15:a.沈みゆく者と弱き者
片桐飛鳥はごく一般的な女子高生である。
……であった、はずである。
何故か唐突に異世界なる場所へと連れてこられ、あれよあれよの間の後に、今ではどこかの国の貴賓の如き扱いを受けている。
身につけているのはここに来た時の制服ではなく貸し出された簡素なドレス。食事は一日三食、風呂にも入れる。おまけに城の中を歩き放題。
この城の中で出来ることの大半は許されているのだろう。
だがしかし、現在の彼女はそんなことが頭から吹っ飛ぶくらいの焦りに襲われていた。
それが一体何故かと言えば、
(……ここ……どこぉ……?)
……迷子なのである。
もっとも、日も昇らない朝早くにそこまで詳しくもない巨大な城の中を案内も付けず一人で出歩けばこうなるのは目に見えていたと言っても過言ではない。
事の理由は至極単純で、気分転換のようなものだった。
ここ最近の寝付けの悪さと気分の悪さで休むに休めず、眠ろうと思っても上手くいかない。一睡も出来なかった日もしばしばある。
そしてついさっきも、どうしても睡魔が近寄ってくれないのでベッドの上で唸っていたわけだが、そろそろ体が限界を迎えそうなので休まねばならないことも理解しているわけで。少しでも気分を紛らわせなくてはと、ちょっとだけでも体を動かそうと意を決してから……三十分。
目端に玉の涙さえ薄らと浮かべながら彼女は泣き言を漏らす。
「こんなことになるなら出歩かなきゃよかった……最初の方はまだ明るかったのにぃっ」
日が出ていない早朝も早朝、人が活動していないので設備の灯りも無い廊下はひどく暗い。自室としてあてがわれた部屋の近くは照明が点灯していたのだ、と飛鳥は自らに言い訳するように言い聞かせた。
文字通り"一寸先は闇"、足元がどうにかわかるくらいの光しかない中で、彼女は一人でへたり込んでいる。
典型的なホラー嫌いである彼女は、背筋が凍りすぎて石にでもなったようだった。
例え目の前にあるのがただの暗がりだったとしても、『そこに何かいるんじゃないか』とあらぬ不安を抱いてしまうのが彼女である。普段の凛々しさは欠片も残っていない。
さて、気分転換するどころではなくなった飛鳥だが、ここで彼女には幸運が訪れた。
まるで見かねた天上の神が慈悲をやったかのように、薄らと空が白み始めていたのだ。
「夜明け……よかった……!」
本来の目的からすれば大失敗していることは頭からすっぽ抜けている彼女は、ようやく自分を取り巻く暗闇から抜け出せることに安堵した。
まだ昼と比べれば暗く寒い廊下だったが、明かりがあるだけで随分とマシでもあった。
彼女は壁に手を触れながらも意気揚々と歩き出し——さらに一時間。
ようやく建物内に白い光が差し込んで視界が開け、彼女は一つの事実をより強く認識する。
"さっきより迷っている"、と。
もはや彼女は今まで来たことのない場所にいた。
「誰かー……いらっしゃいませんかー……」
彼女の言葉は虚しく響き、返答は無い。
「戻ってみる? ……でも、また迷うかもしれないし、動かない方が……見つけてもらえるかな?」
自分の方向音痴をよく知っている(今まさに痛感している)彼女にとって、これ以上歩き続けるのは得策とは言えない。だが、こんな人目につかない所で立ち止まっていて救助されるとも思えない。
さてどうするかと考えた、その矢先。
——どこかから、音が聞こえてきた。
何度も何度も響き渡るそれは、硬質の物体がぶつかり合う乾いたもの。それも、かなり近くから聞こえてくる。
人の生活音にしてはやけに鋭い音だったが、彼女はそれに縋るしかなかった。
幸いにしてその場所はすぐに見つかった。
「えっと……"トウ"、"ギエン"、"シュウジョウ"……あれ? "トウギ"、"エンシュウジョウ"……"闘技演習場"? 日本語?」
疑問を抱く間にも、音はどんどんとペースを上げ、大きさも変えていく。それに混じって、小さく人の声らしきものも聞こえてくる。
やっと誰かに会えたことの安堵感に満たされながら、彼女はやたらと大きな扉を通り、柱のそばからチラリと顔を出し——
——ズガアァン!!
「「あっ」」
顔のすぐ横の、石で出来ているはずの柱に凄まじい轟音で木剣が突き刺さったのと、屋根のない開けた部屋の中央にて組み合っていた男二人が間抜けな声を上げたのはほぼ同時だった。
飛鳥はその場にへなへなと座り込む。
何時間も続いた不安からの解放と共に訪れた鮮烈な恐怖により、彼女の理性の糸は「ぷっつーん」と音を立てて切れた。
「すまん! 大丈夫か!?」
二人の男の片方、持っていた剣を吹き飛ばされた司郎が慌てて駆け寄る。
怪我をしていないか確認しようとして飛鳥の前で座り込み——そして、はっと固まった。
ぐしゃぐしゃに顔を歪ませて、両目から頰に雫を伝わせる飛鳥の様子は、彼を酷くぐらつかせた。
「……そう、だよな。当たり前だよな。俺だって同じだったんだから……」
彼は自分が聡い人間だとは思わない。
だが、今彼女が泣いている理由、それだけはすぐに理解できた——否、理解できなければならなかった。それが全ての元凶としてのせめてもの責任だった。
彼女を不安にさせた理由。
彼女を追い詰めてしまった現実。
その意味を、彼はもっと強く自覚しておくべきだった。
「ごめんな……本当に、ごめん」
今更すぎる自責と共に、司郎は飛鳥の背後に腕を回し、ゆっくりと頭を撫でる。
やがて何かが吹っ切れたのか、飛鳥は彼の胸に顔を押し当てて声を憚らずに泣き出した。彼はそれをひたすら慰めながら、謝罪の言葉を口にする。
彼に出来ることは他に何もなかった。
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