11.無邪気な希望

 達哉の視界は止まっていた。

 真っ黒なヴェールに包まれて、敵も味方もあらゆるものを隠してしまっていた。

 彼は恐る恐る目を開く。すると突然、視界の一点に白いもやが生まれ、全体に広がり覆いつくして光を放つ。


 世界は、あの瞬間で動きを止めていた。

 あるいは、彼だけが時間という概念のない別のどこかへ飛ばされてしまったかのようだ。

 彼は一言も発せなかった。一ミリも動くことが出来なかった。何か見えない鎖に縛られているかのようで、しかし、彼の心は温かかった。

 赤く染まった司郎のように冷たくなることはなかった。彼はそれに安堵する。

 沈黙だけが彼を支配した。


 だがしかし、その沈黙も、薄い膜を剥がすようにいとも容易く破られた。


——ねぇ


 彼は声を聞いた。

 どこからともなく響いてくる柔らかな声。

 彼に安心を与えてくれる穏やかな声。


——力を貸してあげようか


 達哉は訝しみ、そしてすぐに、自分も何か返事をしなければならないという焦りに駆られる。


あなたは誰?


 彼の意志に反して、声が音となって口から発されることは無かった。

 ただ、彼の耳は確かに彼自身の声を聞いた。


——私は私。キミに力を貸してあげたい者


どうしてそんなことを?


——キミが私の主に似ているから


 言葉の意味はわからない。

 だが彼は深く安心していた。そうさせるだけの不思議な力がその声にはあった。


——意識を集中するんだ。自分の内側に


——やり方を教えてあげる


 彼は目を閉じた。その他の全ての感覚も消える。意識が、その向く先が固定される。

 彼の中に恐怖はない。声に疑問を抱くこともない。


——私がキミに力をあげる


——でも、どう使うかはキミ次第


——私が助けてあげられるのは、これきり


 少しずつ、意識が沈む。

 めらつく炎が彼の腹の奥底に溜まっていく。

 微風すら吹かない閉鎖空間の中で、静かに血潮が沸き立つ。

 今なら何でも出来る。そんな気がした。


——さぁ行って


——ここからは、キミの番だ


何をすれば?


 漠然と尋ねる。

 それでも、彼の心はもう、置き石のように微動だにしていなかった。

 その先の答えも、もしかしたら、既に分かっていたのかもしれない。


——それはキミが決めること


——キミの未来はキミのもの


——それに、未来は与えられるものじゃない


——勝ち取るもの。その手で奪い取るものだ


 彼は、達哉は、その声の言葉を。

 自らを深い安心と平静に落とし込む謎に満ちた言葉を、これ以上無いほど素直に受け止めた。


 そして、再び時が動き出す。

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