17.記憶
クリスティアが困惑し、状況を理解しようと努めている間にも、その状況は瞬時に止めどなく移り変わる。
足元を過ぎ行く街が、顔の傍を通り抜ける風が、雲が、霞むような速度で真後ろへと消し飛んでゆく。
ジェット機か何かにそのまま乗ったかのような印象だ。
ただし、最も奇妙な点はそこではない。
彼女が大空に飛翔していようが、正直そこまで問題ではないのだ。いや、問題ないわけではないが、比べてしまえば些細なことになってしまう。
一番の問題は、空に浮いている手段——
司郎が彼女を担ぎ上げ、一息に跳躍しているという点だ。
「——!?」
彼女は風圧に耐え、必死に司郎にしがみついている。それしか彼女に出来ることはない。
もっとも、一体全体彼のどこにこんな力が備わっているのかわかりもしないし、何故自分たちが大空を飛翔しているのかもわからないという状況にあってはそれも当然かもしれない。
耳元をごうごうと音を立てて風が通り抜け、時間の感覚も曖昧になる。
「……さ、着いたよ」
やがて、一分か、それとも数十分ともとれるほどの時間を飛び続けた後、突然に風は止み、柔らかい衝撃と硬い音が着地したことを彼女に告げる。
司郎にも肩を軽く叩かれ、彼女は恐る恐る、いつの間にか
「…………わぁ」
「スゲエだろ」
途端、彼女の口からは思わず感嘆の吐息が漏れる。司郎もやや自慢げに、腰に手をあてて笑っている。
「ここッテ……」
「城のてっぺんだ。俺以外、誰も入り方を知らないと思う」
そこは全てを見渡せた。
城下町から、そこへ繋がる五つの大きな街道。その道沿いに連なる多数の商店、街を隔てる二本の川、街はずれにある森、地平線の向こうの三日月型に大きく欠けた山。
それらを、まるで王か何かになったかのように
「お城の……一体、どうやッテ?」
「うん? 跳んできただけだ。ほら、あそこがさっきまでいた広場。上から見ればわかるけど、本当に街のど真ん中にあるでしょ」
司郎が指差すところを見れば、確かに人で賑わう大広場がある。しかし、彼女が今問いただしたいのはそんなことではなく。
「いえ、だから、どうやって空を飛んだんですカ?」
「……ああ、そっち」
「それに加えて、どうしてこんな所を知ってるんデス」
彼は少し考えるような間の後、手元の金属製のフェンスに寄りかかる。
その時、ふと小さく風が起こって、二人の間を通り抜けた。クリスティアのブロンドの髪が、司郎の上着の左袖が、それにつられてはためく。
「……少し、昔話に付き合ってくれるかい?」
「昔話?」
「うん。そんなに長くはかからないから」
それが何の答えになるのか、彼女にはまるでわからない。
だが、この話を聞かねばならないと、彼女の中の何かが囁いていた。
それに、疑問と共に見つめた司郎の横顔に色濃く浮き出ていたもの——哀愁のようなものが、彼女を強く引き留める。
やがて、彼女は小さく、しっかり首を縦に振った。
「ありがとう」と一呼吸置いて、司郎は——
——司郎と呼ばれる青年は、語り始めた。
◇◇◇
この世界は、かつては戦乱に満ちていた。
人間の住む計八つの国、一つの大陸を丸々飲み込んだ戦火は十年も燃え続けた。
かの"大戦"においては、無事だったものは何一つ存在しない。
あっちの世界で言う、"世界大戦"……アレと同じような——いや、もっと酷かったかもしれないな。
ともかく、あの時代はとても悲惨な時代だった。世界の誰もが破滅を予感した。人類の領域がなくなる、全ての国が滅びてしまう、ってね。実際、滅びる手前まで行ったんだ。
皆が争った理由はたった一つ。この世界を掌握し得る力の存在だ。
ソレは、人間では起こし得ない極大規模の超常現象を引き起こすことが出来る。規模だけじゃない。威力、効果、殺傷能力、殲滅能力……どれをとっても普通の兵器より強力で、凶悪だった。
ある一つの国を除いた七つの国に一つずつ、そこに四つ、いや、三つの例外を加えて、全部で十しかないモノ。
新たに作り出すことも、破壊し数を減らすことも出来ない。
それが、"神器"。皆が神と崇める武具。
いつから国家の権威と国力の象徴になったのかは誰にもわからない。
これよりずっと昔には誰にも近寄られなかったそうだし、そも国家なんてのも存在しちゃいないし。定期的に生贄を与える程度で済んでいたそうだ。
その後、いつの間にやら儀礼用の宝飾品になり、儀式用の宝具になっていた。
それを初めて兵器として運用したのは、戦乱において苦境に立たされたとある国と、そこに所属していたとある男。
後に、その大戦を終結させ、同時に"世界で最も命を奪った
◇◇◇
「——それが、ここ"エルサルド帝国"。そして、かつての俺だ。……出せる証拠は無いんだけどな」
「……そんな、ことッテ」
「信じられないのも無理はない。けど、実際そうなんだから仕方ないよな」
遠い風景を眺めながら彼は一人で呟くように言った。
表情、声音、どれをとっても嘘を言っている雰囲気は無い。
「……それは、皆さんはもう知っているんですカ?」
彼女の口を突いて出たのは、至極真っ当な問いの筈だ。
だが司郎はそれに笑って、
「自分のことより真っ先に皆のことか。いつも思うけど、やっぱり君は優しいね」
と、言った。
口調と雰囲気がガラリと変わる。どこか大人びたような、優しげで、儚げな。
彼女は今までこんな彼を見たことがない。
「俺はかつて、この世界に住んでいた。単に住んでいただけじゃない。あの大戦において、俺は数多くをこの手で殺めた。そこに区別なんてなかった。……あの時、君たちに取り憑いて蘇ったのも、その被害者だ」
「……ッ!」
「この世界じゃ別に不思議なことじゃない。神器に聖具ときて"魔術"まであるんだ。今更「魂が」とか「霊が」とか言われてもって感じするでしょ」
クリスティアはまず何から聞けばいいかにとても迷って、結局無難な問いに落ち着いた。
「……えっと……シロウさんは、ソノ……」
「何が言いたいのか、かな」
「…………」
彼女は何も言わなかったが、彼はその沈黙を肯定と受け取ったらしく、フェンスから身を起こして彼女の方に振り向いた。
その背後で、存在を主張するように中身のない袖が激しく揺れる。
「……もし、かつての俺がもう少しだけ賢くて、もっと力があったなら。あの場で皆に取り憑いた四人、彼らは死んでいなかったかもしれない。死んでいなければ、あの場にはいなかったかもしれない」
「だから、シロウさんが悪いと……そう、言うんデスか」
「ああ。そうだ」
「そんナ……」
納得はし難い。
それはそうだ。彼女は何も知らない。知っているのはただ一人、司郎のみ。
第一、それを知っていたとて、呑み込めはすまい。
「……まあ、それで納得してもらおうなんて思ってないよ。強制する気もない。ただ」
一度言葉を切ってから、どう言って聞かせようかを慎重に選ぶ。
そして、続けた。
「君は落とし所を見つけなきゃならない。その自責心と、何より君の良心と折り合いをつけなきゃならない」
「……自責心と、良心」
司郎は頷く。
「ハッキリ言う。あの時の事の発端は君だ。本来なら君は責められるべきで、現に今、君自身がずっと自分を責め続けている」
ちらりと視線をやれば、クリスティアは言葉に詰まり、顔から血の気が徐々に引いていく。
「……ハイ。そう、デス」
「でも、俺たちは君を責めたりはしない。君もまた被害者だから。君がどれだけ自分を追い詰めようが、俺たちは許す許さない以前に君を責めていない」
彼の瞳の奥にもう一つの光景が映る。
強い懐かしさを放つそこには、ある意味で同じ光景があった。
『お前には感謝している』と、かつての
『お前のおかげで多くの将兵が命を無駄にせずに済んだ。……俺たちは、お前に感謝している』
翌日にその戦友は死んだ。
ああ、覚えている。
この道の先を歩んだ者がどんな結末を迎えたのかを。
「でも、どれだけ俺がここで"自分を責めなくていい"と伝えたところで、きっと君の心には響かない」
「そんな、ことは」
「ある。人間なんてそんなもんだ。だから、かな」
司郎はフェンスから手を離し、クリスティアに歩み寄る。
そして、そのまま彼女を抱きしめた。
「——!」
突然のことで思考と行動が止まる。
身長差から、自然と彼の胸に顔を押し当てるかたちになってしまう。その表情を窺おうとして上目遣いに見上げると、彼はとても穏やかに微笑んでいた。
「抱え込む必要はない。無理をする必要もない。吐き出したいのなら吐き出せばいいさ。人間はそんなに強く出来ちゃいない」
「でも……ッ」
「でもじゃない」
ほんの少しだけ彼の語気が強くなる。
「……確かに過去は変えられない。変えられたらどんなにいいかと思う。でもそんなことは出来ない。起こしてしまったことを無かったことには出来ない。君の罪の意識を消すことも、おそらく」
「…………」
「でもそれも、"持っていく"ことならできる。次になら活かすことができる。生きてる人間の数少ない特権さ」
司郎はクリスティアを真っ直ぐ見つめている。そしてそれと同時に、どこか遠いところを俯瞰している。
「だから、落とし所を見つけるんだ。別に許さなくてもいい。だけど、"それで自分が納得できる"って自信を持って言えるところを探せばいい。残念ながら俺にはその手助けは出来ないけどね」
「納得……できる、でしょうカ」
「それは君次第だよ。けど、もしその途中で辛くなったり、行き詰まったりした時は——吐き出しちまえばいい」
彼女を抱きしめる腕に小さく力がこもる。
「俺でよければ……俺が嫌なら、飛鳥でも神裂さんでもいいんだ。話くらいなら聞いてやれるだろうし、相談にも乗る。謝らなきゃ気が済まないならいくらでも謝ればいい。怒りたいなら怒れ。泣きたいなら泣け」
次第に、司郎の背中に回された細腕に力が込められていく。
彼の腕の中で、少女の肩は小刻みに震えていた。
「それこそが、君が生きている証——まだやり直せることの何よりの証明だ」
くぐもった嗚咽が風に流され消えてゆく。
その中に時折混じる「ゴメンナサイ」という謝罪もまた、溶けてわからなくなる。
彼女の様子にようやく一息ついて、妙な感慨とともに再び地平線を眺めた。
——瞬間のことだった。
眼下に見える城下町、その一角において、轟音と土煙が爆ぜ上がったのは。
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