15:b.夜更けは安寧と共に

「……落ち着いたか?」

「…………うん。ありがと」

「礼はいいよ。元はと言えば俺の所為なんだから」


 ランプの控えめな光で二人の顔が暗く照らされる。

 あれから十と数時間。司郎は飛鳥に一日中付きっきりで過ごした、その夜。

 飛鳥をベッドに横たえさせて、自分は椅子に座りながら、目覚めてしまった彼女と言葉を交わす。


「気分はどう?」

「……うん、もう大丈夫」

「そっか、よかった」


 あれからしばらく後に溜まっていた疲れからか眠りに落ちた飛鳥は、今は幾分か憑き物の取れたような表情をしていた。そのことに司郎は安堵を覚える一方で、元の世界では全く見たことのない彼女の表情が忘れられないでいた。


「…………」

「…………」


 沈黙が流れる。

 お互いがお互いに掛ける言葉を探しては諦める、非常に気まずい空気が漂っている。

 無論、司郎とて無為に時間を過ごしたい訳ではない。だが、あれだけのことがあった手前——その証拠を体に刻みつけた本人というのもあって、気軽に茶化し終わらせるのも違うと思っていた。


「……片桐さん。俺は君に、言わなきゃならないことがある」


 しかし、このまま何もしないのはもっと良くない。それだけは一番してはならない。

 彼は右手を握りしめて、意を決してその頭を下げた。


「——すまなかった」


 彼も自覚せぬ間に彼の声は震えていた。


「俺が君たちを巻き込んだ。その所為で……大変なことになってしまった。全て俺に責任がある」


 言い訳をする気はどこにもない。

 ただ己の内側にあることだけを述べてゆく。


「何と言われようと、どう思われようと、俺には弁解の余地は無いしする気もない」


 顔を伏せた司郎から飛鳥の表情は見ることはできない。

 怒っているだろうか。驚いているだろうか。

 ……少なくとも恨まれてはいるだろう。

 しかし彼はただ待つことしかできない。それが、彼に許された唯一の行為。

 どんな罵詈雑言を浴びせられようと、甘んじて受け入れねばならない。


「……ねぇ」


 待つことしばし。彼女は恐る恐るといった様子で声をかける。

 彼は下げた頭を動かさず、応じる。


「何か?」

「……その……とりあえず、顔を上げて」

「いいのか?」

「うん。……もう、大丈夫だから」


 またしばしの沈黙の後に、彼は姿勢を戻した。


「……司郎君は、悪くないよ」

「そんなわけはない。俺は——」


 彼の言葉はしかし、彼女に遮られる。


「ううん、違う。司郎君は何も悪くなんてない。あの時あんなことになるなんて、誰もわからなかったし……むしろ、謝らなきゃならないのは」


 彼女の言葉は続かなかった。

 代わりに、その視線は彼のある一点へと向く。あるべきものが無い——たらりと力なく垂れ下がった部屋着の袖。取り憑かれた彼女が切り落とした、左腕。

 彼がその意味するところを理解するのに時間はいらない。


「……君だって悪くない。仕方がないことだ。操られていたんだから」

「でも……っ」


 決壊したダムが洪水を引き起こすように、彼女の中で積もり積もっていたものが遂に溢れ出した。


「でもっ、私、なんにも出来なかった……っ! 二人が必死で、止めようと、してくれてたのにっ! それっ……それ、なのに」


 また目から大粒の涙を流しながら、それを隠すように両手で顔を覆う。


「私……司郎君を、傷付けて……」


 司郎は久々に、心の底から自分をぶん殴りたいという衝動に駆られた。

 昔から、こと他人の心を察するにおいて、常に後手に回るのが彼の性質だった。"起こって初めて気付く"のだ。自らに関わらなければ一切気に留めやしないし、ましてや気付きさえしない。

 最低だ、と思わず零していた。


「俺は……最低だ。君を、いや、君だけじゃない。皆をこんなにまで追い詰めておいて、見て見ぬフリを決め込んで……本当に、底なしのクズだな」


 飛鳥がぐっと力を込めて顔を覆っている両手のうち、右手だけをそっと握ってはがす。

 今だけは左腕がないことが恨めしい。


「片桐さんは、優しいから……こんな俺でも許そうとしてくれる。でも俺は、取り返しのつかないことをした。俺は、俺自身が許せそうにない」


 言いながら、何故、と自問する。


(何故気付かなかった? 張本人のくせに、元凶のくせに!)


 つまるところ、彼女があの時に感じたのは単なる"恐怖"ではないということだ。

 体を乗っ取られる恐怖。

 自由を奪われ操られる恐怖。

 友と戦い、傷付け、手にかける感触への恐怖。


 ——そして、殺される恐怖。


 常人が平然としていられるわけがない。ここより遥かに安全で様々なものに守られた世界の生まれでは、特に。

 一生分をかき集めても足りないだろう。


「だから、今ここで君に誓うよ」

「待って……待ってよ」


 彼女はとても不安そうで、不満そうだった。


「どうして、司郎君がそんな風に言うの?」

「……俺の所為で、君や、君以外の皆を危険に晒したから。違う、聞いてくれ。君は何も悪くないんだ」


 すぐさま否定しようとする飛鳥を先に制して彼は続けた。


「俺はね、知ってたんだ。多分ずっと昔から」

「……え?」

「思い出したのがちょっと遅かったけど」


 拳が自然と握られる。


「俺があの神器を使えたのも……あの時、あれだけ戦えたのも。俺の中にかつての記憶があったからだ。かつて——この国で暮らしていたころの記憶が」

「何……何を言って」

「だから、知ってたはずなんだ。あの場所が危険だってことも、あそこに皆を入れたらどうなるかも。……君は、本当になんにも悪くなんて無いんだ。だって君は、ただ操られてしまっただけなんだから。止める方法なんてなかったよ」


 それは嘘でも偽りでもない本心。

 彼はもう失いたくない。彼女や、仲間達に重荷を背負わせたくない。

 それだけが、今の彼の望み。


「いいかい、あの時君は"俺に連れられて"あの場所にいた。そして"俺の不注意の所為で"体を乗っ取られた。全て"仕方がなかった"ことで、誰がどうこうできるような状況じゃなかった。


 静かに、だが確かな言外の圧と共に彼は飛鳥に迫る。


「それがこの世界の生き方。仕方がないことは仕方がないと割り切り、結果に明確な代償を求められる——ここはそんな世界だ」


 飛鳥の目に映った彼は、とても、とても哀しげな顔をしていた。

 目尻眉尻がぐっと下がり、この前の無感動で敵対的な瞳からは想像がつかない表情だった。彼女は何故か自分が安堵しているのを実感する。


「だから俺は、今ここで君に誓う。もうあんなことは起こさない。もう二度と……二度と皆を危険な状況に置いたりはしない。それが、俺に唯一できる無条件の保証だ」

「そんな、こと……司郎君は、そうする為に、また……」

「うん。また戦うことになると思う。どんなことが起こるかはわからないから」

「でも、それじゃあ……そんなの私……っ」

「納得できないかい?」


 彼女がゆっくり頷くと、司郎はとても困ったような笑みを浮かべた。


「……ま、はっきり言ってこれはただの俺の我儘だからなぁ。でも、もし、もし君がまだ自分が悪いと思い込んでいるなら、この我儘を聞き入れて欲しい。それでチャラだ」

「…………ずるいよ、そんなの」


 ごめん、と謝る司郎の顔は穏やかで、この世界に来て飛鳥が初めて見る、彼の自然な笑顔がそこにあった。


「……そうだな、今度、皆で城下町にでも行ってみようか」

「城下町?」

「ああ。忘れてるかもだけどここは帝国の首都だ、あるのは城だけじゃない。俺が案内してあげるよ。気分転換には丁度いいだろ。美味いもんが山ほどあるぞ、例えば——」


 と、唐突に聞いたこともない料理を指折りで数え始めた司郎。

 飛鳥は当然何も知らないのでしばらく目をぱちくりさせていたが、料理の名前や特徴で浮いたり沈んだりを繰り返す彼を見ていたら、次第にその様子が可笑しく思えてきて、堪えきれずにくすりと笑ってしまった。


「あぁ、やっと笑ってくれた」

「……!」

「そうそう、片桐さんはその顔が一番だよ。あ、皆もそうだけどな」


 彼女は遂に、実に一週間と少しぶりに、心からの笑みを浮かべた。

 司郎はそれが素直に嬉しくて、つられて笑う。もう何の心配もないだろう。


「さ、そろそろ夜も更けてきた。おやすみ、片桐さん」


 彼は話を切り上げて椅子から立ち上がる。

 そしてベッドから離れようとして、ふと、何かに引っ張られる感触を覚えて立ち止まった。


「?」


 振り返ってみれば、力なく垂れた彼の部屋着の左袖を、飛鳥の手がきゅっと握っていた。


「どうかした?」


 まだ何か話すことがあったかと彼女の顔を覗き込む。

 彼女は彼女で、自分自身に戸惑うような仕草を見せた後、少しだけ顔を布団に沈めながら呟く。


「……あ、飛鳥で、いい、よ……」


 その、空気に溶けて消えるか否かという絶妙な音量の呟きを、彼はしっかりと両耳で捉えた。


「……わかった。おやすみ、飛鳥」


 くしゃくしゃっと頭を撫で、彼はランプを消してさっさと部屋を出て行く。

 誰もいなくなった部屋の中で一人、飛鳥はがばっと布団を丸かぶり。

 幸いなことに睡魔はようやく仕事をする気になってくれたようで、数分もせずに彼女は久方ぶりの安眠へと誘われていった。

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