16.懊悩は続くよ今しばらく

 あれからまた幾日か。

 季節は冬ということで、気温は同時期の日本の東北に劣らず。体の芯まで底冷えさせる外気に対抗するためコート無しでは出られないほどだ。

 しかしながら、そんな環境にも負けず、その街は大きく賑わっていた。


「——美味っ!! なんだコレ、メチャクチャ美味ぇじゃん!!」

「〜〜〜〜〜っ! 美味しいいいぃぃ」

「…………」


 そして、その賑わいを楽しんでいる者達の中には、彼らも混ざり込んでいた。

 そこは街道が収束する中央広場の一角。露店や商店が立ち並び、客引きの声がいくつも聞こえる。人々の息で空気は白み、されど熱気を伴って辺りへ伝播する。

 そんな中、近くのある露店で購入した鶏肉を串焼きにしてタレをかけた一品を頬張りながら、その味に思わず叫ぶ宗治、言葉を失う飛鳥、黙々と食べ進める達哉と、ごくごく普通に一般市民に溶け込んでいる。


「……なんだ、あいつら意外に元気じゃん」

「そうね、誰のおかげかしらね」

「神裂さんも食べてくればいいのに。アレは本当に絶品だぞ」


 広場の片隅にある木造のカフェ。テラス席があり、丸テーブルがいくつかある内の一つ。

 そこから三人を安堵したように眺める司郎の横で、佐那とルネリット、そしてクリスティアはお茶を頂いていた。茶葉から淹れた割と上質な紅茶である。


「太りそうだし、遠慮しと——」

「ほらほら、佐那っちも食べようよ!」

「え、あちょ、飛鳥ぁ!?」

「あーあ、さらわれた」


 他人事のようにそれを見ていた司郎が視線を戻せば、鶏串のおかわりを買っているのが見えて、流石に苦笑せざるを得なかった。


「おいおいアイツらなぁ……」

「いいんですよ。皆様がお元気になられたようで、こちらとしても嬉しいです」

「いやぁ、ありがとうございました。外出許可どころかお金まで貰っちゃって」

「いえいえ、構いません。あの食べっぷりは見ていて気持ちいいですからね」


 誘拐された先で口に鶏肉を突っ込まれ、その美味しさと魅惑とに苛まれている佐那を尻目に、二人の会話は弾む。


「庶民の味というのは不思議なものですからね。私は基本、城でしか料理は頂きませんが、あの串焼きの味は忘れられません」

「結構降りてくるんです?」

「まぁ……執務の合間に、少しだけ」

「ふーん。随分フリーになったもんだなぁ。前は街に連れ出しただけで大騒ぎだったっつーのに。平和になったってことかな」

「?」

「あぁいや、こっちの話」


 いやにしみじみと息を吐いた司郎は、もう一度——今度は佐那もものすごい勢いで肉を頬張っている——三人に微妙な視線を向けた後、問題の彼女に目を向けた。


「その紅茶、どう? 口に合うと良いんだけどね」

「……ハイ。凄く美味しいデス」

「そっか。英国人のクリスティアさんがそう言うならここのはきっと本当に良いものなんだろうね」


 微笑んで、なんてことのないように戯けてみせても、彼女はただ肩身が狭そうに顔を伏せ、誤魔化すようにティーカップに口を付ける。

 それを見ていたルネリットは、二人を交互に見比べた後、おもむろに席を立った。


「……少し、外しますね」

「えっ? ああ、構いませんけど。どちらへ?」

「いえ、せっかくですから、より魅力を感じていただければなと」


 と言うと、彼女は未だに鶏肉屋の前でわいわいと騒いでいる四人の元へ近寄り、五人でかたまってどこかへ歩いてゆく。


(……ありがとう、皇女サマ)


 彼女の意図を察した司郎は心の中で感謝し、さてどうしたもんかとクリスティアに向かい合った。


(そうだなぁ……こっちは飛鳥よりタチが悪いからなぁ)


 考えているのはもちろん、彼女をどうやって立ち直らせるかである。

 この場合何が問題なのかと尋ねられれば、まず間違いなく、"事の発端が彼女にある"ことだろう。

 とても酷いことを言うようだが、佐那と宗治は一番簡単だった。佐那は何かをする前に達哉によって無力化されていたし、宗治はあれでかなり大雑把な性格だから「そんなもんか」で済んでいた。

 飛鳥も"司郎の左腕を切り落としてしまった"ことに罪悪感を抱え、戦うこと、命を懸け合うことに恐怖していたことが"鍵"だったので、彼がそれに対し全く何も思っていないこと、二度とあのような状況に置かないことを納得させるという手段が取れたのだ。


 しかしクリスティアは違う。

 まず明確に、あの事件は彼女が発端なのだ。

 彼女があの時、好奇心に負けずその辺にあった短剣を触りでもしなければ短剣の霊フィールは彼女を乗っ取ることは出来なかった。そしてその後の一連の騒ぎは起こることは無かったであろう。

 そして彼女は、それらの原因が自分にあるとわかっていながら開き直れるほど図太い性格をしてもいなかった。


(……仕方ないか。えーと、こういうのの常套手段その一、胃袋を掴む)

「ちょっと待ってて。すぐ戻るからさ」


 司郎は立ち上がり、彼女の返答も待たず屋台に駆け込んだ。


「串焼き二……いや、三本!」

「まいど!」


 ぱっぱと金を払って串焼きを受け取り、また席に戻る。そして彼女の眼前にそれを突き出した。

 ちなみに、一本多く買った理由は自分が二本食べたかったからである。


「はい」

「…………いいん、デスか?」

「良くなかったら買ってこないよ。ほら、冷める前に」


 更に数秒ほど躊躇っていた彼女も、食欲をそそる香ばしい匂いとタレがたっぷり塗られた犯罪的な見た目に負けたらしく、恐る恐るといった様子でそれを受け取った。

 司郎はそれを確認して、何かを言われる前に自分のを食べ出す。


「……うん、やっぱり変わってねぇな。相変わらず美味えわ」

「…………?」


 クリスティアは彼の言い方に引っかかりを覚えたらしいが、彼の視線の圧力と串焼きの魅力に押されて、その小さな口に串焼きの肉を放り込む。


「——!」

「はは、気に入ってもらえたようで何より」


 彼はその変化についつい小さく吹き出しそうになってしまった。目を見開き、我を忘れたように続きの肉を頬張る彼女の表情は、一瞬だけ素の彼女自身に戻っていた。やはり、相当塞ぎ込んでいるのは堪えるのだろうことは想像に難くない。

 あっという間に串を丸々一本食べ尽くしてしまった。


「美味しかった?」

「ハイ! とっても美味し、かった、デス……」


 彼女の笑みも、元の勢いも、徐々に減速していく。


(あちゃー)


 彼は作戦の失敗を悟った。


(掴めはしたし一瞬だけ戻ってくれたけど、それだけじゃ足りないか……んじゃその二、適当な雑談でも)

「ねぇクリスティアさん、ここはどう?」


 我ながらなんだそりゃと思うほど適当な問いだったが、彼女はしばらくして応じてくれた。


「……とっても、イイところだと思いマス。ワタシにも、ずっと良くしてくれてマシタ」

「そっか、よかったよかった」

「皆さんイイ人たちばかりで……本当に、頭が上がりまセン」


 本心からそう思っているようで、その一瞬だけ口角が僅かに上がる。


「ご飯も美味しいデスし、その……」

「その、何?」

「…………」


 また彼女は黙ってしまった。

 やはり相当精神がすり減っているようで、感情の起伏、表情の変化が激しくなっている。今はもう表情筋が震えて、泣きそうだ。


「…………あーもー! 止めだ止め!」

「——!?」


 何をやっても効果がないのにいい加減痺れを切らした司郎は大声と共に立ち上がる。

 それに驚いて、クリスティアはびくりと大きく肩を震わせた。


「ええい、クリスティアさん!」

「はっ、ハイっ!?」


 机にバンと手をついて、前のめりで、顔同士をグッと近づけて彼は勢いよく尋ねる。


「今からちょっと付き合ってもらうよ! 君に拒否権は無い! いいね!」

「えっ、あっ、エッ!?」


 持っていた鶏串を目にも留まらぬ速度で平らげ、串を捨てて彼は力強くクリスティアの腕を引く。

 その腕力には有無を言わせぬ力があり、唐突さも相まって彼女は抵抗できぬままに引っ張られる。

 そして、あれよあれよという間に、片腕でひょいっと抱きかかえられていた。


「んじゃぁ、しっかり掴まってろよ!」


 と言うと、彼は全身を弛ませ、大きく力を込める。


「こっ、これッテ……!」


 そこに、先日と似たような”力”の流動を感じたクリスティアは小さく驚きの声を上げ。

 次の瞬間には、全身に叩きつけられる強風と衝撃に耐えねばならなかった。

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