2. lAst/And stArt

26. 思惑はそれぞれに

 昔、戦争があった。


 恐るべき戦い。


 忌むべき戦い。


 決して忘れてはならない戦い。


 皆が血眼になってその戦いに参加した。自らの意志で剣を取り、地を踏み、立ち上がった。

 戦火はやがて大陸を呑み込み、空も海も大地も殺した。

 それは人々同士の戦いであり、同時に、人々と世界との戦いでもあった。


 ”神器”。

 その存在がこの世界を永遠に変えた。

 具体的に言い表すなら、その力は”概念”の力。ただ単に現象を起こしたり物質を生成することとは違う。

 神器とは概念そのもの。概念自体を捻じ曲げ、操り、自らの力に変える。


 人間では決して覆しようのない絶対的な力だ。

 神器の前では、ただの雷が鞭をうつ。ただの炎が盾となり、ただのそよ風が刃になり、ただの水たまりが地雷になる。

 見ればわかる。在ればわかる。

『決して手を出してはならない』と。


 ……だがそんな代物に手を出した人間がいる。いや、「いた」と言うべきか。


 ”大英雄アルカハンドラ”。人類史上初めて神器をその意志で行使し、この国の礎を築いたとされる女剣士。

 出自も身分も行動理由もわかっていない。だが一つ確実なのは、彼女が明確な意図を持って神器をその手中に収め、操って見せたということだけ。


 それだけならまだよかった。

 神器を扱えるのがその女だけなら、よかったんだ。


 人々は知ってしまった。

 例え神の名を冠する武具でさえ、人間ならば扱うことが出来ると。

 絶対的な力であっても、人間であれば制御できると。

 何も知らないくせに、知った気になって、皆こぞって神器を使える者を探した。そして神器も、自らに相応しい人間を求め、呼びかけた。『我が手を取り答えよ』と。


 ……あの戦争は、もしかしたら、起こるべくして起こったのかもしれないな。




 ◇◇◇




「はぁっ!!」


 裂帛の気合いと共に鋭く剣が突き出される。

 佐那が繰り出した鋭角の軌道を描いて迫り来る刃を、司郎は難なく剣で受け、弾く。


「おぉらあッ!!」


 その直後に入れ替わりで踏み込んでくる宗治の鉄拳を二度三度と躱し、無防備に体の前に伸ばされた腕を掴んで足を払い、片腕で器用に投げ飛ばす。


「エェイッ! ヤあぁぁッ!!」


 背後からのクリスティアの奇襲も、まるで見えているかのように受け流す。

 小柄な身体と俊敏な動きを掛け合わせた彼女の剣は、剣道を修めていたからか直線的だったが、いい筋のある剣だ。

 もっともそれが司郎に有効打を与えるかと言えばそんなことはない。彼はあえてクリスティアの懐深くに踏み込み、本来の剣の間合いの更に内側に身体を捻じ込む。

 彼女の剣が加速しきる前にその軌道に剣を割り込ませ、鍔迫り合いに持ち込んだ。


「はああぁぁっ!!」


 彼の動きが止まった一瞬を見て、横合いから槍が突き出される。

 勢いよく、これ以上ないほど素晴らしい軌道を描いて飛鳥が突き出した槍は、彼に吸い込まれるように動く。

 最も理想的な攻撃をしたと思った、瞬間。


「……チッ」


 彼は力を抜いて鍔迫り合いを無理矢理に終わらせ、その場で身を翻してギリギリの所で槍を躱した。

 その動作と同時に、返す刀で飛鳥に切りかかろうとした——その時。


「そこまで!!」


 という、よく通る静止の声が聞こえてきて、全員が動きを止めた。

 特に、咄嗟に反撃の体勢に移ってしまった司郎は体の緊張を解き、大きく息を吐き出した。


「ふぅー……いや、危なかった」

「……絶対当たると、思ったのに……」

「うん、タイミングも動きも完璧だった。流石だよ、ホント」


 彼は本心からそう褒め称えたつもりだが、にも関わらず回避され、あまつさえ反撃に転じられた当の本人は不満そうだった。


「……完封されてそんなこと言われても」

「間違いなく過去一番でいい動きをしてた。……そんなに拗ねるなよ、受けた俺が言ってるんだぞ」


 やれやれ、と司郎はため息を吐いた。


 彼らは今、見ての通り訓練の真っ最中。あれからまた数日が経っている。

 傷も癒え、万全の調子を取り戻した司郎はあの後、皆に自分についての全てを打ち明けた。自らの中に別の人格の記憶があること。それがこの世界にかつて存在した"ラウル"という男のものであること。かつても今と同じように神器を操っていたこと。

 それらを全て洗いざらい打ち明け、この世界に未練があることを話して締め括ると、皆一様に困惑した様子だった。

 それはそうだろう。彼も聞いたことがない。転生して別の人間になるなど、そして別の世界で全く異なる人間として生活していたなど。


 それでも彼の仲間たちは、その話を信じてくれた。

 語った本人が言うのもなんだが、彼自身、信じてもらおうなどという気はまるでなかった。ただ話すべきだという直感と責任感に追われて口にしていただけにすぎなかったのだが……それでも、仲間たちは彼を信じてくれた。

 その優しさと純粋さは、何より眩しく見えた。

 そして……何よりその優しさが、彼の望まぬ展開を呼んだ。


『私達も、この世界に残りたい』


 今でも彼の頭の中に、その時の決意を固めた飛鳥と仲間一同の顔がチラつく。

 その表情を彼は嫌と言うほど知っている。不退転の決意を固めた——あるいは、「絶対に譲らない」という覚悟をもっている人間の表情。

 それは、過去の彼が目にしたことのある悉くと瓜二つで。

 彼はある種の絶望と諦観をもって、彼女らにある条件を提示した。


『俺と戦え。そして俺に一発でも攻撃を当ててみろ』

『俺からは多少の反撃はしても、攻撃しない』

『ただし手加減もしない。全力で、お前たちの攻撃を捌き切ろう』

『やるやらないは自由だが……どうする?』


 この提案をしたのが数日前。

 皆は最初こそ渋っていたものの、彼の有無を言わさぬ態度に押され、各々がその手に剣を取り——


 そして、今。


「お見事でした、アスカ様。ですよね、シロウ様?」

「……よく見てるな」


 ルネリットに指摘された司郎は剣を置き、自分が着ている簡素な麻のシャツを少しだけまくり上げる。

 あらわになった脇腹には、細い線が走ったように赤く腫れていた。


「それって……!」

「さっきのだ。完璧に避けたつもりだったんだが」


 絶望的とさえ思えた条件のクリア。あるいは、この世界で初めて彼に認められたことか。

 そのどちらが嬉しいのかはわからないが、司郎に真っ向から挑んだ四人が俄に手を取り合って喜んでいると。


「条件達成だね。すごい攻撃だった。司郎、”直撃じゃない”って言い訳するなら今だよ?」


 と、先ほどの模擬戦にかけらも参加せず、椅子に座って本を読んでいた達哉が言う。


「随分煽るじゃないか。参加しなくてよかったのか?」

「うん。最初に握った時にわかったんだ。僕には剣は使いこなせない。それは僕の道じゃないってね」


 達哉は手に持っていた本を閉じ、立ち上がった。


「でも、僕だってただ黙って帰りたいわけでもない。……あれからずっと考えていたんだ、君が言っていたことを。覚えているかい?」

「……ああ」


 それは、彼が今世で初めて神器を使った後、目覚めてすぐの会話。


『俺から見れば、お前たちは優し過ぎる』

『お前がこっちに残ろうとしてるのは優しさからだろ。俺一人だけ置いていくことへの罪悪感、みたいなさ。"義理人情"ってやつ?』


 少し目を閉じれば、一言一句間違いなく思い出せる。


「僕はそれを、ずっと否定したいと思っていた。ただの優しさなんかじゃなない、僕らにだって——僕にだって、君みたいに退けない理由があるってね。……でも、出来なかった」


 気付けばその場の全員が押し黙っていた。

 黙って、達哉の言葉のその先を待つ。


「君はここが危険な世界だと言った。それは間違ってないと思う。そして僕らが——少なくとも、僕がこの世界で何かするべき事があるのかと聞かれたら、"無い"って答えるよ」


「……不思議だよね。僕らはこの世界に来て、何度も危険に遭遇した。実際に命を失いかけたこともある。なのに僕らは、君一人のためにこの世界に留まろうとしてるんだよ」


 笑っちゃうよね、と達哉は肩を竦める。

 非合理的だとも言って。


「……何が言いたい?」

「君が僕らに課題を課したのは、この世界での僕らに利用価値を付けたかったから。……っていうのは間違いかい?」

「違わないな」

「だろうね。だから、僕は僕なりの方法で、僕の存在価値を示そうと思う」


 と言って彼が掲げるのは、先ほどまでも読んでいた本。司郎も見覚えのある——いや、見覚えがあるどころの話ではない。

 アレは——


「【緊縛ルーラー】」

「——!」


 気付いた時には遅かった。

 足元に魔法陣のようなものが展開された瞬間、光の中から幾本もの鎖が伸びて司郎の全身を縛る。

 かかった時間は二秒にも満たない。


「一本、てことでいいかい?」

「マジかよ、アイツ……」

「凄い……」


 仲間たちが揃って驚嘆の声を上げる中、司郎もまた、この日一番の驚愕の表情をしていた。


「これが、お前の存在価値ってやつか」

「足りない?」

「いや充分だ。充分過ぎる。——ただ」


 力むでもなく、慌てるでもなく、彼がそう言って身体に巻きつく鎖を凝視すると、


「!?」


 発動者であるはずの達哉の意志に関係なく、光の鎖はただの光になって千切れてゆく。


「俺を縛るにはまだ弱いな」

「……まだ練習中なんだよ」


 外面こそ普通にしているが、存外悔しそうにしている彼を見て、皆が笑みを零した。

 やがてその表情も引っ込めた達哉は、逆に司郎に問いかける。


「さぁ、司郎。僕らは僕らの存在理由——君の求める"利用価値"を示したよ。今度は君が、君の存在理由を僕らに示してくれ」

「……?」


 彼はその言葉の意図を測りかねる。

 自分の中の秘め事はほとんど曝け出したんだが……と内心首を傾げた。


「確かに、司郎の過去のことはよくわかったよ。この世界に未練があるっていうのも、わかった。でも、君は僕にとっては、"ただの司郎"でしかないんだ。英雄とか神器使いとかよりも前に、君は、僕らの仲間なんだよ」


「だから、今度は君が僕らに示して欲しい。君が——"雷電司郎という男"が、この世界に居るということの意味を」

「ああ、そういうことか」


 彼の中でようやく合点がいく。

 そして同時に、押し殺しきれないため息が漏れる。


「……わかったよ。でもその前に」


 ここまできた以上、彼にそれを断る意味も意志もない。

 しかし、と彼は振り向いて、一歩引いたところから彼らを見ていたルネリットの方へ視線をやった。

 その時ちょうど、彼女のもとへ男の使用人が現れ、耳元で何かを囁いていた。


「タイミングもバッチリだ」

「……何がだ?」


 宗治が呟いてすぐ、ルネリットが真っ直ぐこちらに歩み寄り、半ばひざまずくかとすら思うところまで深く礼をした。


「お話の最中に申し訳ありません。皆様に、お会いして頂きたい方がおります」

「……ええ、構いませんよ」


 目線で「だろ?」と問いかければ、達哉や宗治たちは状況が飲み込めないながらも頷いた。


「ここまでずっと先延ばしにして、こちらこそ申し訳ない」

「どうぞお気になさらず。それもまたのご意向ですので。ではご案内致します」


 二人のやりとりはどこか余所余所よそよそしく、どちらも本音で喋っていないことが丸わかりだった。

 そして何より、耳ざとい司郎の仲間たちは、ルネリットが発した単語を決して聞き漏らさなかった。


「司郎くん……今、陛下って」


 飛鳥の問いに返ってきたのは首肯と、補足だった。


「ああ。今から俺たちは、この帝国を治める権力者に——皇帝に会う。達哉、俺の存在理由はそこで示そう」


 そう言って、彼は何の躊躇いもなくルネリット皇女の後についていく。

 彼の仲間たちは数秒だけ顔を見合わせた後、やれやれというように首を振って、その背中を追った。

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