8.虜囚

 彼らは圧倒された。

 その、生まれて初めて見る光景に。

 どちらを向いても輝きが目につく。色とりどりの濡れた輝き。恐ろしさすらも感じるほどの、澄んだ金属の光。

 不気味なほどに整然と並べ立てられた、神聖さすら感じる研ぎ澄まされた形状フォルム

 その全てから押し潰されるようなプレッシャーを感じる。

 この時、まだ多少観光気分だった彼らは、唐突に、そして否応なしに理解させられた。


 ——これが『現実である』と。


「……凄い、光景ね」

「綺麗……だけど、ちょっと怖いな……」

「こんなの初めて見まシタ! カッコいいですね!」

「はしゃぐなはしゃぐな」

「でも実際凄い。こんなの見たことないよ」


 各人の反応は様々だったが、皆一様に驚いていることに変わりはない。

 特にこの男、司郎は、全身を刺し貫かれるような痛みすら感じるほどの強い衝撃を受けていた。


(……なんだよ、これ)


 声を発することができない。体の芯、彼の中心の奥深くから、ゆっくりと冷気がせり上がってくる。

 今まで彼の中にあった"興味"や"興奮"は、風に吹かれた塵芥ちりあくたの如く消えた。そして、次に彼を支配する感情——即ち、"恐怖"。

 全身が固まり、まるで自分のものでなくなってしまったかのようだ。


(俺は……いよいよおかしくなったのか?)


 彼の中にある恐怖は偽りのものではない。確かに彼は、目の前の空間にいる何者かに身も凍るような恐怖を抱いている。

 しかし、それが果たして何故なのか。彼は全く理解できない。

 幸いなことに、彼は表情が読まれにくい方であったから、誰にもそれを気取られずに済んだ。


「どうぞ、こちらへ」


 しばらくして、ルネリットは一同を招き入れる形で先導する。

 司郎は軽く驚いた。その中に足を一歩でも踏み込むことにすら激しい抵抗を覚えている彼にとって、彼女の行動は極めて異常だった。いや、この場合、異常なのは彼の方なのかもしれないが、そんな思考を挟むことすらままならないほど彼は憔悴しきっていた。

 相変わらず理由はわからない。


「…………」

「……? おい、どした」

「……っ、いや」


 彼が溢れ出る恐怖に押し潰されまいと人知れず奮闘していると、その事に気を取られ、宗治たちが既に部屋の中へ入ってしまっていたのに気付かなかった。

 振り返って呼びかける宗治に辛うじて返事を返すも、残念ながら、彼の中の恐怖が薄らぐことはなさそうだった。

 ルネリットや脇に控える護衛たち、それに司郎の仲間たちも彼のような反応をしていないことから、やはりこれは彼の異常のはずであった。そうでなくばおかしい。

 彼は己に大丈夫だ、と言い聞かせながら、恐れをどうにか振り切って友の後に続いた。


「それで、あんたの言う"神器"とやらはどれなんだ?」


 部屋の中ほどまで歩を進めた宗治は、ルネリットにそう尋ねた。

 それを聞きながら、司郎もまた部屋を見回す。ただ、見回していながらも、心の中で宗治に答える。


(……見なくてもわかる。アレだ)


 そして、ルネリットの答え。


「はい。あちらです」


 彼女が優しく手で指し示した先は、司郎の意識の先——ややあって動かした視線の先と、完全に一致した。

 やがて、全員の視線がそこに集まる。


「……? これ、って……どう見ても、石なんだけど」

「……はい。永い眠りの内に力を使い果たし、今ではこのようなお姿に」


 それは、この部屋において最も異質な存在だった。

 鞘も固定具もなく、剥き出しの刀身で床に突き立ち、全体がざらつきのある石である。もはや自然石を削り取って生まれたのではと思わせるほどに、文字通り"自然体"だった。言葉を飾らず言えば、とても武具であるとは思えない。

 しかし、その形状は流麗かつ堅固。その佇むさまからは石でありながらも力強ささえ感じさせ、刀身から柄頭に至るまでの直線的で滑らかな作りはそのままで鉄をも断ち切れるやもとすら思わせる。

 金銀財宝、数多の武具が揃うこの地下宝物庫、その中で最も貧弱と思え、同時に最も強力であるとも思えた。


「皆様方の中で、神器に触れることが可能なのはお一人のみです。どなたかもすぐにわかるでしょう」

「そうなのか。で、具体的に何するんだ?」


 もっともな疑問を呈する宗治。


「簡単です。お一人ずつ、神器に手を触れて下さい」

「……ちょ、ちょっと待って?」


 それに対しルネリットが提示した答えに、静止した飛鳥を含めほぼ全員が首を傾げた。


「触れないものに触るって、どういうことなの?」

「普通の人では神器に触ることは不可能です。何故ならば、神器そのものが拒絶するからです。自ら認めた主にしか、その心を開かないのです」


 丁寧に説明するルネリットの傍ら、司郎は神器から視線を離せないでいた。

 その美しさを醸し出す"容姿"からか、それとも神器などという大層な名前を持つ"神秘"だからか。彼はある意味で、既に神器に魅了されていた。


「なので、神器が認めない方は触れる前に拒否されますし、認められた方はそのまま触れ、つるぎとして扱うことができます」

「……なるほど。じゃ、もう一つ質問」


 全てを聞き終えた後で、宗治は人差し指を立てながら問いかけた。


「その拒否とやら、安全なのか?」


 それを聞いた彼女は、少しの間の後に答えた。


「"安全"の基準にもよりますが、小さな稲妻と手の痺れが起こる程度です。少なくとも私の場合はそうでした」


 そう言われれば、彼らがそれ以上言うことはない。不穏ではあるが、致し方ないと割り切るしかない。

 ルネリットは彼らの沈黙を無否定と受け取った。


「では、早速始めたいと思います。どなたからがよろしいでしょうか」


 尋ねられて、改めて一同は顔を見合わせる。

 彼女の笑みはとても無邪気だ。あるいは無垢か。どちらにせよ、まるで悪意を感じない心からの笑みを向けてくる。態度こそ完成された社交的なものだが、その内面はまだ子供(と言ってもほぼ彼らと同年代)だということだろうか。

 さてどうするか、と無言で視線を交わす彼らの中から、突如として一人声を上げた。


「私からやるわ」


 彼らの間を、一際大きな体がすり抜ける。身につけた白衣が揺れ、はためく。


「先生」

「こういうのは大人からやるもんだわ。私は教師だし」


 皆の前に出た巴は、いつも通りの少し気怠げな表情をしていた。そこには、動揺も気の狂いも微塵もない。


「では、どうぞ」


 巴はルネリットの案内に従って、今も静寂を纏う石の神器の前に立った。

 白衣のポケットから、おもむろに手を引っこ抜く。


「……ま、ありえないとは思うけど。できるなら私が良いわねー」


 そんなことをぽつりと呟きながら、彼女は両手を伸ばして神器に近づける。

 手の平を、ゆっくり、慎重に神器の柄に近づけ、握ろうとする。しかし。


 バチィッ!!


 神器まであと数センチというところ、その手前。

 一条の光が瞬き、巴の右手の平を打つ。

 その場の誰もの耳が、光が鞭打つ音を鮮明に捉えることが出来た。


「先生!」

「……大丈夫。思ったより痛くないわ」


 急いで手を引っ込めた巴は、感触を確かめるように右手を握ったり開いたりを繰り返す。その動作に、誰も違和感は感じなかった。


「思ったよりって、何を想像してたんすか」

「なんか、もっとこう……ボタン押したら電流が流れるペンみたいなのを」

「それ、よりも痛くないんですか?」

「まぁ……痺れはあるわ。長時間正座し続けた後の足みたいな痺れ」


 なんだそりゃ、と宗治は小さく呟いた。


「なんか……名前が大層なもんだからビビってたけど、実際そうでもない感あるな」

「あるいは」


 そこで、ようやく司郎は沈黙を破った。


「あるいは、もう既にそれだけ弱ってるのか」

「元々はってことか。否定は出来ないけどなー……ま、そんなシリアスに考えてもしゃーねーだろ。うし、じゃ次は俺だ」


 内心ではこれ以上ないほど真剣な司郎と対照的に、あくまで軽いノリで宗治は神器に近づく。


「あれだけ頑なに反対してたくせに、やけに乗り気ね」

「ここまで来てそれ言うか? 帰りたいのにゃ変わらねえけどよ」


 宗治は、先程の巴の所作を見た後ではとても大胆に見える(実際はただ適当なだけだが)動きで神器に手をかざす。

 そしてその瞬間、一筋の稲妻がその手を打った。


「うお!? ……結構痺れるじゃねぇか先生ぇ」

「馬鹿にしたから怒ったんじゃない?」

「まさしくバチか当たったわけだね」


 慌てて手を引っ込めた宗治に代わり、今度は達哉が前に立つ。

 彼にしては珍しく、表情にわずかばかりの緊張を乗せながらその手を伸ばす。


「……っ」

「だいじょぶか?」

「まぁ、痛くはないけど、確かにちょっと痺れるね」


 前の二人と同じく手の平に電撃をくらった達哉は、手をひらひらと振りながらほっと一息ついていた。


「……てことは、あとはこの中の誰かってことか」


 宗治はそう言って残りの四人を見る。

 その中でも先陣を切ったのは、


「ハイ! 次はワタシがやりたいデス!」


 と、勢いの良いクリスティア。

 彼女は踊るような足取りで神器に近付き、爛々と目を光らせながら手を伸ばし、


「はわッ!?」


 ……と、すぐさま電撃で手を弾かれた。


「おーおー、即拒否だな」

「ぐぬぬ」

「ダメなもんはダメなんだろうよ。知らんけどな」

「仕方ありませんネ……その辺にある奴でガマンします」


 そんな捨て台詞と共に、拗ねたように棚に並べられた武具を見始めるクリスティア。巴が後から続いてそれを監視する。

 彼女らのことは尻目に、残された三人、司郎、飛鳥、佐那は顔を見合わせた。


「で、後は私たちだけなのだけど」

「俺は最後でいいや。お先にどうぞ」

「じ、じゃあ私、やる」


 次に前に出たのは、やや肩に力が入っている飛鳥。

 皆からの視線への緊張からか、あるいは電撃へのほんの少しの恐怖からか。どっちもか、と司郎はなんとなく考えた。この時点で彼の頭はひどく冷めていた。

 彼がそんなことを考えているとも知らず、飛鳥は神器の前に立ち、手をかざす。


「わっ」


 だが、彼女もまた手に小さく稲妻をもらい、宗治らのところに行った。


「お言葉に甘えて、失礼するわ」

「ああ」


 そう一言声を掛けて、佐那もまた飛鳥に続き、同じように電撃を受けた。

 そして残るは、彼一人。


「…………」


 不思議と、彼は落ち着いていた。

 さっきまでの感情の揺れ動きはなんだったのかと思わせるほど、彼の頭の中は波一つ立たなかった。

 皆から集中した視線を送られても、ルネリットから特に熱いオーラのような何かを向けられても、今までずっと恐怖していたはずの、神器の前に立ったとしても。


(……いや、違う)


 彼は頭の中で、一つの確信が芽生えたのがわかった。

 彼が恐れたのは神器ではない。これはむしろ、今の彼が相対する間にも、彼の心に平穏を齎している。


(だったら、俺は一体、何を……)


 結局、今の彼にそんなことはわからない。

 しかし今、彼がすべき事はわかっている。


(俺は……何だ……?)


 石の柄へと右手を伸ばす。その動作に淀みはなく、迷いもない。

 あと数センチ。数ミリ。

 そこまで届いた直後。


 パリリッ


 音を立てて、小さく、幾筋もの光が瞬く。

 だが彼にはわかる。拒絶ではない。

 まるで、何かを確かめるような。


 左手も持ち上げ、かざす。

 両手を伝わり、腕を伝わり、胸を、腰を、首を、全身を雷が這いずり回る。

 その感触を確かめながら、彼は、意を決して両手で柄に触れた。


「触った……!」


 ルネリットの希望に満ちた表情も、今の彼の眼中にはない。

 彼はただ、手の中の神器に意識を向ける。


(お前は何だ。なぜ俺を選ぶ)


 心の中で問いかける。

 答えはない。求めてもいない。


「……ふっ」


 彼は両腕に力を入れる。足を思い切り踏ん張って、床から剣を引き抜かんとする。

 今も稲妻を纏い震える神器だが、それでも、彼の全身の力を持ってしても、容易に引き抜くことが出来ない。


「ぐ……く、っ……!」


 歯を食いしばる。

 腕が震える。骨格が軋む。

 それでも縫い止められたまま。

 鎖で縛られたような重さ。


「お、ぉぉおおっ……!!」


 そして、随分と強い力をかけ、上へ上へと引っ張り続け。

 ようやく目覚めた剣の神は、床を離れて起き上がる。

 完全に引き抜かれ、彼の手の中に収まる。


「おぉ、抜いた」

「やった……!」


 ——


「——あっ!? ダメ! 止まりなさい!!」

「「「!?」」」


 唐突に響いた、余裕が全く感じられない叫び声。その声に、そして呼び止められた張本人を見て、皆が皆、目を丸くして驚いた。

 剣を抜いた彼もまた、背後から聞こえたその声に振り向こうとした。

 次の瞬間。


 トン


 何かを叩くような音がした。

 たった一回きり、しかも軽い。

 彼も何が起きたのかわからなかった。

 首を回し、振り向いて、見知った顔を——ブロンドの髪を持つ異国人の少女の、今にも泣きそうな顔を見るまでは。


「………………ッ!!」

「あ……ぁ、あっ……!?」


 嗚咽ともとれるような声を出しながら、少女、クリスティアは短剣を引き抜く。

 後ろに数歩よろめいて退がり、短剣と、床に倒れ伏した彼の間を、視線を何度も往復させる。

 自分が何をしたのか、まるでわかっていないように。


 だがその顔は、涙は。

 徐々に笑みへと変わってゆく。

 深く、深く。

 口の端を裂いたような、狂気的な笑い。

 彼は、命令通り動かない体をどうにか強張らせながら、理解した。


 目覚めたものは、"神器GOD"と"使徒つかいて"。


 ——そして、"悪魔じゃあく"。

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