消えた死体

第1話 港湾都市リバプール

 警察からの事情聴取が終わるころには日が暮れていた。下手すれば明日までかかると思っていたが、あの居眠り男が早々に自白をしたため早期釈放された。

 居眠り男は列車内で盗みを働くのを生業にしていた男だった。本来なら紳士から金品を奪って途中駅でトンズラする予定だったが、金目のものがなにもなく、戻ってきた紳士ともみ合いになり忍ばせていた棍棒で殴り殺してしまった。逃走を図ろうとしたが、教授が乗り込もうとしていたため紳士の上着を纏って変装していたのだ。

 居眠り男は路線の地形を把握していたため、途中のトンネルで服を脱ぎ捨てて、そばにいたユーリに罪をなすりつけて駅での騒ぎに乗じて逃げる算段を図ろうとしていた。しかし俺の推理でご破産になり観念したという。


 依頼人がいるリバプールの街にようやく拝めることができたが、煤煙臭さはロンドンとは変わらないが、違いはばい煙と一緒に運ばれてくる潮の匂いだ。


「さすが港町って感じだな。港湾労働者がいっぱいだ」

「すっごい人。ロンドンより人が多いですねぇ」


 ロンドンより人が多いことはないだろうが、にぎわいっぷりはロンドンに引けを取らないほどだ。リバプールは鉄道の開通と港湾の再開発で発展著しいと噂に聞いていたが、その噂を聞きつけたほかの都市にた労働者が集まり、あちこちで顔を日で真っ黒に焼けた労働者たちが多く町中を歩いていた。


 依頼人から指定された年季の入ったコーヒーハウス入ると、コーヒー豆が挽かれる香ばしい香りが漂ってきた。今の英国人の血は紅茶でできているほど紅茶を飲んでいるが、大航海時代ではコーヒーの血が流れていたほどコーヒーを愛飲していた。この店は昔ながらの大衆的コーヒーハウスを今日でも続けているようで、日に焼けた労働者たちが椅子のないカウンターに並んでコーヒーを飲みながら焼けた声で歓談していた。


 カウンターにいる店主と思わしき口ひげの男にグレンザ・エドガーからの依頼で来たと伝えると、店主は「こちらへ」と自ら案内してくれた。

 カウンターから離れた店の奥にある垂れ幕を店主が上げると、向こう側にも店があった。

 天井には何十本もの蝋燭が灯されたシャンデリアが垂れ下がり、一つ一つのテーブルにはカーテンがかけられて個室のようになっていて、中の客は声が漏れないようにヒソヒソ注意を払うように談笑している。先ほど入ってきた労働者のたまり場とは違う別うまるで鏡の世界のようなエリアだ。店主に案内されるがまま店の最奥まで行くと、コーヒーの芳ばしい香りと香水が混じった匂いがした。最初は女かと思った、だが女の骸に付けられている香水とは匂いが違っていた。カーテンの幕を開けると中にいたのは、嫌に自己顕示欲が高そうな赤い縞模様の服が目立つ二〇代くらいの青年が鎮座していた。


「やあよく来てくれた。どうぞ掛けてくれたまえ。店主案内感謝するよ」


 快活な声音で出迎えてくれると、青年は懐からギニー硬貨を一枚指で弾いて店主にチップを渡した

 間違いなくブルジョア階級のボンボン坊ちゃまだ。


「依頼主のグレンザ・エドガーか。で、掘り返したい墓所はどこにある」

「いきなり仕事の話はよしてくれ。土と泥の話をして、口にしたのが泥水だと間違えては僕の優雅なコーヒーブレイクタイムが、だいなし。仕事は明日からでもいい。おい」

「はいぃ。すぐお二人のをお淹れいたしますぅ」


 命令された下男は、ユーリで耳慣れた間延びした独特のアイルランド語訛りで返事をし、いそいそとカーテンから出てコーヒーを取りに行ったらしい。しかし、あの下男だけではない。ほかの店員もアイルランド訛りで注文を受けていた。


「やけにアイルランド人の店員が多いな」

「ああ、リバプールの開発や港湾従事するのに職が欲しくて英語が通じるアイルランド人は都合がいいみたいで。ここの店員の他に労働者もみんなアイルランド人さ。なにせ金の欲しさに集まって来るから人が足りないことはないのさ」

「にしては、あんまり裕福じゃないな」


 店内で見かけたアイルランド人労働者はみな何度もつぎはぎをした服を着て、コーヒー一杯だけしか頼んでいなかった。


「工場労働者と変わらない給金しか払ってないからしかたない。けどアイルランドよりはましだよ。この前の飢饉で主食であるジャガイモが全滅、政府は無策、助けるはずの地主は自分の利益のため小麦粉を分け与えず英国本土に輸出。飢饉から逃れるために半数が移住したんだ。多くはアメリカに渡ったが、金のない人らはアイルランドから近いリバプールとかに渡ったんだ。一応アイルランドに残っている人たちを助けていた地主もいたそうだけど、去年の反乱では助けていた地主まで見境なくやられて、中には一家皆殺しまで。小説のような救いも何もないよ現実というのは」


 世の中の無常さを憂いながら、砂糖がたっぷりかかったプディングを頬張った。アイルランド人の苦労をわかっていながら救済をしないとは、ブルジョアとはどんなやつでもこういうものなんだな。

 先ほどの下男が戻ってくると、運ばれてきたカートの上に二人分のカップの中に黒土よりも濃い湯気だった液体が注がれる。


「さあ、召し上がれ。大航海時代から続いている由緒あるコーヒーハウスの名物はたっぷりの砂糖と牛乳だ。絶対に入れたまえよ、この店のコーヒーはそのままで飲むケチな野郎を撃退するためにものすごく濃く淹れているんだ。まあ私のように毎日飲みなれた人間なら通の味わいとしてそのままでも飲めるがね」


 エドガーに勧められるがまま、砂糖をとりあえず三杯とミルクを注いで一口飲む。感想としては、表現が難しく形容し難いほどで苦いを通り越して口が焼けそうになった。この世のコーヒーのカスをそのまま溶かして煮詰めたんじゃないだろうな。これ砂糖とミルクいくつ必要なんだ。そもそも溶けるのか。

 ああ、あの途中駅で飲んだ砂糖なしミルクティーが急に恋しくなってきた。

 酒飲みで辛党のユーリの舌にもこの地獄のコーヒーは合わず、舌を出して目のあたりがくしゃっとなった。


「ぐは! 苦あ。こんな濃いコーヒーはぁ、初めてですぅ」

「おや、その訛りはアイルランド人かい。僕はぁ、大学でぇアイルランド語を勉強しぃてたよぉ」

「あらぁ、お上手ぅ」


 エドガーのアイルランド語に褒めたが、ユーリの顔が笑ってない。アイルランド語に関しては門外漢なので、エドガーの語学がどらくらいひどいものかわからないが、バカにされてる感じで気に食わないのだろう。泥水よりひどいコーヒーを飲ませたことも含めて。


「ありがとうぅ。でも語学というのは勉強よりも、その土地で使い続ければ自然な言葉遣いになるんだけど、結局その機会もなくここで根を下ろすのは不幸だよ」

「あんたは家の当主という立場に不服そうだな」

「ああ、そうさ。僕は強制的に当主にされたのさ、もう少し遊んでいたかったんだけどね。七年前にここの有力者でありライバルだったエメラダ家のマダムがリバプールから引き払ったのを機に、親が勢力の拡大のために土地を囲い込み、労働力確保のためとしてアイルランド人を雇い入れ、僕は三年前政略結婚をさせられてといい迷惑だよ。おかげで親たちのポケットは熱々だろうけど、僕の胸のポケットはヒエヒエさ」


 脈絡もなくエドガーロマンス劇場の上演が始まった。自分が青春を謳歌していた大学と教授との出会いから始まり、ひと夏の恋に一目ぼれに三角関係の愛憎劇と依頼主の恋愛話を、大量のミルクと砂糖を継ぎ足しながら聞き流した。


「そんなあるときこのコーヒーハウスで給仕をしていた彼女と知り合ったのさ。親の顔を知らず、さみしい彼女と僕は恋に落ちた。もちろん妻がいるが、親との政略結婚がある以上結婚はできない。だから一生の愛人として僕が面倒見てやりたかったのに……」


 うつむきながらエドガーが肩を落とした。話の筋からして、その給仕の女が今回の掘り返してほしい骸らしい。話からして結婚している家にバレないように掘り返すのが話の趣旨っぽいな。まったくこんな回りくどい言い方で推測しなければならないもんかね。


「失礼、無礼であることは承知で済まないがその声はグレンザ・エドガー君かね」


 ようやく苦すぎるコーヒーを飲み干したところ。一緒の列車に乗っていたあの教授がカーテンの向こうから顔を出してきた。呼ばれたエドガーは教授の顔を見るなり、喜びの感情が爆発したように教授の手をつかんで細腕を折れんばかりに揺らした。


「先生! まさかこんなところで会えるなんて。ああ、すまない。彼は僕が大学に通っていた時の先生なんだよ」

「この間手紙を出してくれた時に知っていたが、君が当主とは時が経つのは早いものだ。そして相変わらず女遊びに夢中かね」

「いやぁ。もう所帯持ちになっちゃいまして、これからはきれいな身一つで生きるように心がけておりますです」


 腹の中に落としたコーヒーが思わず逆流しそうになった。コーヒーがむせ返りながらユーリも「今しがた亡くなった愛人の話をしたばかりなのにぃ」とコソコソと俺の耳元で囁いた。しかしそれも教授にとっては教え子の再会の肴となる話に過ぎず、懐かしの教え子との再会に教授の狐のような目がどこか垂れ下がっていた、が視線に俺たちが一緒にいるのを見つけると目は再び元に戻った。 


「おや、ジョーンズ君ではないかね。偶然ですなぁ、実は彼とは行きしなの列車で一緒になってね。いや世間とはなんとも狭いものか」

「ええ、まさかまたお会いできるとは思いませんでしたぜ教授」

「ほぅ、そうなんですか。実はジョーンズとは地元の友達なんですよ。ロンドンから帰ってきたから彼の友人と共に再会を祝してね」


 エドガーがその場で俺との関係を親しい友人であると創造しやがった。よくもまあそんな設定をその場で思いつくものだ。つぎはぎの作業ズボンを履いた男とジョンブルの当主が友人なんてありえないだろう。エドガーという男、女を捕まえるのがうまかったのはその口でからめとるのがうまかったんだろうな。


「どうです教授、この後一杯コーヒーを飲みながら」

「それはいい提案だ。列車に乗る前に紅茶を飲みたかったのだがちょうど砂糖が切れたようで、飲み損ねたんだ。ただ残念ながら生憎私用があるんだ。この店でほかの先生たちと待ち合わせしているんだ。今夜開かれる論文の発表会に向けてのお互いの成果を、霧の中で夜通し見せ合おうとしてね」

「では今日は僕がおごります。ここのコーヒーはブラックがおすすめですよ。夜中に訪れるケチな小人を撃退する効果はありますよ」

「それはいいことを聞いた。ではジョーンズ君、コーヒーブレイクの途中で失礼したな。また会おう」


 深々とお辞儀をすると俺はユーリを席から立ちあがらせて、教授と同じように深くお辞儀した。あの教授に敬意があるわけではないが、エドガーが勝手に設定した友人としてお辞儀しなければ降神前だと思ったからだ。

 教授が店主に案内されながら別席のカーテン付きテーブルに入っていくのを見届けると、エドガーは人心地ついたように、席に持たれて息を吐いた。


「教授に余計なこと聞かれてなかったよね。さてそろそろ本題に入ろうか。l彼女の墓なんだけど、明日の夜中に移動させてほしい。その日は濃い霧が出る時期だ。深い霧なら身を隠すのに十分だ。もちろん案内役はつけるさ」

「日時は了承した。あと備品として木のスコップを二本もらいたい。自前のを持ってきていたのだが、あいにく壊れてしまって」

「そのくらいならお安い御用さ。そうそう移動させるときには棺ごと運んでくれた前。共同墓地とはいえ中に彼女の大事なものが入っているだろうし、それをおいて新居に引っ越すなんて悲しいだろ」


 なんつった? 棺ごと掘り出して移動させろだと。こいつ、遺品の持ち出しは縛り首になることを知らないのか。この男、そんなの知らないなんて口にしやがったらその口ロープで縛り付けて開かせないようにしてやろうか。

 手に力を入れて問い詰めようとした時、俺より先にユーリがゆっくりと手を上げて発言した。


「すみません。棺ごとはこっちお断りしているんですよぉ。遺品や副葬品を盗んだ私たち縛り首なんですぅ」

「その通り。墓荒らしは骸のみしか盗まない。そのご法度を犯してまでやるつもりはない」

「そのことなら僕も知っているよ。ロンドンの墓荒らしが死者の首輪を外し忘れて警察に調べられたから縛り首にあった話は聞いている。けど、それを承知でやってほしいのだよ。そもそも法に触れないようにするには、警察と第三者に通報されなきゃいい。共同墓地の周辺は警察も墓守も見回りが来ない。今夜は深い霧になるようだし、見つけるのは困難だ。墓地の案内と顔の確認はここのコーヒーハウスの店長にお願いするよ。店長からは移動の許可をもらっていし、このことは身内だけしか知らない。僕も奥さんにバレずに彼女のお引越しができる寸法さ」

「バレたらどうするんだ」

「バレないように仕事するんだね。そのために高い前金と一等車のチケットと最高級コーヒーセットをつけたじゃないか。できないのならここのコーヒー代と帰りの汽車は自腹で払ってくれたまえ。それとも連れてきた彼女を売ってでも帰るかい? 金は信頼の証拠。そうだろ、スカルヒュームのボスさん」


 にっこりとエドガーが含みがある笑みを浮かべて泥水のようなコーヒーを飲み干した。

 このボンボン、抜け目がない。ユーリの言う通りただより安いものはないものだ。

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