第2話 騒動の中の盗人
「お前がやったんだろ」
「何がだ」
「とぼけるな!」
警察にお縄になったのは何度もある。刑事にネチネチと「どうせすぐ釈放されるのに無駄な時間を」と愚痴を言われたり、ごみを見るような目で蔑まれることもあった。だが今日ほど厄介なことはない。担当の刑事が絞首台の前で唾を吐き捨てたあの若い刑事だからだ。
「頭ごなしに怒鳴るな。いったい何が起こったんだ」
「死刑囚が檻の馬車の中で死んでいた。状況からしてお前らの誰かがやったんだろ」
刑事は指の爪を弾き、一呼吸置いて、簡潔に答えた。
殺しか。死刑囚が死刑執行の前に死んでいたとなれば警察の沽券にかかわるのはことだ。そしてその死体を欲しがっている集団がすぐそばにいる。状況としては俺たちに疑いがかかるのは目に見えてわかる。
「それで、何の得がある?」
「死体が手に入る」
「そんなことわざわざしなくても、死刑囚なんて遅かれ早かれ死体になるだろ。俺らが手を出すなんてリスクしょってまでする必要があるか」
「そこまで頭が回らない奴もいるだろう。あるいは、死刑囚が殺されたことでスコットランドヤードの威信を落とす狙いすらある。」
まったく無知とは恐ろしい。墓荒らしはチームワークと慎重さが命だ。少しでもチームの輪を乱す行為は、即稼ぎがなくなる。最悪死ぬことだってある。特に死刑執行という大衆に目がつきやすい場所で、一人抜け駆けなんざしたらそいつはロンドンの中心から郊外まで身の安全が保障されない。第一、俺たちのことほとんど見逃しているスコットランドヤードを貶める考えもねえよ。
どのチームだって方針や配分は違えど、抜け駆けはご法度だ。
しかしこの若い刑事はそれを知らない。ただ執拗に木目調の机をへこませるほど拳で叩きこみ、白状させようと迫る。だがやっていないものをどうやって吐き出すというのか、この若い刑事の下手な正義には困ったものだ。そもそも何が起きたのか知らされないまま白状しろというのが気に食わない。
「何を言えばいい」
「お前たちの誰かが抜け駆けしているのを見たといえばえば減刑はできる」
「馬鹿馬鹿しい」
目の前が暗転した。体を起こすと額が熱く、はれ上がっていて叩きつけられた机の細切れの木片がパラパラと落ちてきた。幸い鼻の骨は折れていないようだ。
「貴様! スコットランドヤードに向かってその口の利き方はなんだ! お前が白状しないなら、連れていた女にも強制的に吐き出させてやるようにするぞ! 若い女人とは言え、スコットランドヤードは容赦しないぞ」
頭がぐわんぐわんと衝撃の余韻が引いてなく、刑事の怒鳴り声はぼんやりとしか聞けてなかった。しかし、ユーリのことを示唆していた言葉が入ると、急に頭が戻ってくる。
「やだ。私こんなことしたくないぃ。助けてぇ。誰か、助けてよ!」
同時に一年前にユーリと出会った時のことを思い出した。ひどい出会いだった。身寄りもなく彷徨っていたあいつが、暗闇の中で女にとって死よりも恐ろしいことから逃れようともがき苦しんでいたところで俺は出会った。
少女一人助けたところで何の金にもならない。けど、昔の俺に似ていた。母親を客から移された毒で死に、孤独で何もできない虚しさに打ちひしがれた俺の姿と被って見えていた。
今、ユーリはまた昔の俺になろうとするなら、助けるのは俺しかいない。
顔を上げて、目の前にいる刑事のポケットから覗き出ている金のチェーンに目をやった。
「あんた 懐中時計がなくなっているのはどうしてだ」
「何のことだ」
「指が寂しがっている。あんた懐中時計の蓋を閉じたり閉めたりするのが癖なんだろう」
絞首台の所にいた時には、チェーンの先に立派な金時計がついてあったものが、チェーンの輪の繋ぎ目のところで消えていた。
「……なくしたんだ」
「いいや違う。落としたなら留めているチェーンがこんな割れるようにはならない。切られた後だ。やられたな」
「盗まれるような連中には近づいていない」
「近づいてなかった? そりゃそうだろう。本当に怪しい人間は怪しい格好なんかしてない。獲物を狙う時は標的が警戒しない身近な格好をして、同じ空気を吸っている同類だと思わせるように偽装するんだ。泥棒紳士の仕業だ」
泥棒紳士。貴族の装いをして大衆に紛れ、隙を見て本物の貴族から金目のものを盗むスリの一種。大きなイベントではよく現れる輩だ。人間とは不思議なもので、見た目が異なる奴は警戒するが、同じだとゆるゆるになる。その油断に付け込んでスリを行う連中だ。
「あんたが俺たちをしょっぴく前、何人貴族の出立ちをした奴とすれ違った?」
「……貴族たちを誘導していたのは間違いない。しかしどうやって盗んだ。懐中時計はあの時上着のポケットに入れていた。チェーンだって服の前のボタンにつけていたつまり盗人は正面から堂々と盗んだということになる。俺はそんな真正面から盗まれる間抜けでは」
「片時もか?」
「そうだ。片時も」
「貴族を誘導するときでも」
「もちろん、広場の正面で誘導をしていた時は間違いなくあった」
「広場の正面だな。そこならよく聞こえていただろう絞首台の裏手で死刑囚が死んでいて、その容疑で俺たちを全員捕まえた騒動を。その緊急事態をあんたはいつ知った」
「部下たちが裏手から怒声が上がったから、いったん誘導を止めて合流した。それで、その時には……そう。なかった」
人間絶対に大事なものであっても片時も目を離さないわけではない。物音、異変が起きたら一瞬だけ目を離す、特に警察なんぞ自己より異変の方を優先してしまう。そして異変は偶然にせよスリたちの格好のチャンスになる。
手練れた人間なら三秒もあれば、チェーンを道具を使って切り、盗み去ることなんざ可能だ。
「俺たちを捕まえている声で、目を離してしまったんだな」
「そ、そうだ。あれは母様がスコットランドヤードに お祝いの金時計だったのに。どうして目を離してしまった。クソッ」
力なく椅子に腰かけて若い刑事は額に手を添えた。先ほどまで眉間にしわを深く刻みながら苛烈に正義を押し付ける刑事の面影はもうなく、怒られることに委縮する小さな子供のように縮んでいた。
突然ドアが開くと向こうから見覚えのあるトレンチコートの男が取り調べ室に入ってきた。男は狐のように吊り上がった目がまず若い刑事を見定める。
「取り調べにてこずっているようだなレストレード」
「ホイッグ警部殿! このような場末の現場にまで、ご苦労であります」
ゼンマイを巻きなおしたおもちゃの人形のように刑事はピンと背筋を張って敬礼した。ホイッグ警部はコツコツと白めの多い目の中に一つ炭をつけたようにポツンとある黒目を、俺の方に視線を移動させると、妙な緊張感が走った。
なぜを俺をじっくりと見る。俺とあんたにつながりがあると口にすればあんたの方が不利のはず、なのに足の先まで石のように固まってしまっている。
「そいつは私が相手をするから下がっておけ」
「え。し、しかし。警部殿のお手を煩わせるわけには」
「気づいていないようだが手玉に取られているぞレストレード君。いかんぞそれでは、犯人であると断定したと思うのなら毅然と立ち向かえ。こいつのことは俺が真実を明らかにする」
「君はキツネ狩りでキツネに同情と信頼をする犬を狩りに連れていくのか。まずは訓練からやり直しだ。まずはだ、この騒ぎに乗じて不埒を働いている泥棒貴族を取り締まりにでも行くんだな」
その言葉を聞くと両足のかかとをまっすぐにそろえて「わかりました!」とまるで新人のように意気揚々とした感じで取り調べ室を出て行った。
レストレードが出て行ったあと、ホイッグ警部はどかりと机に肘を乗せながら椅子に腰かけて、二つの点の照準を俺に向けた。
「よくもうちのレストレードを誑かそうとしたな」
「人聞きの悪いことを。俺は自分が犯人ではないことを信頼させるために、大事な金時計がどうなったか教えてあげたんですよ」
「ふん。そんな言い訳は口の周りにチョコレートがついているぐらいに稚拙だな。誰にでも起こりそうなことを持ち出し、相手に反論の余地なく論理を畳みかけることが信頼というのかね。俺が大事に育てている配下をお前のシンパにされる前でよかった」
ホイッグ警部は俺とレストレードとの会話の一部始終を聞いていたというわけか。しかしシンパとはね。俺は儲けは欲しいだけで人も信者もいらなんだがね。特にがあんなコチコチの正義人間こっちから願い下げだ。警部は出世目指そうとして警戒しすぎではないかね。
「しかし地獄に神様がいるものだ。裏社会のことを調べているあんたなら分かるだろ、俺が無駄な殺しなんてしないこと。俺とユーリをこの臭い部屋から出してくれ」
「ふん、随分と俺のことを買い被っているところ悪いが、俺の一存ではできない。個人的事情で釈放する不届も許さないのがスコットランドヤードだ」
「厳しいねえ」
「だが、対価を払えば出られるのは平等だぞジョーンズ。なぜ死刑囚が檻の中で死んだを解き明かすという対価をな」
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