23.古き記憶の中の戦い

 雷の神器。またの名を"雷帝"。

 ソレが目覚めたのは実におおよそ千と五百年ぶり。

 その間、ソレはずっと待ち続けていた。己を扱うに相応しい者を。かつて共に戦った英雄に劣らぬ者を。


 その時が訪れるまでは……長かった。

 幾たびも人間はソレを我が物にしようとし、その度にソレは拒絶した。

 ソレの"器"たるには彼らは貧弱すぎた。


 だが、ソレは知っていた。必ずその時は来る。

 例え数千年、数万年かかったとしても、己が求める者がやって来ると。

 その時こそが、己の存在意義を真に発揮する時だと。


 そして、遂に"その時"が来た。


 今、雷帝は一人の青年の手の内にある。

 ただの武具と同じように無造作に握られ、その切っ先は敵へと向けられている。


 ソレは歓喜した。

 相応しき者が現れたことを。

 己の目的が果たされることを。

 ——再び彼と共に戦えることを。




 ◇◇◇




 懐しい空気が肌を撫でる。

 誰かの殺意を乗せた風。誰かの悲しみを体現する夕陽そら

 切り裂かれた大地が泣いているのがわかる。


 ここは——戦場。


 沢山の人の思惑が吹き荒れる地。誰かの血と嘆きが溢れるところ。

 彼が久しく感じることのなかった無表情な世界。その入り口に、彼は再び立っている。


 敵が地を蹴る。たった一歩でかなりあったはずの間合いを詰めきり、ふたつの剣を突き立てんと迫る。

 その動作が——手足の動きから身体の捻りまでもが——


「お前は……邪魔だ」


 ただ一言呟いて、彼はその手の中の神器を左腰に添える。

 見る者が見れば、そして彼に左腕があれば、まるで剣を鞘に収めたかのようなその姿勢はまさしく”居合い”のそれである。


 敵の凶刃。彼の身体を挟み込むように上から振り下ろされる。今までのどれよりも速い斬撃。くらえば確実に上半身と下半身が離れ離れになるだろうその一撃を、彼は半身を捻り一歩下がるだけで躱す。

 必要最小限の動きから全身の筋肉を撓ませて繰り出されるのは、正真正銘、文字通り最速の一撃。


「——【雷光ライコウ】」


 詠唱。押さえつけられていた魔力が荒れ狂う。緊張からの弛緩。何者も超えることのできない絶対の一閃。

 神器から雷を纏い、溢れ出し、右腕までもを言葉通り稲妻に変えて大きく踏み込む。瞬きすら許さない刹那、彼は既に怪物とすれ違い、剣は振られていた。


 ほんの少しの沈黙の後、小さな水音を立てて怪物の身体は横たわる。

 自らの血で出来た水溜りの中に、切り落とされた両の手と頭を落として。

 ピクリとも動かない。傷口も戻らない。魔力も鳴りを潜めた。

 やがて——


 パリン。


 と音を立てて、血溜まりの中、双つの剣が砕け散った。


「まず一人」


 彼は死体には目もくれず、残った怪物に顔を向ける。

 その表情には微塵の躊躇もない。

 その目はもはや地球に住む一般人のものではなく、敵を殺し、仲間を守る戦士のものであった。


 司郎は自分から仕掛けない。ただ待つ。それが最善ベスト

 何故なら、彼らがもう"保たない"ことを知っているから。その上で尚、彼らには戦う理由が——彼に殺される理由があると、気付いてしまったから。


「「オオオオオオッ!!」」


 雄叫びと共に槍と斧が眼前に飛び出す。左右からの挟撃。

 それぞれが魔力の輝きを纏い、最大最高の技を放とうとしているのがわかる。槍は太さを増し、斧は厚みを増して彼に狙いを定め……神速の域を超えた。


 轟音。一拍遅れて凄まじい衝撃と炸裂音。

 たったそれだけを残して、彼らは止まる。対しているのは彼らと比べれば貧相と言わざるを得ない小さな一振りの剣、支えているのは同じく細い右腕のみ。

 だというのに。

 斧の刃を受け止め、槍の軌道をずらし、どちらもを停止させてのけていた。


「「————!?」」


 まさか受け止められると思っていなかったのか、二体の動きが一瞬止まり——気付いた時には遅かった。

 それぞれの獲物から細く長い雷が絡まり、腕から足へと雁字搦めに縛りつけた。その雷は、元を辿れば重ね合わされた黄金の剣から分かれ伸びている。


「【雷獄】……【雷蛇シュラング】!」


 重ねられた魔術の詠唱。怪物の体に巻きつき拘束していた雷の鎖が、唸りを上げて引き戻される。

 肌の上を走った電撃の鎖は鋭利な刃物と化し、巻き付いた怪物の全身を傷付け、切り刻んだ。

 血の雨が降り肉片が落ちる。返り血が彼の全身を汚す。


「……お前で、最後だ」


 鉄臭さも気味の悪いぬめりも意識の外に、ただ彼は怪物を見据える。最後の……大剣を構えた怪物を。


「覚えてるぞ。お前、もう動けないんだろ」


 何故、この怪物が今まで動かなかったのか。

 司郎に単独で正面戦闘を挑んで勝てないのは既に承知しているはずなのに、何故槍と斧の攻撃に参加しなかったのか。

 その答えも、彼は知っている。


「限界突破の状態であんだけカッ飛ばしたんだ。当然来るよな、ガス欠」


 ゆっくりと、語りかけながら司郎は歩を進める。まるで友に歩み寄るような軽快な足取りだが、その神経全ては怪物の動作を見極めようと張り詰められている。


「だが……もう一つ、覚えていることがある」


 と言って、彼は怪物と絶妙な距離を取って止まる。あと一歩で間合いの内側に入るか入らないか……というギリギリのライン。

 大剣に添えられた異形の手が微かに動いたのを見て、彼は予感の的中を悟った。


「お前は……この局面を待ってたんだろ? お前が真に最大の力を発揮できるこの状況——逆転カウンター狙いの大博打ギャンブルをさ」


 怪物は何も言わない。ただ息を整え、何かを待つように微動だにしない。

 その様子に彼は内心で笑みをこぼし——


「なぁ、シェイブ?」


 止めていた足を、おもむろに前に出し——


「——ォオッ!!」


 今までのものとは違う、小さな気声と共に大剣が振り切られ——


「——悪いな」


 剣は、彼の身体をかすりさえもしなかった。

 彼は怪物の背後にいて、互いに背を向け合った格好で、手の中の黄金の剣は紫電の残光を引いていた。


「俺も"そっち"の方が得意なんだわ。……覚えてたか?」


 音もなく巨躯が崩れ落ちる。

 四肢がもげ、バランスを失った怪物は、家屋を背にして沈黙した。

 悲鳴をあげることは、なかった。

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