わりないこともまた自明であった。
「……それでも、俺はここに残る」
宗治はハッキリとそう宣言した。たいして大きな声ではなかったが、部屋にはしっかりと響いている。
「俺はコイツを、仲間を一人別世界に置き去りにしてのうのうと暮らせるほど人間を辞めたつもりはねえ。それに、ガキの頃からの付き合いだ。そう簡単に見捨てられねえ」
「ワタシもデス。ワタシを最後まで信じてくれまシタ。今度はワタシが支える番デス!」
「あたしも前二名に賛成よ」
「僕は、彼の役に立ちたい。もう何も出来ないままでいたくない」
宗治に続いて宣誓するかのように己の心境を曝け出す一同。最後の飛鳥は、考え込むように机の上の神器に視線を注ぎ続ける司郎の横顔を見ながら言った。
「……彼を一人にすると、どこまでも走っていって、取り返しがつかなくなりそうだから。誰よりも彼の近くに居たい」
それを聞いて、司郎は笑う。
「イノシシなのは否定しないけどな……」
「そうゆうのじゃないよ、もう!」
「いてえ」
「そう言う司郎くんはどうなの? 達哉くんにも聞かれてたよね」
左右を見回せば全員の視線とぶつかる。前を見れば皇帝一家も先を促すように沈黙している。
「私もそれは聞きたい。神器使いを欲したのは我らだ。それは我々の都合に他ならない。其方の本心が聞きたいのだ」
「…………」
司郎は、細長いため息と共に、腹を括った。
そして、この世界に来てからずっと考えてきたことを反芻する。
俺は何故この世界に戻ってきた——?
俺は何故ここに留まろうとする——?
何がしたいと望むのか——
何をするべきなのか——
「……俺は、かつてこの世界に生きていた。それは俺の中では紛れもない事実で、俺がこの世界に残りたいって思う理由には、確かにそういう側面もあると思う」
だが——
「もしそんな過去が無かったとしても、俺はきっと同じ選択をする。この世界に残って、神器を操って——」
何故? 何のために?
「昔から、この世界は戦乱ばかりだ。今の平和は、一五〇〇年前の犠牲の上に辛うじて張っている薄氷にすぎない。俺は、それだけは壊したくない」
「でも、この平和も長くは続かない。もう限界だろう。そして、他の神器使い達は恐らく、平和を守ろうとはしない。いや、出来ない。そんなことが出来る奴はもう残っていない」
「だから俺がやる。俺にしか出来ないことだ。それを無視して見て見ぬフリは性に合わない。それだけだ」
これが彼の本心だった。
言ってしまうと、何故か肩の荷がほんの少しだけ軽くなったような錯覚がしてくるのだから不思議なものだ。
この場の誰もが彼の人となりと過去を測り、その心を代表して皇帝は笑んだ。
「では存分に働いてもらうとしよう」
「お手柔らかに」
お互いに、随分と悪どい、楽しそうな笑みを顔に浮かべていた。
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