第3話 暗闇の中の死体

「まずは凶器だ。凶器は必ずこの車内にあるはずだ」

「その根拠は何かね」


 教授が片手にメモを携えながら根拠を尋ねてきた。こいつのことは生理的に気に食わないが、ユーリの犯行でないことを提示してくれた人物だ。こいつと協力した方がこの事件を早く解決できるだろう。


「トンネル内で殺したとすれば凶器を捨てるタイミングはトンネルの中だ。だがトンネル内で窓を開けると汽車の煙が入ってくるはず。むろん、汽車の煙は来ていない。つまり窓からは捨てられない」

「その通りだ。ではまず、全員の荷物検査とでもいこうかね」


 教授はまっさきに眠っていた男居眠り男に踵を向けて鷲鼻の先をびったりとつけるほどに近づいた。


「お、俺は何も持ってないぞ」


 襤褸切れのような上着を居眠り男は自ら脱ぎだした。上着だけでなく中も同じようにつぎはぎだらけでなんとか服の体裁を守っているだけで体の線が見えている。凶器となるものは見当たらない。


「服の裏側も見せてくれたまえ」

「う、裏もなんも持ってねえぞほら」


 言われるがまま古着のつぎはぎだから防寒性となる綿すら入っていない薄っぺらで凶器となるようなふくらみはない見える。そしてこの男の荷物は服だけで手ぶらで乗っていたようだ。


「ふむ、確かに。では私のも見てもらえるかな。ジョーンズ君」


 教授から手渡された荷物を受け取って中身を確認する。ん? 俺の名前を言ったか。そうだ、さっきユーリが助けを乞う時に俺の名前を呼んでたな。

 気を取り直して教授から受け渡された革製の鞄を開くと、驚くほどシンプルだった。着替えの服にリバプールと書かれている地図。何冊ものメモ帳と動物の内臓で作られた鉛筆入れ。どれも値は張りそうだが、命を取るまでには至らない代物だ。

 鞄の中身をすべて戻して教授に返した。


「いいですかな。ではお二人のも拝見させていただきたい」


 大人しく上着を脱ごうとしたとき、俺の服の裏にナイフを仕込んでいたのを思い出した。まずい、ナイフが見つかったら俺とユーリが共謀してやったと思われる。どこか隙を見てナイフを隠すか思考をひねらせた。だが鋭い視線に動きを止められた。居眠り男のものかと思ったが、教授のナイフで切った鋭い目に金縛りにあったのだ。

 なんだ、俺を疑っているのか? お前は決して味方ではないということか。下手な動きをするとこの教授にすべて奪われそうな気がする。

 だが俺たちは無実だ。覚悟を決めて上着を脱ぐと、中に入れてあったナイフを教授に刃を俺の方に向けて差し出した。


「ナイフ!? やはり犯人は」

「いや違う。紳士は打撲で死んだ。わざわざ一突きで殺せる道具があるのにそれを活用しないのはいささか変ではないかね。まして、時間もない暗闇の中なのに。それに、一番凶器となるものを堂々と渡す犯人はいないだろう」


 じっと睨んでいた教授の目が俺の方から外れると、急に肩の力が抜け落ちた。なんなんだこの男は。

 そして居眠り男がスコップを入れていたケースに手をかけると、目を大きくさせた。


「血がついているぞこのケース!」

「これは君たちの荷物なんだね」

「そうだ」


 「中身を確認させていただく」と教授自らケースを開くと、仕事道具の木のスコップが出てきた。


「このスコップは何だ」

「仕事用で使う為に持ってきてたんだ」

「仕事だと。土木作業員か」


 穴を掘るのは同じだが、ユーリと呼吸を合わせて「そうだ」とうなずいた。


「違うな」

「なに? 血もついているし、このスコップが入ったケースで殴れば頭をかち割って死ぬだろ。打撲で殺されたとあんた言ってたじゃないか」

「もちろん。だがこれで死んだというわけではない。見たまえ、このスコップは全身木でできている。鉄のスコップであれば凶器とみて間違いないが、木となると折れたりひびが入ったりするだろうが、これは無傷だ。しかもこのスコップ、ずいぶん古い、非力な私の細腕でも簡単に折れてしまいそうだ」


 教授の見分も済み、疑いは晴れそうで安堵した。


「よかったですねぇ、ジョーンズがケチって新しいのを買わなかったおかげですぅ」

「ケチも役に立つだろ」


 となると、残りは紳士の荷物だな。あるとするなら、もうここしかない。紳士の服のポケットから鞄のカギを拝借して、鞄を開けた瞬間小さな紙切れが車内に舞い散った。

 な、なんじゃあこりゃ。裏は白、表は黒の紙切れがゆらゆらと下に落ちていき、その一つが俺の顔の上に降りる。紙には『ロンドン発→ブリストル』と書いてあった。切符?


「ふむ、バーミンガム。サンダーランド。これはキングス・クロス駅からエディンバラまでの直通急行の切符だ」

「それはぁ、乗り換えのために買ったのですかぁ」

「いや、全部検札が終わっている切符だ。乗り換えにも乗車にも使えず価値はない」


 使用済みの切符か。うっかり置いておいたのがばらけてしまったのだろう。そのほかのを探し回ったが、汽車の風景が撮られた写真に懐中時計。そして着替え。教授のとたいして変わりはない。違うのは紳士が持っていた箱だが、これで殴った後があればよかったが特に何もなかった。

 つまりこれで全員分の荷物に凶器はなかった。いや、発見できなかったというのが正しいだろう。いかんな、これではユーリが犯人でない証明ができない。ホイッグ警部に使った嘘の推理は使えない。誰も信頼も信用も置けない。居眠り男も教授も怪しくどちらも、どっちも犯人である可能性がある。

 別の角度で穴を探すしかない。


「一度全員がこの客車に乗り込んだ時間を教えてくれ。まず俺とこいつはロンドンから一緒に乗り込んだ。その後紳士が乗り込んだ」

「俺もロンドンからだ。今朝は疲れていたからすぐ寝てしまって、起きたのがこの紳士が死んだ直後だ」


 ロンドンから途中駅の間に関しては間違いはない。目の前の居眠り男がずっと寝ていたのを三人とも確認している。


「で、さっきの途中駅で亡くなったおじさんが最初に降りた後ぉ、私とジョーンズもお昼を買いに行って。出発ぎりぎりになって客車に戻ってきたときには三人が乗っていましたぁ」

「駅に降りたのは十四時五分ちょうどだな。駅に戻ったのは二十五分だ」

「では、その間の証言は私だけということだな。私は先ほどの駅で乗り込んだよ。時刻はたしか十四時十五分。自分の時計で確認したから間違いない。この客車に乗った時にはすでに彼と紳士は席に座っていた」

「その時生きていたか?」

「うーむ。乗ってすぐ手帳にメモをしていたから生きていたかどうかは。ただ、窓の方をじっと見ていたのは覚えている。そして隣に座っていた彼は寝ていたよ。ハンチング帽を被ってね」


 整理すると、紳士は先に列車を降りた後に俺たちも続いて降りた。そのあと紳士が乗車した後に教授が途中駅から乗り込んできた。居眠り男は変わらず車内にいたとなる。出発ぎりぎりになって俺たちが列車に戻っていた時は、紳士はユーリの席に座って鼻歌を歌っていたから生存していた。


 ではいつ紳士は殺された。やはりあのトンネルなのか。だが凶器となりえるものは俺たち以外持っていなかった。どうすればいい、このままでは二人とも確実にブタ箱行きだ。

 うつぶせに倒れた紳士に目をやると、ポケットから切符が飛び出していた。切符は俺が駅で買ったのと同じ『ロンドン発リバプール行き』と書かれたものだ。

 待てよこの切符。紳士は確か俺にあのことを告げていたはず。なのにこの切符にはあることがされてない。そんなことがあり得るのか。ないと言い切れる証拠を提示するには、ほかの切符と共通していなければならない。

 俺は再び紳士の鞄からあの使用済み切符を取り出して教授に突き付けた。


「教授。この使用済み切符に価値はあるのか」

「どういうことですかぁ。使い終わった切符はただの紙切れでしょぅ」

「骸と同じだ。人は骸になったらそれで終わり。普通の人間はそう考える。だが、骸を必要だとする人間だっている、解剖を学ぶ医者、医者に卸すために掘り起こす墓荒らし、葬儀屋。こいつらには共有している価値がある。この切符にも共通の価値あるんじゃないか」


 取り出した使用済み切符を教授は不動で見つめながら、口を開いた。


「…………これだけの切符、ある好事家こうずかには欲しがる人もいると聞いたことがある。待てよこの紳士があれならこの切符にはあってはならないことがある」


 教授は手帳を取り出して、メモを書きだした。手帳の中で書いたり修正したりを繰り返した後、その中身を俺に耳打ちした。

 ああ、それだったらこの紳士の切符が証拠になるな。


「紳士はトンネルで殺されてない」

「え? どういうことですかぁ?」

「俺たちが、いや教授が乗っていた時にはもう骸になっていたんだ。ただし、ユーリの席ではない反対側の座席でな」


 一斉に一人の男に視線を向けると、居眠り男は顔を真っ赤にした。


「おい、てめえぶち殺されてえか! 人を犯人と勝手に決めつけやがって。どういう理屈なんだよ!」

「簡単だ。紳士が列車に戻ってきた後お前が殺して、紳士の上着と入れ替えた。そしてトンネルに入るまでの間紳士が生きていると俺たちに思い込ませて、トンネル内で紳士を押し倒し上着を被せて再び入れ替わったというわけだ」

「そんなの誰でもできるだろうが。そこの教授が俺が寝ている間に紳士を殺して、女に反応しているかのように見せかけることだって可能だろ。第一俺は凶器を持ってない」

「凶器なんてとっくに駅で止まっている間に捨ててる。そして必要なのは凶器じゃねえ。動かぬ証拠というやつだ」


 紳士のポケットから拝借した先ほどの切符を居眠り男の前に見せる。居眠り男は口をポカンと開けてそれがどうしたと腕を組んでふんぞり返った。


「切符? まさか、紳士を殺した拍子に紳士が持っていた鞄がひっくり返ってその切符の山から間違えたとでも。ほら見てみろ、ロンドンからリバプール行きの俺の切符だ」


 居眠り男は怒髪天を衝く勢いのまま、コートの裏から鋏で切られた跡が残っている切符を見せつけた。ああ、なるほどこいつはぁ。確信したよ。


「ふむ、では確認だが君は客車から一歩も降りてないというのは偽りないんだね」

「そうだ。俺は降りてない。寝てたんだ」

「じゃあなんでその切符には

「え?」


 居眠り男は思考と一緒に切符を持ったまま体も硬直して立ち止まってしまった。この男この汽車のルールを知らなかったようだな。


「この列車は途中駅で駅員が切符に鋏を入れて乗車確認するんだ。俺たちと教授はすでにさっきの駅で鋏を入れてる」

「そ、それは。そうだ思い出した、駅員が客車にやってきてその時に入れてくれたんだ」

「ほうなるほどそれは幸運だったな。しかし不思議なことだ先に降りた紳士の切符には鋏が入っていないんだ」


 紳士のポケットに入っていた切符は、鋏の切れ込みもまったくないまっすぐを保っていた。ずりずりと居眠り男は脂汗をかきながら後ろに後退していったが、残念ながら後ろに下がっても汽車は進んでいるだけだ。


「…………わ、忘れていたんだ」

「いや、彼が忘れるはずがない。彼はいわゆるだ。ジョーンズ君の証言ではやたら詳しく列車や途中駅のことを話していたそうだ。服や荷物を調べたが、わかっているだけで二百もの汽車の切符を持っている。そして切符はすべて鋏を入れてる、というのにその彼がすぐ下車したのに大事な切符の検札を忘れることなどあるだろうか」

「白状しろよ。その切符は本当は、紳士を殺した時にお前のと間違って入れてしまったんだろ」


 ついに居眠り男の足が座席についてしまったその時、隣の窓を押し下げて列車から飛び降りようと足をかけた。しかし、汽車の速度は男の予想よりも速く体が飛び降りるのを拒否していた。バゴンッとユーリが男の脳天めがけてスコップで叩きつけて列車の中に引きずり戻した。


「あーあぁ。壊れちゃいましたねえぇ」

「どうせあり合わせで作ったスコップだ。リバプールに着いたら雇い主に新品を買ってもらうようごねとけ」


 強くたたきすぎてしまったらしく、男は目を回しており動く気配はない。やれやれ、これでリバプールまではまたしばらく居眠り男だな。とりあえずブタ箱行は回避できたが、警察の取り調べを受けなきゃならんのかめんどくさいな。

 到着するまで体を休めようとすると、足元でユーリが紳士の鞄の中で散乱していた切符を片付けていた。それも一枚一枚同じ方向になるような丁寧さで。


「せめて、切符だけはちきんと整理した方がいいかなぁって」

「証拠品だぞ。動かしたら警察がうるさい」

「う~ん。おじさんが大事にしているものなのにぃ。あれ、これってぇ」

「その箱がどうかしたか」


 ユーリが手にした箱のようなもの。よく見たら前の方に細長い筒のようなものがくっついていた。その奇妙な箱に教授が興味深そうにのぞき込んでいた。


「ほう、これは珍しい。カロタイプのカメラではないか」

「カロタイプ?」

「ええ、今あるカメラの大半はダゲレオタイプなのですが。このカロタイプは新しいカメラで、撮影をダゲレオよりも短い時間で撮影できるのですよ。しかも写真は美しく、複写できる。この紳士なかなか新しい物好きですな」

「もしかしておじさんが持っているこの写真、おじさんが自分で撮ったものなのかなぁ」


 そういえば紳士の鞄の中にあった写真、どれも人が写っているものよりも、汽車が走っているものが多く写真ばかりだったな。写真なんてジェントリやブルジョアの高級なおもちゃだから持ち出すことなんてないと思っていたが、気軽に持ち込めるものなのか。あるいは紳士の鉄道狂がカメラの価値より鉄道を優先したためか。

 もしかしたら、紳士が居眠り男と争ったのもカメラや金銭ではなく、切符を盗もうと思ったのかもしれないな。

 かちゃりとユーリが紳士の鞄にカギをかけると骸となった紳士に向かって手を合わせて、やりきれない顔で口をゆがませた。


「このおじさんただの汽車好きな優しい人だったのにぃ、なんで殺されてしまったんだろうぅ」

「運が悪かったんだな。どんな金持ちも人生がうまくいっていた人間もどこかしらの落とし穴に落っこちてしまうんだよ」

「ジョーンズはドライですねぇ」

「そんな奴、イーストエンドでいっぱい見てきたからな」


 そう、俺の母親も生きるために娼婦として働いていただけなのに、毒をもらって死んでしまった。世界は物語とは違って無情なんだ。

 揺れる車窓の外を眺めていると遠くに大きな船が見えてきた。そのタイミングで汽車が速度を緩めると視界に『リバプール』と書かれた駅名が目に入ってきた。

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