早すぎた死刑囚

第1話 死刑執行台

 咳き込みほどのスモッグと喉を湿らす雨雲の日が多いロンドンにしては良く晴れた日だった。スッキリとした天気に誘われてか、目的もなくそぞろと手ぶらでぶらつく人も散見される。

 さんさんと降り注ぐ太陽の光はある広場の中央を照らしていた。今日は定期的な祭りがある。俺もユーリもある意味参加者であるその祭りの名は、死刑執行。


 幾人ものの犯罪者が首を吊られた処刑台には、一本の輪になった縄が垂れさがっている。フランスではギロチンというもので効率的に処刑しているというのだが、こっちの昔ながらの処刑方法が一番恐怖を与えやすいというのだろう。犯罪人は見せしめという形で衆人の下で絞首刑にされて、その骸を数時間も晒されることで犯罪を抑制するというのがお偉い人の考えらしい。

 だが俺らのように毎日骸を漁っていれば、人骨の一つや二つ驚かなくなるように。毎週毎週死人を晒されるとなると、人々は慣れが起きることを偉い人の頭は欠落している。現にまだわっかの中に人の首が入ってないにもかかわらずすでに多くの見物客が集まっていた。死が恐怖でなくなった証拠だ。

 もはや死刑執行は恐怖どころか、つまらない人生を歩んでいる者たちがそれより下の人間を見下すことができる娯楽になっていやがる。


 そんな世にも奇妙な祭りに初参加であるユーリは、いつもの仕事とは異なる雰囲気がもの珍しく、絵本の世界に入り込んだ少女のように目を輝かせて会場をソースがついた皿を舐め回すように眺めていた。


「これが処刑台前ですか。私初めて来ましたよぉ」


 ユーリと同じ年の少女ならこんな物騒なところは察知して目を合わせることなく逃げるのだが、ご覧の有り様である。

 俺自身もこんなところにユーリを連れて行かない予定ではあった。だが「やぁだ。私も行くぅ」と駄々をこねた。墓荒らしの仕事は基本夜しかなく、ジェームスのように昼間に他の仕事をしている奴が多い。が、ユーリは俺と同じく専業でしているためやることがないのは確かだ。

 しかし、行く場所は女一人でなんとかなる場所ではない。様々な怨嗟が渦巻くところだと伝えたのだが。


「行きたい!」

「なんで」

「ジョーンズは。その恩返しをするためぇ。手伝えることはなんでもする。例えば、歌声ぇ、とか。あと、ほら偉そうな奴らがきたら美貌とで言い負かしてやります」


 昔拾ってやった恩のことを持ち出されてしまい、結局ユーリの我儘に押し倒されてしまった次第だ。


「気をつけろよ。墓場に入ってる骸とは違って、盗みに殴り合いが普通にある鉄火場だぞ」

「はーい。うまくボビーを出し抜いて盗めばいいんですよねぇ」

「その通りだ」


こんな不謹慎なお祭りに集まって商売するなんざろくな奴しかやらない。当然出てくる品もそれに見合ったものしか出ないのだ。前にものは試しと買ってみたが、文字かどうかすら判別ができないものをつかまされた。それ以来二度と買わないと決めた。一ペニーを笑うものは一ペニーに泣くのだ。


「せめて一つは取らないとな」

「せっかく健康な死体なんだからぁ、もっと取ればいいのにぃ」

「不景気なんだよこの業界。最近引き取ってくれる医者の数が減ってるからな」

「じゃあいっぱい値段吊り上げてよぉ」

「できる限りな」


 死刑執行の引出物はやはり、骸だ。

 死刑囚なんてのは健康体で、肉づきもよく、おまけに損傷箇所が首回りだけと貴重この上ない代物だ。売りさばき先の解剖医らからは喉から手が出るほど欲しい現物。なのだが、墓荒らしを目の敵にする警官や死刑囚の遺族と取っ組み合いのケンカになるのは日常茶飯事で、おまけに他の墓荒らしグループとも一つ間違えれば囲まれてしまうこともある。

 この前のホイッグ警部からいただいた金がもう底をつきそうになっている。何としてでも超健康体の骸は確保しなければならない。


 執行台の最前列には同業の墓荒らしグループが陣取っている。背も横もまちまちだが、目は皆ギラギラ血走っている。ロンドンでは最大規模のうちのグループではあるが、俺のことを気に入らない輩が別の地区で墓荒らしをしている。しかしユーリに話したようにこの業界は近頃不景気気味、なかなか医者も骸を受け取らなくなってる。理由は需要が満たされてるからだと。

 受け取ってもらうためには数少ない良質な骸を手に入れられるこの祭りに他の墓荒らしたちは命を賭けていると言っていい。そこに大手の俺のグループが介入されたら嫌悪されるのは当然だ。

 目の前にいる男はそこまで俺を嫌ってはいないが、死んだ魚のような眼がぎろりと警戒気味に俺を見てくる。


「ジョーンズか」

「おう、もう始まっているのかい」

「今日は女の死刑囚はなし。男が三人だ」

「一番生きの良さそうな奴は」

「一番目だな。二番目のはだめだ。心臓の薬をもらうために薬局を襲って、店主を殺した男だ。」

「へえ、そうかい。じゃあ最初のはあんまりだな」


 この談合が一番の障害と言ってもいい。生きの良い奴と最初に吹っ掛けて、出てきたのが二番目。恐らくそれが本命と思わせるが、実際そこにはフェイクが含まれている可能性もある。

 墓荒らしと名を冠しているが、結局は品物が特殊なだけの商売人だ。同業者に出し抜かれないように慎重に自分の手札を出さなければ、高く売れそうな死体を競り落とせない。


「最初のはいくらぐらいになりそうだ」

「ポンド二から三枚半が目安かな」

「俺なら五枚に値上げする。最初の男のを売るならそれぐらいにまで売りつけないと割に合わないぜ」

「五枚だと。無茶言うな。それだとこっちの商売が暴利だと言われるぜ」

「今が安すぎる。殴られ蹴られる覚悟で死にたてを運ぶんだぞ。それぐらいの価値は必要だ」


 まだ商品が来てないうちに価格の競り合いをすることで骸の優先権を得る。まずは墓荒らし同士で金銭による取り合いをし、そして警察と遺族による現物の奪い合いにつながるのだ。少し前までは、墓荒らし同士でも骸の奪い合いを殺してでもしていたのだからかなり平和なものだ。


「ふん。金の亡者め」


 白熱した競り合いに水を差すように冷たい視線が投げつけられた。声の主は、かっちりと固めたジャケットの上にほっそりと痩せたイタチを思わせる風貌の若い男だった。


「金のためなら卑しい人種め。お前らのような奴を真っ先に絞首台に上げて抑止力にするよう法律を変えたらよいものを」

「なんだ手前は」

「スコットランドヤードの刑事だ。お前たちのような屑に名乗るなどない。不愉快だ」


 パチンカチャとチェーンで繋がれている金の懐中時計を不機嫌さを表すように手の中で蓋を開け締めを繰り返していた。


「もう時間だ。まったくこんな底辺の人間が寄ってくるだけの公開処刑なんてやめればいいのに。そこの、あまり前に近づきすぎるな」


 若い刑事はパチリと懐中時計を閉じ、俺たちが最初から居なかったかのように視線を合わさず、見物客を誘導しに行った。


 不愉快か。慣れた言葉だ。これから死ぬ人間を品定めして、競りにかける金の亡者。亡骸を奪い去る悪魔などと呼ばれもした。行動からしてそうだと言わざる得ない。

 だが半分間違いだ。

 執行台の最前列には小汚い労働者が陣取り、その少し遠いところで紳士服とシルクハットを被った集団が群れている。あれは底辺貴族たちだ。下を見下すのは労働者だけではない、コネも金もなく出世が乏しい貴族も、己の不甲斐なさを死刑囚の最期を見ることで「あれよりマシだ」と慰めている。

 結局はどちらも同じなのだ。自分より下がいることで安心を求めるのは。


「ジョーンズ、相手にするな。蔑まれようがこうでもしないと生きていけないんだ」

「ああ、わかってる。わかってる」


 生きるためにやっている。そうだ、俺たちにはそれしかないからやっているのだ。

 なのに、あの刑事は何を見て屑だと断ずる。本当の屑は、犯罪者であると見下して蔑み見物する客どもだろうが。


「いるぅ?」


 にゅっと目の前に豚の形をした焼き菓子が突き出された。ユーリが屋台で買ってきたもので、自身の口の中にもすでに咀嚼しながら買っていた。


「ジョーンズ顔。眉間に皺寄ってますよぉ。そう言う時には、甘いもの食べるのが一番ですよぉ」

「……こんなところで屋台を出している店の飯なんか手を出すなよ。ジェームスの芋より酷いものが混じっているかもだぜ」

「ふぐぅ、たとえばぁ」

「蛆」

「げふっ!?」

「それから卵の代わりに砂と土じゃりじゃりサンドイッチとかあったのも聞いたな。それから生焼けの鰻の毒で倒れたり、あとはスープと思ったら薬で水増しした薬漬けスープなんかも」


 ひどい屋台の事例を一つ一つ述べていると、ユーリの口の中から咀嚼したばかりの焼き菓子と唾液のペーストが石畳みの上にべっとりと垂れ流した。


「もう屋台の食べられなくなったじゃなぃ」

「腹壊すだけなら運がいい。本当に死んだやつの話もあっから、知らない屋台は止めておくんだな」


 ユーリが涙目になって、中のものを全て吐き出した。


「へぇ。こいつが去年入った噂のジョーンズの新入りか。綺麗な顔してる。初心だな。嬢ちゃん死刑執行を見るの初めてなんだよな。それなら縛り首の時は目と鼻を閉じとけ。死んだ後しょんべんと糞まみれになって失禁する人間の最期はえぐいぞ」

「そーだそーだ。慌てて縛り縄外すなよ。客は活きがいいのが買いたいが、生きているのはお断りなんだぜ」

「むぅ。私だって一人前のぉ、墓荒らしですよぉ。死体運んだり、家では鶏を締めたことだってあるんですからぁ」

「アッハッハ!!」


 やれやれ。言いまかすどころか、完全に馬鹿にされてら。


 ゴーン。ゴーン。

 十二時の鐘がなった。死刑執行の合図だ。観客も墓荒らしたちもその時刻を知っているため、一斉に宙にぶら下がった縛り首の輪に向けて視線を向けた。

 そして死刑執行人に引き連れられて、裏から死刑囚が人生最大にして最期の舞台に立つ時間が始まる……のだが、十分以上経っても処刑台に死刑囚が上がってこない。

 どうしたんだ? 死刑囚が暴れているのかと墓荒らしたちが異変に気づき始めた。


「ジョーンズどうなってる。執行人が寝ているのか」

「執行人唯一の仕事なんだぞ。これで寝坊したら毎日寝るしかないだろう」


 あまりにも遅いため、様子を見に裏に回ろうとした寸前。


「そいつらを全員捕まえろ! 一人も逃すな!」


 怒号と共に数人のボビーが一斉に警棒を振り回しながら襲いかかってきた。唐突であったため俺たち含めた墓荒らしの連中全員、固まってしまい次々と押さえつけられた。

 抵抗する墓荒らしはボビーの持っている警棒で顔や頭を数発殴れて、無理やり大人しくさせられていく。そしてユーリも俺も逃げる隙を与えられないまま他の奴らと同様に取り押さえられてしまった。


「ジョーンズ!」

「抵抗するな。抗ったら不利だ! クソッタレ」


 何が起きたかわけもわからないまま、またもボビーどもに捕らえられ。その巣窟に入れられた。

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