6.導き

 話を全て聞き終えた七人は一斉に顔を見合わせた。その理由はもはや口に出し問うまでもない。


「……どうする?」

「どうするもこうするもないでしょ、宗治。無理だよ絶対」

「だな。俺も無理だ」


 肩を竦め、やれやれと言うふうに首を振る二人。それに反発——というより意見したのは、その隣のクリスティア。


「ム、どうしてそんな弱気なんですか二人トモ。情とか湧かないんデスカ?」


 しかし宗治はその意見を軽くあしらった。


「おい、冷静に考えろ。俺たちはただの高校生だ。超人でも、まして英雄でもない。そんな俺たちが加わったところで、国の食料事情を改善できるか? 田畑や人工物を軒並み荒らすような生物に勝てるか? 現地の人たちが何も出来なかったのに? 流石に冗談キツ過ぎるぜ」


 そう、それは実に正論であるから、彼女とて口を閉じるしかなかった。


「それにだ。俺たちには何もわからないんだぞ、最初からな。もしかしたら、今の話全部が嘘かもしれない。俺たちにはそれを判別する手段が無いんだからな」

「ッ!」


 思わずとばかりに腰を浮かしかけたルネリットを宗治は睨み付ける。

 ここまで""に満ち満ちた宗治を、司郎はとても久々に見た。


「おっと何も言うな。確かにあんたの話はかなり細かかったし、表情も仕草も演技には見えなかった。だがそれに共感しろってのは無理な話だ。俺たちはあんたが語った話の要素の一欠片も、実際には知りやしない。それについて語られたって『へぇ』としか言いようがない。今ここでお前らが俺らの世界の話でも聞かされて、『こんなに凄いんだぞ』なんて言われたところであんたらは何も思わないだろう? そんなの知るわけがないんだからな。同じことさ」


 鋭い視線を向けてきた、ルネリットの背後の従者連中もまとめて睨みつけながら、彼は言外に『一歩も引く気はない』と宣言してのけた。


「……うん、僕も宗治に賛成。それに学校とかあっちにも色々あるし」


 そう言ったのは、眼鏡を手で軽く押し上げた達哉だった。

 二人の明確な反対意見を皮切りに、皆の間で意見が交わされる。


「ワタシはここに残るに一票デス。もうちょっとだけこの世界を見てみたいデス」

「おい、もっと真剣にだな……」

「これ以上無いほど真剣デス! それに……お料理、ほぼほぼワタシが食べちゃいマシタし」


 照れたような笑いと共にクリスティアは頰を掻く。


「私は……うーん、ティアちゃんに一票」

「理由は?」

「えっと……ちょっと、可哀想だなって、思っちゃった」

「……そうか」


 宗治はそれ以上何も言わずに視線を移す。


「私は飛鳥に付いてくわ」

「神裂」

「選択の放棄なんて言わないで頂戴。私は選んだ上で決めた。この子たちだけじゃ不安で仕方ないわ」

「お前は保護者か。自分がいれば大丈夫だとでも?」

「さぁ? でも『三人寄れば文殊の知恵』よ。いないよりマシだと思ってるわ」


 言葉を投げ付け合う二人。そこへ、更に割り込む者が一人。


「私は断固反対よ。一個人として、何より生徒の命を預かる教師として賛成はできない。あなたたちの命を無為に危険には晒せない」


 教師である巴の強力な反対票。それにより、賛成票を入れた女子三人は閉口せざるを得ない。

 そして全員の視線、注目は、最後の一人へと自然に向けられた。


「……司郎、お前は?」


 司郎は静かに尋ねてくる宗治を見、そして全員の顔を見回す。


(……どう、しよう)


 彼は取り敢えず、内心を落ち着けるべく手元にあった水を飲む。

 冷えた液体が喉を通るたび、自分の中にも冷気が移っていく。

 そうして完全に冷え切った頭で、再び頭の中に皆の意見を思い起こす。


(帰るか、残るか、か……)


 皆の意見は、全て何かに基づいている。それが感情か理屈か、あるいは役職、人格かは違えど、その選択をする明確な理由がある。

 そして司郎もまた、問われている。

 "感情と理屈、どちらに従うか"。


 ごく普通に考えるならば、ここは理屈に従うべきだ。司郎たちにだって司郎たちの人生や"向こう"での生活がある。それを蔑ろにすることは出来ない。

 その一方で、司郎は自分の中で感情が揺らいでいることを感じていた。自分のことながら彼にはそれが、ルネリットの話に感化されたからか、それとも他の所に要因があるのかはわからない。

 だが少なくとも彼女の話に心を揺り動かす"何か"があったのは確かだし、現に司郎は揺られ続けている。彼と全く同じでないにしても、何らかの心境の変化があった為に賛成票を投げた者もいる。


(……興味は、ある。見てみたいとも、思わなくは無い。同情も出来る。でももしそうなったら、あっちはどうなる? 父さん、母さん、それに孝明……)


 沈黙の中で彼の思考は加速する。同時に視線は、コップの中に残った僅かな量の水に固定される。

 彼以外の者もまた、彼が結論を出すことを静かに待っている。


(俺は……)


 答えは既に出かかっている。

 だが、それを出していいのかわからない。

 何故か——本当に何故か、彼は自分の中に自分を強く引き留める何かがあることを自覚していた。家族や自分の生活と、突拍子もない話。その二つを真剣に比べてしまっている。

 


「お水、いかがですか?」


 そう声を掛けられて、司郎は長考から帰って来た。

 見れば、先ほどまでコップの底でほんの少し残っていた水を、彼自身知らずのうちに飲み干してしまったらしい。


「え、あ、お願いします」


 彼がそのように答えれば、即座にコップに水が注がれる。手際の良さに感心しながら、彼はじっと手の中に視線を落とす。

 注がれた水はコップの中で、部屋の橙色の明かりの色を反射しながら、彼の手の動きに合わせて音もなく波を立てる。それをしばし眺めてから、ゆっくりと口にあてがい、喉の奥に流し込む。

 染み渡るような冷たさが喉から頭、そして全身を駆け抜けて、冷やしていくのがわかる。冷静な自分が戻ってくるのがわかる。

 口からコップを離し、小さく息を吐き出して目を瞑り、そしてまた目を開いてもう一度コップの水に目をやった。


 ——瞬間、水が


(!?)


 驚いて瞬きすれば色は消え失せ、元の透明な、橙の光を反射する水があった。


(今のは……?)


 彼にはそれを自問する余裕すら無かった。

 彼の思考回路は、一瞬前の落ち着きはどこへやら、猛烈に加速していた。同時に湧き上がる"無数の言葉"。

 彼の頭の中に、馴染みのない言葉が反芻される。が、強く思い起こされる。


「……最後に一つ、質問させてくれ」


 彼は冷静になるのも待てず、口を開いていた。

 軽く身構えるルネリットの様子も、今は目に入らない。


「——『暁の丘に、いかずちは落ちた』か?」

「……!?」


 彼女は驚いた。その言葉は、彼女にとってもっとも親しみが湧く。とても馴染みある言葉だった。

 それを何故、異界の人間が知っているのか。わからぬままに、ともかく彼女は問いに答える。でもって。


「……いいえ。未だ、『雷は天に御座おわします』。相応しき宿り主を求めて」

「……そっか」

「なんだ? 何がなんだって?」


 納得の色を示した司郎に対し、その言葉が何を意味するのか全くわからない宗治はそう声を上げるしかない。

 しかしそれに答えることなく、司郎はただ、ポツリと呟いた。


「……まだ、帰るべきじゃない。と、思う」


 彼は立ち上がる。その表情は強く引き締まり、強張っているようでもあった。


「まだ、もう少しだけでもここに居るべきだ、と思う」

「どうして?」

「俺たちは、まだ真実を見ていない」


 司郎は仲間たちをぐるりと見回した後で、もう一度、確かに口にする。


「まだ帰るべきじゃない。俺たちはまだ何も見てない。見てから決めても遅くはない」

「見る? 何を?」

「……”真実”。俺たちが、彼女らの期待している通りの存在なのか。どうしてこんなことになっているのか。見ればわかるはずだ」


 彼は水を飲み干し、ソーサーにコップを置く。そしてもう一度ルネリットに向き直った。


「案内してくれ。俺たちを——その”神器”ってやつの元に」

「!」

「知ってからでも遅くない。まだ俺たちは何も知らない」

「おい待て司郎。お前……」

「止めるな宗治。俺たちは見なければならない。絶対にだ」


 宗治の制止をもそう一蹴する司郎の眼は、いつもの何倍も輝いていた。

 それはやる気や自惚れの光ではない。どちらかと言えば、困惑、使命感、強迫観念というような代物。宗治にはそれが、とても力強く、一方でとても危険に思えた。


「……わかった。でも一つ聞かせろ」


 司郎は無言で先を促す。


「お前をそこまで強く動かすものは何だ?」


 彼はしばらく無言で、返答しなかった。

 しかしやがて、ぽつり、と彼は零した。


「何、だろうな。何だ? ……わからない」

「……大丈夫なのか?」

「大丈夫、だ。少なくとも気が触れたとかじゃない。……どう言えばいいのか……その、何かから呼ばれてるような気がして」


 それは彼の中につい今しがた芽生えた感覚。とても不思議だが、不気味ではない。

 知らない言葉が、知らない世界が、知らない人々が、彼を呼ぶ。


「……呼んでるんだ。雷が」

「雷ぃ……?」


 いかにも胡散臭げに顔を歪める宗治だったが、司郎はそれに自嘲気味な笑みを浮かべただけだった。

 すると、やり取りを見ていたルネリットが沈黙を破り、立ち上がった。


「……わかりました。皆様をご案内致します。どうぞこちらへ」


 一礼すると彼女は身を翻し、部屋の一番奥の扉に歩み寄る。

 扉は彼女が接近すると同時に従者が開き、部屋を一歩踏み出た先で彼女は司郎達に振り返った。


「……わかった。ここは多数決に従う。確かにまだこの目で見たわけでもねえしな」

「でもそれだけよ。例え何を見たとしても、私は反対」

「そこは自由です先生。最終的に残るか、帰るかは。でも、どうしても見ておくべきだと思った。今はそれだけです」


 彼はそれだけ言い残して、ルネリットの後を追って歩き出す。

 残された宗治たちは全員で視線を交わし合い、少しもせず「やれやれ」と言うように首を振った後、一斉に席から立ち上がってその後を追った。

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