19.乱入者

 ——なんだ、今のは!?


 ルネリットの心からの叫びは、立て続けに響く爆音によってかき消された。

 幾度も地を揺るがす暴力的な振動——大量に発散された魔力の断続的な炸裂は、次から次へと彼女に殺到する。


(魔力弾……いえ、これは……っ!?)


 それは彼女も知らない術式。

 一般的に射撃魔術の基礎と呼ばれる"魔力弾"、これに独自のアレンジを加えた未発見の魔術オリジナル。洒落にならない威力の爆発が嵐の如く吹き荒れる。


 だが彼女は、初見のはずの"魔力炸裂弾"を巧みに躱し続けた。

 それはひとえに彼女の魔術師としてのセンスと技量が為す技。建物の影を使い、瓦礫を巻き上げ、時には自らの魔力と衝突させる。"魔力障壁"という、これまた防御魔術の基礎と呼ばれる術式を展開し真っ向から迎え撃つ。傍から見れば皇族とは思えないほどの縦横無尽な動きで謎の攻撃を上手く捌いていた。

 だが彼女は不意に足を止め、反転して魔力弾が飛んでくる方向を見やる。


(これ以上は下がれない!)


 相変わらずしつこく追いすがってくる"魔力炸裂弾”を真正面に見据え、魔力を練る。

 次の瞬間、自らの眼前に"魔力障壁"を今までで一番の強度で展開し、攻撃全てを一身に受ける。

 その背後には、突然の事態に混乱し逃げ惑う一般市民。ひいてはその避難先たる帝城がある。

 何故かはわからないが彼女が執拗に狙われている以上、それより後ろに下がれば無用の被害を生む可能性がある。この国の皇女としてその危険は冒せないと判断した故の行動。

 だが——


「……ぐ、っく……ぅ……!」


 食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れる。

 瓦礫と砂煙の向こうから飛来しては爆発する魔力の塊は一発一発が消して弱いわけではない。それを防げているのは恐らく彼女が敵よりも術者として格上であるからだが、こうも一方的に攻撃に晒され続ければ彼女の魔力と気力は着実に削がれていく。

 今までこのような命の危機を経験したことがないというのもそれに拍車をかけている。


(……それでも……私がここで膝を屈するわけには……っ)


 守らなければ、と強く思う。

 その一念こそが彼女が幼い頃から抱いてきた理想だった。

 子供の頃、父帝より自らが恵まれた生まれであり人の上に立つ者だと教わった時から、彼女はずっとそう思ってきた。全ては国のため、民のため。そのために身を削ることが”正しい”ことだと信じていた。

 だから自らの命を犠牲にすることも厭わない。それは確かにある意味で正しいのかもしれない。


 だが、彼女は王になるには優しすぎた。


 何十度目かの爆発。遂に障壁が破られ、彼女はその場にへたり込む。

 術式破損の衝撃で意識に亀裂が入る。集中が困難になり、半ば朦朧になりながらも判断を誤ったことを悟る。


(……置いて、来て、よかった……)


 彼女は己の最後を予感した。

 その瞬間、無意識のうちに頭の中に浮かび上がってきたのは、民や家族の顔ではなかった。

 何故だか彼女は、そこまで深い繋がりがあるわけでもないはずの異世界の少年少女たちの顔を思い浮かべていた。


 ——地響きが近づいてくる。


 初めは小さかった振動は一定のリズムで徐々に大きくなり、それが止まった時、ようやく土煙が晴れた。


「……な、ん」


 彼女は言葉を失った。ソレはどこをどう見ても、もはや人間とは呼ぶことができない。

 普通の人間より一回りも二回りも大きい巨躯。不自然なほど隆起した四肢の筋肉。血管の浮き出た首筋に鋭利な顎、細く鋭い牙、白く濁った目。全身にアレルギー症状のような"いぼ"が現れ、その手には血色に禍々しく輝く大剣。辛うじてシルエットが人型であることのみが、元々が人間であったことの証拠。

 つまりそれは、既にソレが人ではないという証明。


「…………ォ、ォ」


 腹の底に響くような低い唸り声。言葉をすら失い、理性的な思考は絶望的。純粋な暴力の権化。

 このような怪物を彼女は知らない。

 このような怪物は生きていてはならない。


(あ、あ……終わ、る……終わって、しまう)


 怪物は醜い顔から白い息を吐き出す。

 持っていた剣が脈動し、頭上に大きく振りかぶられる。

 彼女はもう抵抗する術を持っていなかった。


 恐怖はある。悔いも無念も当然ある。

 だがそれらをひっくるめても尚、余りあるが胸を貫く。

「誰へ」と言われれば、それは記憶に新しい。

 暗い影と儚い明るさを持ち合わせていた。常に仲間を気にかけ、何かを深く憂いていた男。

 その仲間たち。

 勝手な都合ではるばる異世界まで召喚され、そして放置してしまうことへの。


(……ごめん、なさい……皆様)


 心からの謝罪を、精一杯の気持ちを込めて。

 この無念と後悔、そしてこれから先に皆から向けられるだろう恨みこそが罰だと言い聞かせながら。

 彼女はその時が来るのを待った——


「——ぉぉぉおおおおらああああッッ!!」


 いつになっても訪れない苦痛に内心で首を傾げる。

 背後から雄叫びが近づいてくるのは、自らの微かな生への執着が聞かせた幻聴だと断じ。

 あぁ何と浅はかな身なのかと自嘲し。


 それが幻聴などでなく、本当に誰かの雄叫びであると知った瞬間の驚愕たるや。


 すぐ横を突風が吹き抜ける。

 次いで轟音と衝撃。硬質なもの同士が勢いよくぶつかり合う乾いた音が空を切る。

 怪物は振り下ろした剣を弾き返され、背後に大きく一歩下がった。


 そして、彼女の目の前には。


「大丈夫か、皇女サマ?」


 と、普段通りに問いかける青年の姿があった。

 両手に手甲を付け、ここまで全力で走ってきたのだろう、肩を上下させながら悠然と敵を見据える青年は、名を藪雨宗治と言った。


「どう、して……どうやって……?」


 来てくれたという安堵、何故来たのかという困惑、速く逃げろという良心。その全てがない混ぜになった絶妙な表情でルネリットは問いかけた。

 それをちらりと見やった宗治は緊張感の欠片も感じさせずに笑う。


「……全部顔に出てら」

「あのですね、敵の目の前ですよ」

「そうだな。でも一人じゃねぇし、何とかなるだろ」


 と言うと、すかさず宗治は身を翻す。

 何が、と思う暇もなく、ルネリットは彼の肩に抱えられていた。


「失礼!」


 彼が一息に駆けた一瞬後、つい先程までいたところが轟音と共に吹き飛ぶ。怪物の剣が空を裂き地を抉っていた。

 その威力に血の気が引いていくのと同時に、ルネリットはある事実に深く驚愕していた。宗治が乱入してきた時と同じくらいの驚きだった。


「"身体強化"の術式……いつの間に」

「ついさっきだ、まだ来るぞ!」


 そんな馬鹿な話があるか。そんなことができる人間、一体この世界に何人いるかどうか。

 ……と叫び出したい気持ちを堪えて、彼女はひたすらしがみつく。そして何よりもまだ生き続けていられていることに感謝した。


 現在進行形で動いている方はそう落ち着いてもいられない。

 自ら起こした土煙を体でかき分けながら巨体が突進してくる。その質量と勢いを乗せた凶刃が二人の命を刈り取らんと荒れ狂う。

 宗治は宗治で、一般人とはかけ離れた挙動——人を抱えた状態での壁走り、屋根跳び渡り、股下潜り——を軽々とやってのける。街の中を行ったり来たりで近付かず遠ざからずを上手く保つ。

 彼は怪物が素早く動けないことを既に見抜いていた。細かい動作が苦手なこともわかっていた。集中が切れなければしばらく時間を稼げる自信もあった。


 対する怪物は焦れる。その大振りで威力に特化した攻撃では素早さで勝る二人を捉えられない。駆け引きのない攻撃とは命中して初めて意味があるのだ。

 故に、そして中途半端に知能だけが残っているために、怪物は攻撃の手段を変えた。


「うおぁっぶねぇなあ!?」


 隙だらけな斬撃を回避した直後の体勢を整えづらいタイミングで、例の"魔力炸裂弾"を死角から射出していた。

 ほぼ反射的な回避により、ルネリットを守りながら宗治は地を転がる。

 起き上がる隙を突かれまいと跳び上がるように体の向きを変えて、見事に地に足を付けた。


「未知の術式です、距離を——」

「下手に取ったら晒される!」


 ルネリットの二の舞になることを危惧し炸裂する見えない弾丸を紙一重で避けながらの移動は彼にとってもギリギリだったが、術式発動中は怪物自身の動きが鈍るのが救いだった。

 回避動作と同時に九十度反転、宗治は狭い路地に身を移し駆け抜ける。


「あの!」

「何か?」

「色々と聞きたいことがありますがそれより、この後の作戦は!?」

「……いやぁ、それがさぁ」


 いくつかの角を曲がった先に、彼らは行き止まりに辿り着いた。


「まさか」

「そのまさかなんだが……出口どこだ?」

「……とりあえず、もう大丈夫です。降ろして下さい」


 言われてようやく宗治は人を抱えていることを思い出して、謝りながら彼女を地面に立たせた。


「それで、どうするつもりなんですか? 今から戻るには時間がかかりますし、ここにずっと隠れているわけにもいかないでしょう」


 あれだけの巨体と力を持ち合わせた怪物ならば強引に道を切り開いてくることも可能だろう、と言外に含める。

 それをふまえ宗治の無計画さを責めるように彼女が言うと、彼は肩を竦めた。


「俺は元々アンタを回収する役目だった。でも予想以上に距離が近すぎたから慣れてないけど仕方なく戦闘したんだ。命があっただけ良かったと思ってくれ」


 そう言われて何も返せなくなった彼女は、しかし尚も食い下がる。


「……では、その"元々"の作戦ではこの後のことは何も決めてないのですか?」

アンタの回収だって言ったろ。アンタを安全な場所まで移して、ヤツの視界から消えること。それが俺に任された全てだ。この後なんてない」


 強いて言えばこのまま城に帰ってもらうくらいかね、と言いながら彼は頭を掻く。


「……じゃああの怪物は」

「心配する必要はねぇ」


 どうするのか、という質問を彼女は飲み込んだ。

 宗治はさっきとは打って変わって、今は確信めいた何かを感じさせる。口調は相変わらず軽いがふざけている様子はない。


「そのためにあんだけ時間稼ぎしたんだからな。……ほら」


 途端に、遠くから微かな振動が伝わってくる。遅れるようにして衝撃のような音がいくつも飛来する。


「援軍くらい呼んであるに決まってんだろ」


 彼女が見上げた空は、黒く分厚い雲に覆われていた。

 とても不吉な空模様だった。

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