1.tHE BEginnINg
2.運命の日
司郎はいつもと変わらない目覚めを迎えた。体を起こして大きく伸びをした後、重い体と意識を引きずりながら一階に降り、洗面所で顔を洗う。
冷たさでさっぱりした頭でリビングに向かうと、そこには身支度を整えた両親がいた。
「おはよう、父さん、母さん」
「お、おはよう。早いな」
「習慣にしてないと寝過ごすからね。……もう行くの?」
司郎の質問に、二人は表情を暗くして答えた。
「ああ。そこまで余裕があるわけでもないからな」
「本当ならもうちょっと居たいけど……」
「仕事をサボられでもしたらコッチがたまらないよ」
おどけたようにそう言い、司郎は冷蔵庫からペットボトルのお茶を差し出した。
「ほら、持っていきなよ」
「ありがとう」
「今度帰ってくる時は何かお土産買ってくるわね」
それじゃ、と言って二人は玄関から家を出ようとした。
しかし、司郎の母親はそこで動きを止めると、すぐさま振り返って司郎を強く抱きしめた。
「……母さん?」
突然のことに困惑して彼はそう尋ねる。
返って来たのは謝罪だった。
「……ごめんね」
「何を謝ることがあるのさ」
「本当なら、一緒にいてあげるべきなのに……放っておいて」
「大丈夫だよ。
司郎はそう言って母を宥める。
「……でも……家族より、仕事を取るなんて……親失格よ——」
「冗談でも言うなよ、そんなこと!」
彼は母を引きはがし、声を荒げた。
それが何故かは彼自身にもわからなかったが、突然の大声に驚き身を固めている母を見て気を取り直し、今度は彼の方から抱きしめた。
「……ごめん。でも、そんなこと言わないでくれよ。会うことは少なくても、こうやって、愛情を注いでくれている。それだけで、俺にとっては十分だ」
「……うん、わかった」
そう小さく呟いた司郎の母は、やがて司郎の腕の中から離れた。
そして今度こそ玄関を出ると、黒い自家用車に乗り込んだ。
「今度来る時は事前に連絡してくれよ」
「わかった。……司郎、元気でな」
「……うん。じゃあ、また」
司郎は玄関先で手を振り、両親が乗った車が見えなくなるまでずっと見送っていた。
しばらく後。車内で、司郎の父と母はしみじみと言葉を交わす。
「……しばらくぶりだったが、随分と大きくなっていたな」
「そうね……あんなこと言えるようになってるなんて」
「もっと頑張らないとな」
「ええ。せめて、胸を張れるように」
二人は静かに心の内で決意を固めていた。
◇◇◇
両親がいなくなったリビング。昨晩の誕生日祝いの騒ぎがもう昔の事のように思い起こされて少し寂しさを感じるも、司郎はさっさと朝食の準備を進める。
するとそこへ孝明が遅れて起きだしてきた。
「……あ、おはよう兄さん」
「おう。さっさと着替えてこい」
「ふぁー……い」
欠伸と一緒に返事をした孝明はまた自室に戻っていった。
また戻ってくるまでに今日分の弁当と朝食を作り終え、後はテレビをつけて待った。
「お待たせ」
「おう。んじゃいただきます」
トーストをかじりながらニュースを見る。朝早いので会話はあまりなく、適当に食べていればすぐに無くなる。
やがて司郎は一足先に食べ終え、自室に戻って学校へ行く用意をする。
しばらくして制服に着替え、荷物を整えた司郎はリビングに戻った。
「はいこれ、お前の弁当」
「ありがと。夕飯は何がいい?」
「そうだな……あ、久しぶりに親子丼でもどうだ?」
「いいね。じゃあ帰りに卵をよろしく」
「はいよ。じゃあ先行くわ」
孝明から渡された小遣いを財布に仕舞い、司郎は玄関に繋がる扉に手をかけた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
玄関から外に出ると、ちょうど宗治も家から出てくるところだった。
「おはよう」
「おっす。行こうぜ」
二人で一緒に駅へ歩きながら雑談する。
「そんで、昨日のアレはどうだったんだ?」
「アレって?」
「ほら、昨日の車。誰が来てたんだ?」
「ああ……ウチの両親だ」
「両親? 海外に居たんじゃなかったか?」
「それが、急に帰ってきたんだ。コッチも驚いたさ」
「ほーん……大変なんだな、お前も」
昨日よりも大分実感を増したような声音で呟く宗治。
「否定する気はないけど……別に、これくらいはどうってことないな」
「強いねぇ」
「弱いさ。何もしてあげられないんだから」
「?」
「……コッチの話」
宗治は司郎の僅かな変化に気付いたが、深入りはしなかった。
「……ああ、そうそう。もう一つ言うことがあったんだ。誕生日おめでとさん」
「ありがとう。珍しいじゃないか、お前が人の誕生日覚えてるなんて」
「昨日は自分も半分以上忘れてたくせに」
「否定はしない」
「なら肯定だな。人の事言えないだろ」
その答えに司郎は苦笑を零した。
「お前のその前向きなトコ、好きだぜ」
「……何だしみじみと、気持ち悪い」
「人がせっかく褒めたってのに」
「そらどーもありがとうござんした。はいこれプレゼント」
そう言って渡されたのは5000円分のギフトカードだった。
「……おお、サンキュ」
「大事に使ってくれよ」
「っても、俺そこまでネットで金使わないしなー。その辺のゲームでも買うかな」
「ま、それは帰ってから決めてくれ」
司郎は背負ったリュックにそれを仕舞う。
そしてまた背負い直すと、駅はすぐそこだった。二人は電車に乗り、学校の最寄り駅まで到着する。
「そういえばよ、お前が頼まれたっていう原稿ってどんなんよ?」
「なんでも、全校の前でのスピーチらしいぞ。二年の頃からずっとだ」
「体良く利用されてるだけじゃねえか」
「その通り。でもそのかわりにファミレス奢ってくれるから中々太っ腹だぜ」
何気なくそう言った後で、司郎は己の失策に気付いた。
彼の予想通り、宗治は意味深げな笑みを浮かべて彼に詰め寄る。
「へぇ〜え。いいなぁお前は。みんなの憧れの生徒会長さんと定期的にデートできるなんてよ」
「その言い方やめてくれよ。別に付き合ってるわけじゃねえし」
「好意を寄せられてんのは知ってんだろ」
言葉に詰まる司郎。完全に図星である。
「片桐も可哀想に。こんな堅物が片想いの相手とは」
「失礼な」
「どっちがだよ。今までそうなった奴の誰とも付き合ってねえんだろ。一人くらい良いんじゃねえの? 片桐も充分に美人だろう」
「いや別に、好みの問題じゃねえから」
「お? じゃあ何だってんだ?」
宗治はここだけは譲らんと言うように聞いてきた。
司郎はしばらく沈黙していたが、やがて観念したように口を開いた。
「実はな……俺、女の人が苦手なんだ」
彼の言葉に宗治は驚く。
十年来の友である彼にとっても、初めて知る事実だったからだ。
「……どうしてだ? お前がそうなる理由がわからん」
「それを知ってたらよかったんだけど。いつからかもわからない。普段付き合いする分には全く問題無いんだが、恋人として付き合うとか、そういうことになるとどうしてか拒否感が強くなるんだよ」
目頭を揉みながら言う司郎の横顔はとても疲れたような表情をしていた。
宗治が彼の言っていることが真実だと判断する材料は、それだけで充分だった。
「……片桐さんには申し訳無いんだけど、彼女に一年以上もこき使われてるのはその治療みたいな部分もある。おかげで今じゃだいぶ改善されたんだけど」
「それでもまだ決心するには足りない、と。お前は前世でどんな業を背負ってたんだ?」
「知らん。こっちが聞きたい。きっとろくでも無い人生を送ったんだろうな……」
そんな会話をしているうちに学校にたどり着き、彼らは教室にやってきた。
扉を開けると教室内には三人の女子がいて、一人は机に向かって頭を抱え、もう二人は教室後方で喋っている。
三人は司郎と宗治を見とめると、それぞれ挨拶した。
「おはよう二人とも」
「あ、おはようございます。司郎君、宗治君」
「オハヨーゴザイマス! シロウさん! ソージさん!」
「おはよう片桐さん、
「おーっす」
適当に挨拶を返し、二人は自分の席に荷物を置いた。
「それで、俺はコレを書けばいいのか?」
「あ、うん。お願いね」
「はいよ」
司郎は机で作業をしていた女子の傍らに置いてあった紙を取り上げる。
その辺の椅子を拝借し、ペンを持ってうーむと唸る。
「……
「だって、私じゃ思い付かないんだもん」
そこへ、神裂と呼ばれた女子もやってきた。「やれやれ」というように首を振った彼女の顔は、妙にニヤニヤしていた。
「別に苦労でもないからいいんだけど」
「司郎君はそう言うけど、誰かに知られたらお終いじゃない? ねぇ飛鳥」
「うーん……」
本気で迷うように首を捻る飛鳥だったが、そこへ司郎が爆弾を投げた。
「ん? そういう意味だともう既に終わってるんじゃないか?」
「へ? え、え?」
「え、そうなの?」
それを聞いた飛鳥は呆けたように声を出した後で、挙動不審に陥る。神裂も意外そうに聞き返す。
そこへ、宗治とクリスティアもやって来て会話に混ざった。
「ああ、もうみんな知ってるだろ」
「知らないのは先生方だけだと思いマス」
二人揃って投下した爆弾は確実に飛鳥に突き刺さった。
「え? え!? 嘘ぉ!? そんなぁ……!」
「あーあ、撃沈した」
「お前が言えたことかよ」
宗治は司郎に突っ込む。が、彼はそこまで気にした様子は無かった。
「って言われてもな。別に知られても不利益はないし」
「お前はそうだろうが」
「"上手く隠せている"って今まで信じて疑わなかったのが実際はバレバレだった、なんて滑稽すぎて恥ずかしいでしょうね」
「カワイソウに……」
三人の生暖かい視線を受け、飛鳥はさらに悶える。
「ああー……あぁー!」
「そんなに嫌がることかね。ホイできた」
「早っ」
司郎は飛鳥に紙を差し出して、ふぅ、と一息吐いた。
「……それで、神裂さんとクリスティアさんは何でここにいるんだ? いつもはもうちょっと遅いだろ?」
「
「へぇ。クリスティアさんは?」
「ワタシは偶然デス。ただ単に早くきてシマッタというだけデス」
「……そうか」
「よくよく考えてみりゃこの五人って結構異質なメンツだよな」
しみじみと宗治が呟くので、司郎は他四人を見回す。
「……そうか?」
「いや、そうだろ。"武闘派生徒会長"に"般若仮面のテニス姫"に"厨二病剣士の留学生"と"運動神経の化け物"だろ?」
「そしてお前は空手の達人、と。化け物呼ばわりはともかく、確かにある意味すげぇな」
司郎はそれだけしか感想が出てこなかったが、他三人——特に酷い呼ばれ方をされた二人は黙っていなかった。
「……宗治君? 誰が般若ですって?」
「むぅ、『チューニビョー』とは何という呼び方をするンですか! せめて冒険心溢れると言って下サイ!」
「ティアちゃん、それ少し違うんじゃ……」
一名ほど飛鳥からツッコミをくらったのはともかく、もう片方は背後から真っ黒のオーラを噴出させ、顔に露骨なほど満面の笑みを浮かべていた。
宗治は、そして他二人はその瞬間に理解した。"彼女は怒らせてはいけない"と。
そんなこんなで五人がわちゃわちゃしていると、突然教室の扉が前後両方とも開かれた。
「……おはよう」
「あら、おはようみんな。今日は早いわね」
「おはよう、
後ろの扉から入って来たのは、眼鏡をかけた同級生の男子だった。ひょろりとしているが、理知的な雰囲気がある。
そして前の扉から入ってきたのは白衣を着た司郎たちより年上の女性で、脇に出欠表を携えた長身の美人だった。
女性——相良と呼ばれた司郎たちの担任は教卓に出欠表を置くと、彼らに話しかけた。
「珍しい組み合わせね。何してたの?」
「早く来すぎたんで談笑してました」
無難にそう返すと、司郎は今度は眼鏡をかけた男子——達哉に話しかける。
「お前も早いな達哉」
「
「ふーん。でも珍しいな、アイツがお前を呼ぶなんて」
「きっと課題がどうこうって話でしょ」
澄ました顔でそう言った達哉は荷物を置くと椅子に座る。
宗治は苦笑しながらその側に寄った。
「……まぁそうだろうけどな。アイツは腹の底が読めないからなー」
「案外ただ話したいだけだったり?」
「それはないと思うよ神裂さん。
「断言しちゃうんデスね」
「実際何考えてるかわからないし」
「心でも読めてるのかって動きすることあるしなぁ……笹原くんは」
七人揃って一人のクラスメイトの話題で苦笑いする。
どこにでもある、普通の、彼らの当然の日常がそこにあった。
「……さて、そろそろ朝練組が帰ってくるころかな」
司郎はそう言って会話を切り上げ、自分の席に戻るために座っていた椅子から立ち上がろうとした。
——瞬間、彼の体は凍りついた。
彼だけではない。教室内にいた他の六人も動きを止め、皆一様に視線を足元に落としていた。
あまりにも突然のことに、行動から思考までもが停止する。
「……な、んだ、こりゃ?」
司郎は喉の奥から声を絞り出す。
床から溢れ出す光がその顔を照らし、眩い輝きを放っている。突如として出現したその光景に、彼らは絶句するしかなかった。
しかし、その問いに完璧な答えを返せる存在はいなかった。
「……何この……魔法陣、みたいな……?」
そんな中、飛鳥の言葉が彼の耳に入る。
なるほど確かに、今まさに教室の床から発される光は形を変え、円形になり、その円に沿って複雑な文字や紋様が描かれつつある。
その見た目は正に"魔法陣"だった。
「ったって……なんでそんな」
「……ッ! 全員、早く教室から出——」
司郎が大声で呼びかけるも、時既に遅く。
彼らは忽然とそこから姿を消した。
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