3.招かれた者
段々と意識が覚醒していくにつれて彼が真っ先に感じたのは、体全体と頬に当たる硬く冷たい何かの存在だった。
平たい何かに全身を押し付けているような、冷えた金属、あるいは石か何かにうつ伏せになっているかのような、そんな感覚。
いや、事実そうなのだろう。しばらくして目を開けた彼が見たものは、綺麗に磨かれ整えられた白と灰のタイルだったのだから。
「——ッ!?」
司郎は飛び起きると同時に辺りを見回す。
彼が横たわっていたのはどこか現実味を感じさせない部屋の中だった。
石や
部屋から外に通じているらしき通路は一か所だけで、その両脇に蝋燭がかかり通路内を照らしているのがわかる。この部屋も蝋燭の明かりで照らされているため、全体が橙がかって見える。
そして、その場に居たのは彼だけではない。
「……! みんな!」
司郎の後ろには、つい先ほどまで談笑していた六人が彼と同じように床に身を横たえていた。
彼は立ち上がると、一番近くにいた親友、宗治の肩を揺すった。
「……おい宗治。おい、起きろ」
「…………んぁ?」
気の抜けたような声とともに彼は身動ぎし、次いでゆっくりと目を開けた。
まだ完全に意識が覚醒していないらしく、彼の動きは鈍い。
「大丈夫か?」
「……司郎、だよな。てことはまだ死んでないのか? それとも両方死んだか?」
「笑えない冗談は止めろ。ま、それだけ言えるなら問題なさそうだな。ほら」
司郎は宗治に手を差し伸べる。宗治はそれを取ると引っ張り、上体を持ち上げた。
しかし起き上がった宗治の顔色は、あまり良くなかった。
「本当に大丈夫だろうな」
「ああ、まぁ……ちょっと頭が痛いぐらい」
「そうか。なら良いけど」
司郎はひとまず本人が言うことを信じることとして、他の五人も同じように起こすことにした。
「達哉、起きろ。大丈夫か?」
「……ん? ああ、司郎かい。大丈夫……ちょっと体が怠いけど」
「片桐さん、神裂さん、クリスティアさん、相良先生」
「んぁ? あ、司郎くん」
「んん……ここは、どこ?」
「Ah……一体全体何が起こったというのでショウ?」
「あたたたた……腰がぁ……っ」
一応、全員の無事が確認されたことに安堵し、司郎は長く息を吐いた。
「先生、
「うるさい、まだ若々しいわ」
「この中で唯一体のだるさよりも腰の痛さを先に感じたあたり、もうだいぶ年食ってんじゃないすか?」
「……
「冗談ですよ。だからその怖い顔は仕舞って下さいって」
宗治の遠慮のない物言いと、こめかみに血管を浮かび上がらせて彼をにらみつける相良に、他五人は「やれやれ」とため息。こんな時にまでいつも通りにやり取りをするその姿勢に感心半分、呆れ半分だった。
ともかくそれで落ち着きと多少の心の余裕を取り戻した一同は、司郎以外が床に座った状態で会話することにした。
「しっかしなんでこんな体が重たいんだ?」「私もよ。まるで熱でも出したみたい」
「ワタシもです。今まで何にもなかったのに」
「痛くはないけど、ただただ怠いね」
不思議なことに、司郎以外の全員が体の怠さを訴えている。実害はなさそうだが、原因は一切不明だ。
「お前は大丈夫なのか?」
「ああ、今のとこ」
「なんでー? どうして司郎くんだけー?」
「俺に聞かれてもわかんないよ」
一方で司郎にはその怠さなどはなく、体調に変化は起こっていない。
むしろそれを言うのであれば、彼は今、自分の体が好調であることが感覚で分かっていた。教室にいた時よりも遥かに良く動くことができるという確信があった。
「……ん……お、収まった、か?」
「ぁ……うん、僕も。何だったんだろ」
だがその怠さも一時的なものらしく、しばらくすると全員何事も無かったように立ち上がった。
皆一様に頭上に「?」が浮かぶ。
「もういいのか?」
「うん……なんか、一気に抜けちゃった」
「不思議ねぇ」
神裂はそう言うものの、首をコキコキと鳴らすだけだった。
「言う割にそこまで実感なさそうだけど」
「そりゃあ実感無いわよ。第一、"あんなこと"が起こった時点で実感なんて湧くわけないでしょ」
彼女の言う"あんなこと"というのが、教室で起こった光であることは聞かずともわかる。
「それもそうか。光が見えて、気が付きゃこんな石の部屋。確かに実感もクソもねぇな」
「ホントホント」
もはや一周回って余裕が出てきた一同は、揃って部屋を見回す。
「……ふーん。結構古臭そうだけどいい造りしてるじゃん」
部屋を見てそうぶっきらぼうに感想を零した飛鳥に対し、先程までのふざけた態度は何処へやら、宗治は大真面目に返す。
「うーん、結構も何も滅茶苦茶いい建物だと思うぞ。そりゃ日本とかの現代建築には劣るだろうが、中世あたりって考えりゃ相当高度な部類じゃねえかな。大方、権力者か誰かが住んでる城かどっかだろうよ」
「さっすが建築家の息子」
「よせや、思ったこと言ったまでだ」
彼は司郎の茶化しにも肩を竦めてそう答えた。
「お城……ということは、美少女にでもなるんでショウか」
「それは
意見を鼻で笑い飛ばされたクリスティアは唇を尖らせる。
「ムゥ、夢は抱いてナンボですヨ!」
「そんなもん夢の中だけにしとけ」
「今のこの状況こそ夢みたいだけど。これ以上重ねがけしないでくれる?」
「お前ら、夢は眠って見るもんだ」
男子+一人のくだらない会話に呆れからくる苦笑を滲ませ、女子たちも会話を重ねる。
「全く、あの子たちは……」
「でもいいじゃないですか。悲観的になりすぎるより」
「飛鳥もたまには良いこと言うわね。楽観的過ぎるのも問題だとは思うけど」
「佐那っち、一言多い」
相良は彼ら彼女らを見て、安堵せずにはいられない。
彼女は担任で、かなり生徒とは積極的に交流を持っている部類だと自負していた。だがそんな彼女でも、この面子が一堂に介しているのは珍しいと思った。
しかし彼らは何故か無駄に息が合っている。お互いに平静を保ち合い、ガス抜きをし合っている。その点では全く心配無いな、と内心で細く息を吐いた。
「……夢で終わらすのもいいけど、残念なのか何なのかは知らないが、俺らが今ここにいるってのは現実らしい。じゃあ誰か教えてくれ。ここは何処だ?」
ひと段落した雑談を切り上げ、司郎はその場を纏め上げるべくそう切り出した。
ふざけて笑い合うのも良いが、それ以上にここが何処で、何故彼らがここにいるのか。それがわからない限り行動のしようもない。彼らには情報が無さすぎる。
だが彼らがいざ話し合おうというとき、そこに玉を転がすような澄んだ声が響き渡った。
それは彼らの内の誰の声でもない。
「——ここはエルサルド帝国首都“ウォレック”、その中心たる“コロッサス城”でございます。異界の方々」
彼らはその聞き慣れない声のした方を向く。
そして次には、視覚情報過多により全員が文字通り固まった。
部屋に一つしかない通路から現れたのは一人の女性。それも彼らと同い年かそれより少し下ぐらいの少女。
今まで全く見たことのない容姿・格好の少女を前に、彼らはどう相対して良いのか、そもそも対等に接して良いのかすら測りかねる。
「……どうか楽になさって下さい。もっとも、喚び出した側である私が言うのも変なことかもしれませんが」
内心の動揺を隠すことなく全身で表していた七人を前に、少女は苦笑いしながらそう言った。
すると少女のその発言で我に帰った宗治は、七人を代表して口を開いた。
「……楽に、なんて言われてもだな。敵か味方かもわからない、名前も知らない奴の前でくつろげって言われて、はいわかりましたって言える奴なんざそういないと思うけどな」
「おい宗治」
「事実だろ。こっちゃ何も知らねえんだから」
相手に対して全く遠慮せずに言葉を連ねる宗治を、司郎は小突く。
それに一瞬反発するも、司郎の余裕のない、何かを伺うような表情を見て落ち着きを取り戻す。
「……どうしたよ」
「……見られてる。さっきから震えが止まらない。上だ」
宗治は部屋の天井を見るも、特に何かを感じることはなかった。
しかし、感覚、こと人の動きや運動に関する感覚が人一倍強い親友の余裕のない表情を見れば、好き勝手に話してはならないという決断に至るのにそう時間はかからなかった。
「なんでそんなことわかるんだよ」
「俺もわからない。けど、きっと
相手には聞き取られないぐらいの大きさの声で会話する二人。他の五人も上にチラリと視線をやって息をのむ。
その明らかに何を警戒しているのか見て取れる動作が、目の前の相手——城の中で、あれだけ豪奢な格好をしている貴賓らしき少女が見逃すはずもなく。
「申し訳ありません」
と一言謝ると、天井に視線を送る。
途端、司郎は自身やクラスメイトたちを睨むかの如く見続けていた視線が散り散りになったのを感じた。何故そんなことを感じ取れるのかと聞かれれば、当人も首を傾げるしかないが。
(……消えた?)
薄く冷や汗をかいていた首筋に手をやりつつ、司郎は少女の方に視線を戻した。
彼女はちょうど、彼らに頭を下げたところだった。
「どうか、ご無礼をお許し下さい。確かに客人を招く態度ではありませんでした。ですが改めて、我々は貴方がたに敵意を持つ存在ではないとここに誓わせて頂きます」
かしこまった態度でそう述べた少女は顔を上げると、先ほど自身がやって来た通路を指し示した。
「ささやかですが、席をご用意してあります。我らの真意をお伝えするためにも、ご同行頂けませんか?」
問いかけてくる少女に対し、答えたのは宗治だった。
「……少しでいい。考える時間をくれ」
「承知しました」
その答えを聞いて、七人はさてどうするかと話し合う。
「……どうするよ」
「僕は別について行って良いと思うけど」
「私も賛成。特に悪気は無さそうだし」
「ワタシもデス。おシロの中見たいデス」
「私はどっちでも。任せるわ」
「あたしも神裂さんと同じく」
司郎と宗治を抜いた五人の内、三人が賛成派、二人がどちらでも派だった。
「俺もどっちでも良いぜ。司郎、お前は?」
「俺は、実を言うと反対派だ」
「そうか。ま、どっちにしろ多数決で決まりだが……理由は?」
一同の視線が司郎に集まる。
彼はむず痒そうにしつつも、はっきりと言った。
「さっき、何かから見られてたのを感じたってのもある。マジでヤバい視線も多かった。それがまぁ、大部分だけど……なんか、嫌な予感がするんだよ」
「と言うと?」
宗治が先を促すと、司郎は後頭部をポリポリと掻きながら苦い顔をする。
「なんって言うか……言い表しにくいんだけど、こっからあっちに近づいちゃダメだって、そんな気がする。それだけ」
「なんだそら」
「言ってるだろ、表しにくいんだよ。……でも不確実なのも実際そうだ。だから、みんなに任せる」
「じゃあ決まりだな」
司郎からの反論もないことを確認した宗治は、待っていた少女に対し返事をした。
「わかった、あんたに従う」
「ありがとうございます。では、こちらに」
安堵したような笑顔になり、少女はもう一度通路を指し示し、そちらへ歩いて行く。
司郎たちは視線を交わした後、宗治を先頭にしてそれについて行った。
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