第891話 躊躇い

 やがて『加護の森』に入った『劉鷺りゅうさぎ』は、イバキと別れた場所の辺りまで辿り着いた。地面について森の中を歩き始める劉鷺。しかしイバキとその護衛のスー、それに複数人といた『退魔士』の姿が見えない。


 ケイノトから加護の森までは一本道の為、ここまで空を飛んできた劉鷺がその姿を見ていないという事は、まだイバキ達はこの森に居る筈なのである。そうだというのにあれだけの大所帯で退魔組の退魔士が一人も見かけないという事はあり得ない。森の中は静かだが、逆にそれが不気味に映り始める。


「何かあったのか?」


 もう一度森の入り口まで戻ろうと背中の羽を使って空へ飛びあがった瞬間、遠くの方から断末魔が聞こえた。


「!?」


 劉鷺はその小さな声を聞いた事で入り口とは別の方角に顔を向ける。どうやらその声は『加護の森』ではなく、更に森の奥から聞こえたきたようだった。


(今の断末魔は! まさか……、戦闘中なのか!?)


 例の二人組の妖魔が現れたのかもしれない。劉鷺はそう考えたと同時に『特別退魔士とくたいま』の『タクシン』の亡骸が頭を過った。


「……主殿!」


 血相を変えて森の奥へと、空を飛んで向かう劉鷺であった。


 ……

 ……

 ……


 劉鷺が今の人型状態で本気で空を飛べば、人間達の走る速度とは比較にもならない。一瞬で『加護の森』の奥側の出口まで辿り着いた。


 しかしもう加護の森の全域を見渡す勢いでここまで空を飛んできた劉鷺だったが、それでも尚、イバキの姿を発見出来なかった。見落とし等はしていない筈だと考えた鷺劉は、加護の森の端の端。その先の崖に視線を移した。


 『加護の森』の奥側の出口から少し歩いた先の崖には、向こう側の森へ続く橋がかかっている。


 『加護の森』から区切られた道の先に見える森は『で、ケイノトの管理する『加護の森』では無い。


 ここから見える視界の先、僅か橋を渡って数歩で辿り着くその森に、一歩でも許可なく踏み入れた場合、それは他町の領地の干渉となる。


 ひと昔前であれば、そこまで厳しく取り締まる事などは無かったが『妖魔団の乱』以降、険悪な仲となった『妖魔退魔師ようまたいまし』達が、一斉にサカダイへと移り住んでからは、ケイノトの『ゲンロク』は退魔組を通して、この橋の向こう側へは入ることを禁じていた筈である。


 普段であればイバキが許可もとらず、橋の向こう側の森へ向かう筈は無かったが、今はサテツが出した緊急の任務中である。さっきの聞こえてきた断末魔からイバキ達は、向こう側に居ると考えた劉鷺は『へと、踏み入れる覚悟を決めるのだった。


 もしこれでイバキ達が居らず、後にケイノトの退魔士の使役する『式』妖魔の『劉鷺りゅうさぎ』が向こう側の土地に許可なく入り込んだことが明るみになれば、サカダイの所属となった『妖魔退魔師ようまたいまし』達に処刑されてもケイノト側の『妖魔召士ようましょうし』や『退魔組』のゲンロクは何も文句が言えない。


 たかが他町の森に一歩入り込んだくらいで大袈裟だと普通の人は思うかもしれないが、この世界ではそれが命とりとなる。


 このケイノトの管理する『加護の森』とサカダイの管理するその『名も無き森』は、その近さとは裏腹にかなりの根深さがある両町の境目の場所として有名なのである。


 当然『加護の森』に退魔組の張った結界があるように、サカダイ側にもケイノト側の退魔士たちには分からない、感知の出来る結界が張られているかもしれない。


 それにもしかすると先程の断末魔は、何かの勘違いで森にイバキ達が渡っていない可能性もある。そうなれば劉鷺が入る事でイバキに迷惑をかける事になってしまう。そこまで考えて少しだけ躊躇する様子を見せていた劉鷺だったが、イバキが居た時の事を考えて、何やら危険が主に迫っていた場合、自分の助けを待っているかもしれないと、そう考えた瞬間に劉鷺は自然に足が前に進みだす。


 ――そして『劉鷺りゅうさぎ』は意を決して、森へと踏み入れるのだった。

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