10.逆境

「司郎ぉ!!」

「司郎君!!」


 真紅に染まる床の上、血の池に体を横たえた司郎を見て、達哉と巴は絶叫した。

 信じられなかった。

 日本にいた頃には絶対にない——それこそ、彼らが今まで見たことがないほどの凄惨せいさんな光景であった。

 そしてその中心に、彼らの仲間がいるなどと、こうなることを誰が予見できただろう。

 その手を下した人物が——


「フフ……ハハハハ、ハハハハハハハッ!!」


 彼が、最も信頼をおく友であるなど。


「あーぁ、派手にやったねぇ。千年ぶりに人を切った感触はどうだい?」

「控えめに言って最高だぜェ!!」


 達哉はその時、果てしなく混乱する頭で、どうしてか酷く冷静になってしまっている思考の片隅で、不思議に思った。


(あれは……宗治、なのか? いや違う。あいつは絶対あんなことはしない。クリスティアさんだってそうだ。こんなことは有り得ない)


 もしかしたらそれは、意図せずの現実逃避だったのかもしれない。

 それでも、そう思うことは止められない。

 ふと、思い出す。


(そういえば、片桐さんと神裂さんも……ッ)


 司郎とクリスティアの攻防の折、彼女の不意打ちによって宗治が蹴り飛ばされ、それにぶつかる形で二人もまた吹き飛ばされていた。

 まるでブリキの人形か何かのように軽々と宙を舞う様子は、その現象の異様さを際立たせるものだった。


(宗治が起き上がって来たんだから、二人だって——)


 と、思い至ったところで、彼はもう一つの可能性にも気付く。

 それは、決して起こって欲しくない最悪の予感。だが同時に最も現実性の高い悪寒。


(……もしかして、あの二人も……っ!?)


「——ストップ」


 まるで達哉の心中の問いに答えるように、背後から小さく声が掛かる。

 そしていつの間にか、首筋に冷たい硬質の輝きがあった。


「……片桐、さん」

「…………」


 彼女もまた、静かに剣を持っていた。その瞳に光はなく、ただ無機質な視線を達哉に浴びせてくる。


「は~い、こっちも大人しくしてて~?」

「神裂さん……あなたまで……」


 その隣では、巴もまた為す術もなく拘束されていた。

 佐那は顔に満面の笑みを浮かべており、どこか柔和な印象を受ける。しかしもし機嫌を損ねでもすれば、たちまちに切り殺されてしまうだろう。そんな予感を抱かせてくる。


「……君、たちは——っ」


 達哉は、自らの命が握られていること、そしてかつてない混乱した状況に置かれて、平静を保っていられるほど豪胆な人間ではなかった。

 どうにかして冷静になろうと、掠れそうになる声をどうにか絞り出して、先ほどから次々と湧き上がる疑念を言葉にしようとした。


「喋らないで。次は殺す」


 しかし、喉元により強く刃を食い込まされてしまえば、そんなことをしようとする気力すら一瞬にして吹き飛んでしまう。

 本当に、彼が知るかつての仲間たちの面影はどこにもなくなっていた。

 触れられただけで一筋の傷が痛みもなく走り、微量の血液が音もなく流れだす。


「おいおい、止まれ止まれぇ。殺しちゃ困るよぉ。それに、もう目的は果たしたし、時間も必要だ。少しくらいなら答えてあげなくもないぞぉ、少年」


 慌てた様子で飛鳥を諫めるクリスティア。

 数秒後、達哉の首元から刃が僅かに遠ざかった。それだけで、心がだいぶ軽くなってくれる。

 だが、友人の死や、未だに武器を携え睨まれているこの状況において、混乱より勝るものは他にない。そんなことをしている暇があるのかと自問自答を繰り返す。それは今この状況において正しい行動なのかと”誰か”が問いかけてくる。


「……君、たちは、一体、誰なんだ?」

「……へぇ、本当に質問する余裕あったんだぁ。ちょっと見直したぞ」


 もう前後左右何も何だかわからない混沌の坩堝るつぼと化した彼の思考が一歩前進するより早く、彼の口は開いていた。

 恐怖からか、はたまた好奇心からか。彼には判別がつかない。

 そんな彼の様子すら一興とばかりにクリスティアは笑う。


「私たちは、武具に魂を吸い取られた者たち。早い話が怨霊ってヤツよぉ」

「オイオイ、そんな言い方ねーゼ姉御」


 そこに口を挟んできたのは刀を片手にはしゃぐ宗治。その刃は友の血で赤く濡れ、今も滴り落ちている。言葉の語尾が独特な濁りをするためやや聞き取りづらい。

 口調から、二人は相当に親しい関係にあるらしいことだけは想像がついた。


「何がだいこの愚弟が。私の楽しみ取りやがってぇ」

「なぁんだよ、つまんねぇなァ。苦戦してたんだから丁度いいだろォ」

「よくねェわボケ。あの緊迫感がたまらねぇんだろぉがぁ」


 二人は達哉の目の前で言い合い、遂に顔を近づけて殺気すら飛ばし始めた。

 たったそれだけのはずなのだが、達哉にはその剣呑な気配が黒く可視化して見えるかのような”圧”を感じる。

 なので、彼らが一言を発するたびに、達哉は命の危険を全身で感じるはめになっているわけだが、当人たちが気にする様子は欠片もない。


「まぁ~ったく。相っ変わらず面倒臭い奴らねぇ~」


 それを見ながらため息を吐くのは、神裂佐那、に憑りついた何者か。

 彼女の場合は明らかに異常だった。武器は大槌。彼女の身長と同程度かと思われるほどに巨大な槌だ。柄そのものすら、彼女の腕と同じくらいの太さがあるそれを、あろうことか片手で持ち上げ、更には肩で支えてもいる。

 "剛腕"というより、物理が仕事をしていないようにしか思えない。


「……神裂さん……じゃ、ない?」

「そそ。わかってきたじゃないか~。理解が早い子は嫌いじゃないよ~?」


 槌の柄の先っぽで背中を軽く叩かれる。その巨大な見た目に反して、肘で小突かれたレベルの衝撃だった。


「あの二人に変わってあたしが紹介してあげるよ~。まずあの小っちゃいに入ってるのがフィールで~、その近くの男がレン。で、そこのお嬢さんがユルで~、私がリュウっていうのよ~」


 未だ整理がつかない脳の片隅で思い出す。

 剣を持って戦っていた司郎も、同じ名前を口にしていたこと。これはその答え合わせ、彼が正しかったことの証明だと。

 どうでも良いことのように思えるが、正気も狂気も動転している達哉にとって、判断するだけの余裕はない。


「……えっと。リュウ、さん?」

「あら〜、もう早速名前呼び? まぁいいんだけど~……それで、どうしたの?」


 優しく見つめられただけで、考えていた質問が吹き飛ぶ。口が上手く動かない。

 全身から汗が吹き出し、同時に蒸発していくかのような錯覚を覚える。それほどまでの存在の”格”の違いを思い知らされる。

 それでも、何か言わねばならないと思い、恐る恐る、脳内で言葉を組み立てながら同時に紡ぎ出す。


「あなたたちは……どうして、皆に」

「ん~? そりゃ簡単だよ。あの小っちゃい娘が触ってくれたからさ」


 リュウが笑って指さす先には、未だレンと睨みあうフィールがいた。

 否、彼女が指さしているのはフィール本人ではなく、それに憑りつかれているクリスティアの方だ。


「いや~、好奇心って罪だよね~。その所為で大切なご友人があのザマだし」


 けらけらとリュウは笑う。視線の先には血の海に沈む司郎の亡骸なきがら

 達哉は再び彼を見、全身が恐怖に覆いつくされるのを感じた。体中の筋肉も骨も氷と化してしまったかのように固まる。指先も姿勢も視線すらも動かせなくなる。思考すらも放棄してしまいそうになる。


 まざまざと、何が起きたのか、どうなってしまったのかを見せつけられる。見たくもない現実を突きつけられる。

 達哉には耐えられない。突如として目の前で起こった友人の死。目に見える形でまき散らされた彼の命。その瞬間の映像が脳裏に焼き付いて離れない。まるで自分のものでなくなってしまったかのように体が震えてくる。


 恐怖。戦慄。興奮と、悔しさ。ありとあらゆる感情が起こっては消える。

 未だに血を流し続け、海を広げる友人を傍から眺めることしか出来ないことへの絶望に打ちひしがれる。そんなことしか出来ないちっぽけな自分に苛立ちが積もる。


「……ふ〜ん。キミはそういう人かぁ。面白いね〜、見た目はただの子供のクセに」


 笑う、というより、何故かどこか優しげな声でリュウは呟いた。

 ただ、達哉の頭はそんな変化を聞き分けることは出来ず、その言葉の真意もわからなかった。


「ま〜あたしが言えたことかわからないけどさ。やめといた方がいいよ〜」

「……何を」

「そんな風に考えることを、さ。死んじまったらそれまでだよ。どんな奴でもね」

「どの口が……ッ」

「達哉君!」


 勢いのままに憤慨しかけ、首元に込められた力が強くなり彼は言葉を封じられる。

 飛鳥の体を操るユルは無言で彼を押さえつけた。


「まぁ~言いたいことはわかるよ。でも、こっちはいくつも死線を潜り抜けてきたんだ。実際に死んだやつも多く見てきた。あんな死に方出来るだけましさな~」


 達哉は押し黙ることしか出来なかった。

 物理的に拘束され、口答えを許されないがためでもあったが、それ以上に、彼自身がリュウの言うことを頭の片隅で理解してしまっていた。


(……もし、これが本当の戦いだったなら)


 そんなことは仮定するには遅すぎる。だがようやく彼は動き出したのだ。

 思考が加速度的に白く染まり、その回転数を上げていく。


(……僕らの知らない戦いが、今も続いていて、その結果がこれだとしたら)


 彼は思う。辻褄は合っている。

 ただ、そう理解してしまえるだけの落ち着きを取り戻していることに腹が立つ。


(……だから、当然だって? こんな見ず知らずの場所で、わけもわからず戦って、その結果が理不尽な死だっていうのか?)


 ——冗談じゃない。


 彼の手はいつの間にか握りしめられていた。


「だ~から~。その考え方はやめとけって。いつか何も出来なくなっても知らないぞ~」

「……うるさい。理不尽に怒って何が悪い」

「お~、言うねえ。中々根性あるじゃない」


 口をついて出た文句を聞いても、リュウはただ笑うだけだった。ユルは喉元の剣をちらつかせたが、達哉はリュウを睨み続ける。


「いい目だね~。けど、そんな目をしたところでキミのお友達は帰ってこないしむしろ状況は悪くなる。今はアイツらが揉めてるから何とかなってるけどね~、アレが終わったら流石のあたしもどうしようもないよ~。もうちょっと話しててもいいんだけどね~」


 彼女の肩を竦めて笑う表情の奥にあるものは達哉にはわからない。

 だが、彼女が言っていることが至極正しいと判断するのに刹那すら思考する必要はない。

 どれだけ彼の中に怒りが、焦りが、後悔が湧き上がったとしても、現実は変わりはしない。


(……僕は。どうしたらよかったんだろう)


 そんな自問と共に、彼はもう一度、床に横たわる司郎を見た。


(…………あれ?)


 恐らくそれが、転機だった。

 無慈悲な現実に真正面から打ちのめされ、少しずつ論理的な思考を取り戻してきたが故に、達哉は”それ”に気付くことが出来た。

 何か四角いものを小脇に抱え、友のすぐ傍まで近づいていた存在に。


(……ルネリット、さん? 何して——)


 視線を宙に彷徨さまよわせていた達哉は、彼女の顔を見る。

 決意がこもった表情で、胸元を——首からさがるペンダントを、固く握りしめていた。


「……!」

「おおっ?」


 それに気付いた瞬間、彼の足元から眩い輝きが溢れ出す。白く複雑な紋様と、噴き上がる”力”に体が揺さぶられる。

 彼はすぐにルネリットが何をしたいのかを理解し、


「うああッ!」

「……ち」


 彼と同じように固まっていたユルの拘束を押しきる。


「先生!」

「おっとっと?」


 一方でリュウに拘束されていた巴も彼と同じようにその拘束を逃れる。飛びのいて魔法陣の枠から外れたリュウは、焦るわけでもなくただ薄ら笑っていた。

 次の瞬間、彼らの姿はその場から消え、


「お二人とも、よくぞご無事で!」


 半ば息切れしたルネリットとその護衛のすぐ傍に”転移”した。


「……ぁは~ん? なるほどねぇ」

「俺らが目ェ離してる隙におもしれーことになってんじゃねェかヨ」


 この事態に、今まで取っ組み合いを続けていたフィールとレンも注意を達哉たちに向ける。

 殺意と敵意で満ちた爛々らんらんと光る眼を向けられて、さながら獣に追い詰められた餌の如く体が縮こまるのを達哉は実感した。


「……どうするの」

「は?」

「だから、どうするって聞いてるの! 教えてくれ、僕は何をすれば良い!?」


 彼女らから目を離すことが出来ないままに達哉は問う。

 ルネリットからの疑問の声も跳ね除けて、自分自身にも言い聞かせる。焦りを上書きするように。


 状況が既に絶望しかないことは理解している。

 遅すぎたのは見ればわかる。

 だが、彼はようやく動き出せた。ならばそれを止めるべきではない。

 今度は間違ってはならない。

 彼の本能がそう叫んでいた。


「……希望は、もうこれしかありません」


 ルネリットは、彼と同じく焦りながら、それでもどうにかその問いに答える。

 そうして、彼にそれを——最後の希望を託す。


「これは……?」


 彼女が達哉に差し出したのは、見るからに一冊の本だった。地球ではなかなか見たことがないくらい大きく、分厚い。

 表紙は何も書かれておらず、黒い地に白い精緻な装飾が施されている。

 だがそれより目を引くのは本全体を包むように巻き付く鎖だ。決してその本を開けさせないという強い意志を感じる。


「はい、本です。ここにあるものの中で唯一、来歴がはっきりしているものです」

「……まさか、これもその、聖具、とかいうやつ?」

「そうです。私たちは、もう貴方に賭けるしかありません。どうか」


 達哉は躊躇って、出しかけた手を止める。

 "自分もまたクリスティアや仲間たちと同じように、自らの意志に反して操られてしまうのではないか"という不安が脳裏をよぎる。


「——呆けてる暇があるのかなぁ!?」


 停滞しかけた思考に甲高い咆哮が刺さる。

 はっとして振り向けば、既に地を蹴り加速したフィールが達哉の目前で短剣を振りかぶっていた。

 誰がどう見ても間に合わない距離で短小の凶刃が降ってくる。

 達哉は思わず、無意味であるのも忘れて顔を背け、身体を庇うように腕を突き出す。そうしておいて、次の瞬間には全身を切り刻まれる幻覚を見る。固く閉じた瞼の裏に、これと戦った友の姿が焼きつく。


「……?」


 しかしてとても奇妙なことに、あれだけ威勢よく飛び掛かって来ておいて、何秒待っても何も起こらない。一瞬でも痛みや死をすら覚悟したことを静寂に嘲笑われているかのようだ。

 現実が信じられなくて、もしや自分がおかしくなっただけなのではないかという荒唐無稽な憶測も芽を出す。

 その真実を確かめるべく、彼は恐る恐る腕をどけ、ゆっくりと目を開いた。


 そして見た。


「ぐ……ぅおっ!?」

「「「!?」」」


 空中で拘束されたフィールの姿を。

 剣は謎の白い障壁によって道を阻まれ、彼女自身の腕や足にも白い光で作られた鎖が幾重にも巻きついて離れない。お互いに力強く反発しあっているためか双方が巨大な軋みを上げる。


(鎖? ……まさか)


 直感に押されて達哉は視線を戻す。半ば祈るように、あるいは、願うように。

 そして"それ"は——その本は、彼の予想通りに白く光り輝いていた。


(助けて、くれたのか……?)


 本は何も答えない。

 ただ達哉は、自分が今なにをすべきなのか、確かに理解した。


「……わかった。やる」


 誰に対してでもなく呟く。

 もう彼の"常識"とも呼べる理性は粉々に吹き飛んでいるので、彼自身、自分がそう決断することに迷いなど微塵もなかった。


 そして彼は、制止しようと割って入る誰かの言葉を意識から剥がし。

 光を宿す本に手を触れた。

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