22.反撃開始

「久しぶりだな、シェイブ?」


 そう呟いた司郎は虚空へと手を翳す。

 同時に怪物は剣を水平に掲げ、その影に体を収め、何かに備えるように深く身構える。


「【雷槍】」


 力ある言葉が魔性の力を引き出し、導く。

 腕から手へ。手から指先へ。指先から空間へ。

 眩い閃光が視界を焼き、青白い雷撃が彼我の間をつなぐ。


「【雷槍】」


 重ねて司郎は唱える。何度も何度も。その度に怪物の体を守る大剣ごと飲み込まんと白光が迸る。

 その雷は術者がたった一人にも関わらず、他の術師たちが一丸となって放った”雷槍”よりも随分強く、また速い。

 怪物の巨大な体は大剣の影にいても全てを隠すことは出来ない。一瞬でも光に触れた部位は魔術付与の上から灰すら残らず消し飛んだ。


「お前は……ここにいちゃいけない」


 攻撃が止み、そんな言葉が吐き出される。

 誰かにかける言葉にしては覇気がない。まるで自分に言い聞かせているかのようだ。震える手が握り締められ、怪物を射竦めていた視線が落とされる。


「……ッ、オオオオオオオオオ!!」


 それを好機と見た怪物は、すぐさま彼に飛び掛かった。


「速い!」


 佐那がその生命力と底知れぬ戦闘力に驚嘆するのも束の間、距離を詰めた怪物が剣を振り下ろす。司郎はそれを右腕で真っ向から受けた。


「師匠!?」

「下がってろ」


 彼はそれだけ言い放つと、右腕にうんと力を込めてあろうことか剣を大きく弾き飛ばした。

 そこから彼は更に大きく踏み出し懐に潜り込む。怪物の丸太のような腕の嵐を掻い潜り、胴体に直接拳を叩きつけた。


 それだけで怪物は大きく仰け反り血を吐く。

 攻勢が始まる。


「……一体何が、起きてるんだ……?」


 魔術師の一人がぽつりと呟く。誰もその問いへの答えを持ち合わせていない。

 ただ一つ言えることがあるとするならば、これこそが——誰もが束になっても相手に出来ない怪物を、たった一人で蹂躙しているこの構図こそが——かつて恐れられた姿。そして今まさに求められている姿。

 これこそが、"神器使い"たる司郎の本来の姿。そのほんの一部。


「……魔力だわ」


 一人、誰かがそう零した。震えた声だ。驚きと畏怖が混ざったような。

 振り返れば、魔術師達の中でも特に目を引く装飾が施された黒が基調のローブを羽織り、手には身長ほどもある長い杖を持つ女がいた。

 朱色の髪に翠の目。年齢はルネリットと同じか少し上、司郎達とほぼ同年代だろうその女は、司郎の行動のカラクリだけは見抜いていた。


「……ミカエラ嬢、どうかこの老骨めにご説明願えますかな。いやはや全く、アレがどういう原理で何をどうしているのかさっぱりで」


 ミカエラと呼ばれた女魔術師は周囲を見回す。

 ケーニッヒだけではなく、同僚の魔術師達や兵士たち、佐那も彼女の言葉を待っていた。


「あの拳。打撃の度に魔力を放出してるわ。一撃一撃が普通の攻撃魔術と同等かそれ以上の密度と量……いえ、あれ自体が新たな攻撃魔術なのかしら。単純な打撃時の衝撃の増幅に加えて相手の身体に魔力を瞬間的に打ち込むことで、追撃と相手の魔術の打ち消しを同時に行っているのね」 

「……貴女もよく理解りますね、隊長」

「そうね。"何をしているのか"が理解出来ても、"どうすればそんなことが出来るのか"が理解出来ないなんて初めての経験だわ」


 彼女らの視線の先では司郎の一撃ごとに怪物が一歩下がり、一瞬でも足を止めれば更に手痛い追い討ちをくらう。

 当然防戦もするのだが、身体が小さく身軽な司郎と巨体である故に鈍重な怪物とでは攻撃能力の差を埋めるには至らない。単純に速さが違うのだ。


 怪物はどんどん後ろに押されていく。たたみかけるように攻撃が更に苛烈になる。左腕欠損と病み上がりというハンデを課してなお怪物に手も足も出させない。

 見るのも難しくなってゆく攻防。速度の限界を超え、司郎の身体が青白いスパークに包まれる。


「アレであたしと同い年ぐらいなんて……末恐ろしいわ」

「そうですね。でも——」


 遂に怪物の防御の要であった大剣を弾き飛ばし、手の内から飛ばす。

 音を立てて後背へと突き刺さった剣に意識が一瞬持っていかれた隙を見逃さず、司郎は目の前の醜悪な顔面に拳をぶち込む。


「【雷甲弾ガルダ】ッ!」


 気合い代わりの鋭い詠唱。拳と顔面の接触面から雷が迸り、撃ち抜くように解き放つ。

 怪物の巨体が地に伏し、凹んだ顔面が地面に付く。

 その姿に誰もが勝利を疑わない。


 ——ただ二人を除いて。


「——まだ、終わってません」

「クソ!」


 悪態を吐いて司郎は思い切り飛び退る。それを追尾するのは純粋な魔力の塊。人間の速度と反射神経を超えて彼を追いすがり、命中する寸前——爆裂。


「ち——」


 彼の舌打ちをかき消すように続け様に飛来する魔力弾。彼の知るソレとは威力も速度も段違いの性能で、今度は彼が防戦一方になる。

 それでも魔力弾を一つ一つ確実に握り潰しているあたり、まだ余裕があると言えた。


「オオオ゛オ゛ッッ!!」


 この機を逃すまいと怪物が追いすがる。

 上段に構えられた剣に炸裂弾と同質かつ濃密な魔力が流れ込む。禍々しくも力強い濁流となって、一直線に彼へと迫る。


「——【強化】ッ!?」


 咄嗟にそう唱えた司郎はその剣を腕で受けた。両者が接触した瞬間、剣に蓄えられた魔力が爆裂し彼の身体を引き裂かんと襲いかかる。

 地面が割れ、土煙が吹き出し、司郎は背後に吹き飛ばされる。魔術が無ければ重傷を負っていただろう。


 地面をしばらく転がった彼は、体が止まってからすぐさま立ち上がる。服についた砂を軽く払い、「鈍ってるな」と愚痴を漏らす。

 そして、彼我の能力差の正体を突き止め舌打ちした。


「……"限界突破オーバーリミット"か。道理で」


 彼の視線は怪物の手の中にある剣に向いていた。

 巨大で、もはやただの金属板とも思えるほどの凶刃——ではなく。

 その根本の、鍔の中央に収められていた宝玉にだ。

 吸い込まれるような漆黒の輝き。虚無、あるいは深淵を思わせる黒。最初は血色だったはずの宝玉は、いつの間にか色を変えていた。


 彼は——彼と共に時代を駆け抜けた者は、それを"限界突破"と呼ぶ。

 神器やそれに準ずる聖具・魔道具の能力を、限界を超えて行使する方法。行使者はそれまでと比較にならない能力を得、自らの深層にあるエネルギーを全て引き出すことが出来る。

 強力な力と引き換えに巨大な代償を払うことになる正真正銘の「最後の切り札」。


「もう後はない、ってことか。全力で相手しろと?」


 彼は知っていた。

 今までそれを使った者がどのような末路を辿ったのか。

 目の前の怪物が"限界突破"した時、何が起こるのか。

 今この瞬間、それが何を意味しているのか。


 全てが終わった時、この怪物がどうなるか。


「…………いいぜ。但し」


 司郎は全てを知っていて尚、怪物の前に立ち塞がる。

 そして、笑う。獰猛に。圧倒的な余裕と絶対的な自信をもって。

 自分こそが"強者"だと言外に告げる。


手前てめえら全員まとめて来い。狸寝入りはそこまでだ」


 彼がそう言い放った途端——


「「「オオオオオオオオッッッ!!!!!!」」」


 三つの咆哮が重なった。濃密な魔力が膨れ上がる。

 そして地面と水平に飛来する長大な槍。

 軽く身体を捻ってそれを躱すや否や、真逆の方向から家屋の壁を突き破って厚刃の斧が姿を現す。柄頭から鎖を伸ばし、遠心力と更なる加速を乗せて繰り出される一撃はどんな攻撃よりも重く鋭い。

 だが彼の元に到達する前に呆気なく蹴り上げられ、あらぬ方向に飛んでいった。


「フウウヴヴ!!!!」


 その一瞬を隙と見たか、双剣を掲げた最後の怪物が彼の間合いの内側に身を躍らせ、暴風のように剣を振り回す。


「お……おおっ!」


 巨体に似合わない俊敏な動き。光の尾を引き線を描く剣戟。片腕一本では到底受け切れない手数。

 どうにか致命的な攻撃のみを選択して防御するものの、細かな傷が肌に刻まれ服が裂かれる。

 最後の大振りな一振りで軽い彼の身体は宙に浮き、またしても彼を地に転がす。


「ふぅ……いってぇな、この野郎ども」


 それでも司郎は倒れない。

 "強化"された腕はともかく、足腰や胴体には幾筋もの切り傷が刻まれ鮮血を垂らしていても。それでも彼は立ち上がる。


「もう何年も経つってのにな……体が、覚えてんだ」


 どう動けば攻撃に当たらないのか。

 どう攻めれば防御を崩せるのか。

 どう叩けばより苦痛を与えられるのか。

 彼が覚えていなくとも、彼の身体が、魂が覚えている。

 "彼の戦い"というものを。


「だから……せめて俺の手で葬ってやる。他の誰でもない俺の手で」


 彼の心中などお構いなしに怪物が迫る。いつの間にか復活した三体の怪物を交え、数は四。各々の獲物を手に走り来る。

 その前に一人で立つ司郎は、その背姿は、まさしく英雄のそれで。


 彼が天に手をかざした時、皆が幻視した。


「…………【招雷しょうらい】」


 唱えるはただ一言の詠唱。呟きにも等しい小さな声。

 だがそれはあらゆる境界を超え、あらゆる障害を超え、あらゆる概念を超えて"ソレ"の元に届く。


 暁の空に雷雲が踊る。金の光の轟きと共に。

 彼の手の中には光の輪。魔力が光を成し、線を成して術式が目に見える形で組み立てられていく。

 空に転写された巨大なそれは、彼以外には許されない"特別な魔術"。


「来い——!」


 呼びかける。彼が呼べば、ソレは応える。

 雷光が蠢き雷鳴が響き渡る。空に浮かんだ魔法陣の中心に集まった雷が姿形カタチ概念チカラを得て、彼らの前に顕現する。


 ——雷が、落ちた。


「きゃあっ」


 佐那が小さく声を上げた。

 突風が吹き抜け、稲光が舞う。爆発と閃光。怪物は再び足を止められ、地面は耐えかねて白煙を上げた。その中心に彼はいる。

 周りの人間が伏せた顔を上げる頃、みな一様にソレに気付く。


 ソレが放つ圧倒的な存在感と魔力。白煙に隠れていても地面に突き立っているのがわかる。

 間もなく煙が晴れ、露わになったのは黄金の長剣。雲が上がった空、夕陽を反射して赤金に輝く。

 怪物も人もそのまばゆさに顔を背ける。ただ綺麗なだけではない。完成された美しさと言うのか。造形こそ簡素だが無駄がない。唯一装飾と呼べるのは刃の付け根から鍔にかけて走る紋様と、鍔中央に嵌った深青色の宝石。剣先から柄頭まで統一された黄金。その美しさと溢れ出る膨大にして濃密な魔力が、見る者全てに畏怖の感情を抱かせる。


「さあ、始めよう」


 司郎は剣の柄を握り、地面から引き抜く。

 その切っ先を怪物たちに定めながら、宣言した。


「千と何百年ぶりかの……古の戦いの再現を」




 ◇◇◇




 伝承にはこう記されている。


 雷の神器。

 

 雷を司り、手にした者に無尽の力と永遠の代償をもたらす。その一振りは雷光を呼び、何者よりも速く、何者よりも強い。

 天上の霊峰に在り。

 逆鱗に触れた時、数多の獣の遠吠えが轟き、地は震え、極光が裁きを下す。

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