12.掴み取ったもの
彼の体は自然と飛び出していた。
己の内側から沸き上がる声に誘われるように、自分でも驚くほど冷静な頭で。
凄まじい勢いで迫るいくつもの凶刃を眼前に見据えながら。
無謀とも呼べる動きで、がむしゃらに。
「達哉君!?」
巴の悲鳴も背後に置き去って、彼はただ目の前の敵と己のみをその感覚の世界においた。
全てが鈍化する。
本来は目に留めることはおろか視認すらできないほどの瞬速の撃でさえ、彼は確かに軌道を捉え、さらにその先コンマ数秒後の動きをすら読むことが出来た。
——絶対に意識を散らさないで
——もし失敗すればそれでお終い
——チャンスは一度、それも一瞬しかない
鳴り響く警鐘を受け入れる。彼の行動を止めようとがなりたてる本能を理性で力強く押さえつける。
あまりの
だが、今はそれでいい。
「——【
咄嗟に頭に浮かんだ言葉を、そのまま声に出して反芻する。
そして、体に刃が到達するまでの間の僅か数瞬の内に、彼は床を強く踏み抜いた。
手の内にある本が熱を帯びる。
ひとりでに鎖が解け、光となる。
彼の無意識の動作を起点として、ソレは内に秘めたる力を解放した。
「「ッ!?」」
ちょうど達哉のすぐそばにいたクリスティア——フィールと、彼の行動にすぐさま反応し超人的な速度で接近した飛鳥——ユルの剣を、白光の鎖が幾重にも巻き取った。
刀身から腕、胴体、体全体へと及び、彼女らの身動きを完全に封じる。その隙間を、達哉は自身が出せる全速で駆ける。
正面から戦闘を起こしたとしても絶対に彼は勝てない。
巴でも、ルネリットでも無理だ。彼の友らの体を操る戦士たちに敵うものはこの場にいない。
だが、もし。
もしそんな存在があるとするならば。
そしてそれを、今再び立ち上がらせることができるならば。
彼らの未来はそこにしかない。
「……リュウ! 止めろッ! その
ここに来て余裕をなくしたフィールの声が突き刺さる。一瞬にして彼の狙いを正確に言い当てるその洞察力と判断力は、やはりリーダーたる所以か。
「ってなわけで、悪いね少年。こっから先は行かせない……よっ」
と、軽い調子の文句と同時、部屋中の空気がかき乱された。
(うわ!?)
達哉は急制動をかけて足を止めざるを得ず、目の前で大槌を振り抜いた姿勢のまま息を吐く佐那——リュウを真正面から睨んだ。
「……ねぇそれ、どう見ても物理法則を遵守してると思えないんだけど?」
彼の異議申し立てに対して、リュウはニヤリと、どこか清々しいと思えるほどに綺麗な笑みを浮かべた。
「キミの理解を超えたもんなんてこの世界じゃいくらでもある。呆れかえるほどね。キミの持ってるその本だって例外じゃないさ」
身長以上の長さと大きさを誇る槌を片腕だけで振り回す女戦士の言葉は説得力が違った。
「……押し通らせてもらう」
「やれるもんならやってみな」
余裕を見せるリュウに向けて突進する。
正面からの戦闘は愚の骨頂。不意を突くか、隙を作って通り抜けるか、動きを多少留めることしか彼には出来ない。それも、その大振りな得物の間合いの内側に入り込むことが出来ればの話だ。
再び【緊縛】を叫ぶ。彼の声に従うべく中空より光が滲み出し、何本もの鎖を織り成してゆく。そして、一斉にリュウへと向けて伸びだしたと同時に彼もまた地を蹴った。
「ふーん……? 結構使いこなすじゃん。でもちっとばかし芸が足りない、ねっ」
鎖はあっという間に槌全体を縛り付け固定したが、ふと腕に力を込め、持ち上げた途端、それらはまるで紙か何かと同じようにあっけなく引きちぎられた。
それに加え、ついでと言わんばかりに頭上から槌を振りかぶって落としにかかる。あれだけの巨大さだ、当たればひとたまりもないだろう。
——大丈夫
だが、それでも。
例え、生死の瀬戸際に立っていたとしても。
今まさに命のやり取り、駆け引きをしていたとしても。
彼はどこまでも冷静だった。
恐怖はもちろんある。怒りも、後悔も、もしかしたらわずかに畏敬の念すら抱いているかもしれない。
だがそれよりも。
そんな感情程度には揺らぎもしないほどの安心がある。
その安心が彼に囁く。
——もういちど
それだけで力が湧いてくる。
全能感が体中に広がって、神様にでもなったような錯覚すら覚える。
それが消えてしまう前に、彼はまた力ある言葉を紡いだ。
「——【
再び鎖が音を立てて湧出する。先ほどよりも多く、槌だけでなくリュウ自身をも埋め尽くすほどの勢いで。
「やーっぱ芸がないね!」
彼女が何を考えているのか達哉にはわからないが、きっと戦士として戦うことに喜びやそれに準じた感情を持っているのだろう。打って変わって少しばかり退屈そうに槌を両手で持ち、横にして眼前に掲げた。
彼の鎖ではいくつあっても変わらないと判断したのだろう。そしてその判断は決して間違いではなく、彼女の全身を、腕から足のつま先まで文字通り埋め尽くす勢いで鎖が巻き付いても、やがてミシリと音がする。
(……かかった)
だがそれを見て、彼はにわかにほくそ笑んだ。
手の中の本もまた強く熱を発する。まるでこの事態を喜ぶかのように。
リュウの体に巻き付いた鎖の一本。
槌を伝い、腕を伝い、胸から腰に向けて伸びるそれが、黒く変色する。
それもただの黒ではなく、もっと禍々しい、見る者全てに「危険」だと悟らせるに十分だった。
「……っぐ」
いち早く気付いたリュウは抜け出そうと驚くべきほどの力を込めたが——遅かった。
「何、だ、これは……? 何を……し……」
全て聞く間もなく彼は駆け出す。
数秒後、その背後でどさりと何かが倒れた音がした。
タブー。それは禁忌。
「禁じられた呪い」であり、「禁じるための呪い」。
封じるとは即ち禁じるということ。
存在を禁じられた者は、決してこの世に在ることはできない。
(もうすぐだ……)
彼は前を見据え、距離を測る。あと数メートルもない。彼を止められる者もいない。駆け抜けるのみ。
すべきことは明確で、彼はそれを為すことができる。
行ける、とそう思った。
……だが。
バリン!
離れた所で何かが砕けたような音がした。
嫌な予感が脳裏に過って、彼は咄嗟に振り向く。
空気が動いた。
「……!?」
音を立てて空を切り、彼の目と鼻の数ミリ先を何かが掠めて飛んで行った。
向こうの壁にまっすぐ突き刺さったのは、一振りの鋭利すぎる薄刃。
【緊縛】の鎖から逃れたユルが、彼女の持っていた剣を投げつけたのだ。
(どうやって!? 完全に縛ったはず……!)
あまりの事態に躓きそうになり、再び足を止めてしまった。
絶対に動けないはずだった。何も出来ないように縛りつけたはずだったのだ。だと言うのに、何故か彼女はそれを脱し、
その理由を問う暇すらも彼には与えられない。
「タツヤ様! 逃げて!」
「……あっ?」
突然名前を呼ばれて我に帰る。視界の端に入った、ルネリットの必死の形相を見て何かを悟る。その瞬間、彼は気付いた。
「よォ、やってくれるじゃねェか。おかげでちったァ楽しめたゼェ」
いつの間にか、だった。
全く気付かない間に、彼の間合いの内、敵の射程圏内にいた。それだけ接近を許して尚、いざ攻撃されるまで気付かなかった。
戦慄と同時に、今まで忘れかけていた恐怖が呼び覚まされる。
(間に合わな……っ)
彼は反射的に身を強張らせてしまった。動きが完全に止まる。最大の隙を晒したことになる。
「がらあきだゼ?」
宗治——レンはニヤリと笑う。
それを待たずとも目の前から斬撃が迫りくる。絶望的な状況。
ここまでか、と思ってしまう。
もう助からないことを心が理解してしまう。
そして、
(……悔しい)
と彼は表情を歪ませた。
——その時だ。更なる変化が起きたのは。
「……!?」
達哉はその光景に驚愕した。何が起こっているのか瞬時に理解できなかった。
彼の体の前に、小さな白い障壁が展開された。先ほどフィールの攻撃を防いでくれたバリアだ。
レンが振るう刀と障壁が激突する。……かに、思えた。
刀は何の抵抗も見せることなく、するりと障壁に食い込んだ。
それだけではない。全く勢いを落とすことなく刀は真上に振り上げられる。正しく一刀両断。切られた障壁は空気に溶けて消えた。
達哉は
その間にレンは更に一歩踏み込み、流れるような繋ぎで横薙ぎの一閃を放つ。
今度こそ避けられる気がしない。
運動能力は明らかに負けているし、防御も叶わない。もはや近すぎて【緊縛】を撃てる距離にもない。
次こそ自分は死ぬ。その刃で首を掻き切られて死ぬ。この一撃にはそれが出来る。
本当の本当に終わり。どうにも覆すことのできない結果が迫っていた。
(ちく、しょう)
悪態が漏れる。
もう、手を伸ばせば届くところに”彼”がいる。彼らの未来を開くことが出来る。
だがそれをするには圧倒的に時間が足りない。鈍化した知覚の世界で、彼はひたすらゆっくりと迫る刀を見据え続けることしか出来ない。
それが、やがて彼の首に到達し、何の抵抗もなく切られるさまを彼は幻視した。
——そうなるはずだったのだ。
「…………あン?」
「——!?」
刹那の瞬間だった。
ガクン、と達哉の上体が傾く。まるで後ろに引っ張られるように。床に背中を落としこむように。目に見えるほど明らかに加速して。
達哉にはその原因がすぐにわかった。手の中の本が熱を帯びていた。声こそ今は聞こえなかったが、理解は出来た。
鎖が彼を引っ張ったのだ。地面からいつの間に生え伸びた一本の鎖が彼の胴体に絡みつき、思い切り引っ張っていた。彼はまた本に助けられた。
(今しかない……!)
彼は確信する。これが最後にして最大のチャンスであると。本もそれを理解していたようで、探す必要すらなく達哉は”彼”を見つけた。ちょうど倒れ込む方向に”彼”がいる。
この際、レンのことなど意識の内においていられない。多少無理にでも手を伸ばす。ゆっくりと近づく。熱が一層強くなる。
これが終わった次の瞬間には、達哉は死んでいるかもしれない。
でもそれでいいと思えた。地球にいた頃は絶対にあり得なかっただろうが、確かに達哉はそう思えたのだ。
手が触れる。”彼”の背中に斜めに走る一筋の傷の上だ。
未だに血が流れ出続けている。
これだけ死に近い状態になっても、どれだけ生存の希望が無いに等しいとしても、”彼”は、”彼”の体は生きることを諦めてはいない。その証左だった。
次の瞬間。
達哉の体を、腕を、指先を伝わり、熱い何かが伝わっていく。彼の中にあるものが、彼が持っているものが。
まるで手の血管全てが”彼”と繋がってしまったかのように。達哉の全てが押し流されそうになるほど強く熱い何かが。
(これ……は……?)
「ちィ。してやられたなァ」
レンはそう吐き捨てると、刀を振り抜き終えたと同時に大きく背後に跳んだ。
無理な体勢でいた達哉も自然と尻餅をつく。——乾ききった床の上に。
「……え?」
”彼”に背中を預けた状態で、達哉はその異変に気付いた。
無い。
血が、一滴も無い。
さっきまで、この辺りは流れ出た血で深紅に染まっていたのに。
それを確かめようと体を浮かしかけた所で。
「…………あれ?」
彼はもう一つ気付いた。
それは視線。こちらに送られてくる幾つもの、様々な感情がこもった視線。
恐怖。敬意。驚嘆。希望。歓喜。……絶望。
それらはただ一心に達哉の方に向けられていた。正確には、達哉の背後にいる者に。
彼もまた体を起こして、視線を動かす。彼の敵と同じように。
(……あ、あ……!)
そして、”ソレ”を見た。
ゆっくりと起き上がり、立っている者。
特に力を込めているでもなく、何の意志も感じられない。
だがその眼は金色に輝きしっかと開かれ、”彼”の敵らを見つめていた。
手にしているのは石の剣——否、鍔中央に嵌った青い宝石が輝く金色の剣。パチリ、パチリとその表面を紫電が走る。
達哉は、掴み取ったのだ。
彼らの未来を。
彼は——英雄は、立っていた。
目覚めし雷の神を従えて。
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