第3話 死因の毒はどこだ
「それで死因は?」
「乗り気だな」
「時は金なり。金にならないことなら、次に時間だ。早く釈放されないと時間が惜しい」
「ふむ、良い心がけだ」勝手に感心してホイッグ警部は身を乗り出して、俺の耳元で囁いた。
「いいか大きな声を出すなよ。お前とつながっているといろいろまずいからな。まずガイシャは移動用の檻の中で口から泡を吹いて死んでいた。毒を盛られた可能性がある。死刑囚は死刑執行前に最後の食事を提供したときにはまだ生きていた。つまり食後に毒が回って死亡したとみていいだろう」
「ならその料理を作った料理人を疑うべきじゃないのか」
「ああ私もそう思う。だがうちが出した最後の晩餐はほかの死刑囚二人にも同じものを提供したがぴんぴんしている。そして最後の晩餐のほかにウナギの素焼きがあいつだけに出された」
「ウナギだと?」
「最期の晩餐ぐらい好きなものを食わせろと、死刑囚の好物らしくてな。うちが出した料理に何もおかしなところがない以上、怪しいのは外から持ってきたウナギしかない。そしてスコットランドヤードでは、すでに墓荒らしには副業をしている人間もいることは情報共有済みで、副業でウナギ屋をしている人間がいるのではとしたのが一斉逮捕の理由だ」
俺たちが副業をしていることもご存じだとは本当に勤勉なことで。
「しかし変だ。仮に屋台の人間が毒を仕込んだとして、何人もの客をさばいている間に死刑囚に料理を渡す人間がやってきたとどう判別するんだ。そしてそいつだけに毒料理を仕込めるのか。ウナギ買いに行ったやつは、どんな格好をしてた?」
「檻の門番だ。ちょうど交代の時間に、ウナギを買ってくるように言われた。その時は警察の服はすでに脱いであったからそのまま買いに走っていた」
服を脱いだとなればますますウナギ屋の犯行は難しくなる。何人もの一般客の中に私服姿の門番を見つけ出し、死刑囚に渡るとした前提でウナギを渡せるか? これが計画的であるなら、そいつは
「その買い出しに行った門番は死刑囚に恨みを買っていたか」
「死刑囚ともめることはあるが、深い恨みを持っている人間をわざわざ門番にするほどスコットランドヤードは間抜けじゃない」
「自由に出入りは」
「無理だ。何人もの警官や門番がひっきりなしに往来している。檻にはカギがかかっていて窓も天井付近にある鉄格子のみ。侵入した形跡もない」
…………つまり、犯行は完全な密室ということになる。
「じゃあだ。死刑囚はどんな罪で死刑になったんだ」
「下調べしていないのか。墓荒らしのくせに」
「下調べの前にお縄になったんだよ」
ホイッグ警部はめんどくさそうにカバンの中から人を殺せそうなほど分厚い本を取り出すと、机の上に広げて見せた。
「ケーシー・アイル。四十八歳。元料理店の見習い、と言ってもほとんどじゃがいもの皮むきしかさせられなかったそうだ。事件当日見習い以下の仕事しかさせなかったから抗議に行ったが、口論になり刺殺。その後店の金を奪い火事だと見せかけるために放火未遂をしたところでたまたま来ていた見習いに捕まった。この男、他の料理人から舌が料理人向きじゃなく味見できないからだと。味見をしない料理人の出したものなど君は食べれるかね」
「とりあえず食う。そしてまずいかったら食い逃げする」
「貧民視点のことを尋ねているのではない。これは信頼の話だ。美味いものを作る責任を負ってる人間の作るものを自分で確かめなくてどうするということだ」
「すみませんねえ。俺は生まれてこの方貧民生活しか知らないもんで」
「たとえ話だよ。えーそうだな、一度も穴を掘ったり死体を見たこともない墓荒らしに仕事を任せられるかということだ」
ああ、そういうことか。
どうもこの男の話は時折まどろっこしくて話がつかみにくい。英国の上流階級はジョークと皮肉がうまくないと一流ではないらしいが、正直分かりにくいだけだ。相手をコケにするなら「グズ」「のろま」「バカ」で十分なのに。
「じゃあ俺に犯人捜しをするのは任せられるのか」
「一つ、この前のゾンビ事件での実績があること。二つ目、ジョーンズの仲間の身柄はこちらで預かっている以上胡説乱道な推理は出ない。でなきゃ俺が管轄外の現場にまで出張った意味がない」
そういうこと。どっちにしてもユーリを解放するには俺の口でないと出られないという意味らしい。やっぱりこいつもレストレードと変わらない警察の人間なんだな。そしてまた俺はこいつの出世の道具というわけね。
「ではウナギ屋が犯人として、そのやり口は無差別に毒を仕込んだかあるいは、混ぜ物であったか」
「混ぜ物とは」
「食べ物をカサ増しするために、食べれないものを入れるのさ。脂肪の代わりに石けんとかウジとかを入れて」
ユーリに話したのと同じことを口にすると、ホイッグ警部は口の端を歪ませて、胃の辺りをさすった。
「しかし混ぜ物だったら、死刑囚以外にも絞首台の前で倒れている奴がいるはずだぞ。そんな死人が出るもの出してたなら、絞首台前は今頃糞と吐瀉物と死体の悪臭まみれだ」
「……ならクソッたれな客を相手にして嫌になり、つい出来心でカッとなって、急遽一つだけ毒を仕込んだとするのは」
「ふむ、毒を仕込んだウナギをたまたま門番の手に渡り、口にした。…………サイコロが七になるぐらい低確率さだな。しかし出来過ぎではないかな」
それはそうだ。偶然の偶然が重なって人が死んだのが事実なら、ウナギ屋の罪は異物混入の罪で問われるから、この国の食品安全には一役買うだろう。しかし警察は無駄な徒労と容疑者全員釈放という喜劇で幕引きとなる。俺としてはそれはそれとして面白いが、目の前の男はそれで事件解決と納得できないだろう。
「ところでそいつが食べたウナギだが、食べ残しはあるのか」
「証拠品はきれいさっぱり胃の中に納まっている。今医者が死体を解剖して胃の中を調べている。最も何の毒か判明できれば苦労に越したことはないが」
医者の話になった時ホイッグ警部の眉間のシワがより深く抉った。
骸を医者に卸していることから、医者にもいろいろな奴がいることを知ってる。生活のため、渋々、興味本位、性癖のために骸が欲しい医者。そして技量の高い医者や低い医者も見たことがある。本当にひどいやつは心臓と肝臓の違いすらわからない勘違い野郎だっている。おそらくスコットランドヤードが雇っている医者はそこまで腕が良くないらしい。
「本当に毒なのか? 今から心臓の方も解剖したらどうなんだ」
「最初の検分では毒か何かだと断定してる」
「だがあんたは医者のことを信頼してないんだろ」
「……ああ、そうだ。うちの医者は墓荒らしから買わずとも勉学と希望者の死体を解剖するだけで十分だと豪語するやつだ。だが、実際は墓荒らしから買った医師の方がはるかに優秀だ。数も金も惜しんだからだ。こういう時に損をするなとあれほど」
ネチネチと警察の内部の愚痴をついに漏らしだした。この狐のような警部が弱音を吐くなんて思わなかったが、この事件が難解にして複雑怪奇であることを物語っていた。そしてそれを丸投げされて、巻き込まれた側である俺はなんてかわいそうなんだ。
「毒ねえ。ところでウナギには毒があるという話は知ってますかね」
「ウナギに毒? いまさら何を言っているんだ。ウナギに入っていた毒がなんであるかという話か」
「違う違う。ウナギ自体に毒があるんですよ警部殿。医者から聞いたんだ、ウナギの血には毒があり、ちゃんと火を通してないとウナギの毒に当たるんだとよ」
「牡蠣みたいだな。だがウナギに当たって死んだ人なぞ聞いたことがない」
「その通り、俺もウナギで死んだ間抜けな骸は見たこともない。だが以前ウナギに当たって、それ以降ウナギを見ると呼吸困難になった奴がいる。医者曰く、人間には体にとって危険なものから防御する反応が過剰になってひきつけが起きるそうだ」
「だがなケーシー・アイルはウナギが好物だ。気分が希望した好物で死ぬなどというのは」
「だからほかに怪しいのは外から持ってきたウナギではなく内から、提供された料理でひきつけが起きたという線があるということだ」
それについて指摘された瞬間、ホイッグ警部の小さな黒い目がぐわっと広がった。外から持ってきたウナギのことばかりに注視していたばかりの欠落というわけではない、死刑囚を殺してしまったのが誇りある
「いや、それはおかしい。ケーシー・アイルが食事を出したのはウナギが到着したと同時にうちの料理を提供したが、門番からは特に文句も出なかった。自分が苦手なものが出ているならウエイターを呼ぶだろう」
「ああそうだな。とりあえずその料理を参考のために持ってきてくれ。俺もちょうど腹が減っててな」
しぶしぶと顔をゆがませてホイッグ警部は外の警官に「今日死刑囚に出す予定だった料理を持ってきてくれ。あまりでもいい」と伝えると、すぐにそれが運ばれてきた。
大きな皿には一枚のベーコンの上にゆで卵を潰して塩をまぶしたメインディッシュとその脇にトマトソースでゆでた豆。それから小さな皿には黒パン一つとバターの塊が置かれていた。最後の晩餐としてはなかなか豪華なメニューじゃないか。最後の晩餐と同じメニューを一口ずつ口に運んでいく。
ベーコンをフォークの先で刺してみるとすぐにさらに当たってしまうほど薄かった。それとゆで卵と一緒に口に運んだが、ベーコンの塩っ辛さとゆで卵の薄味さが見事に絡み合わず、空回りしている。ゆでた豆はトマトの味が薄すぎるし、パンにつけるバターも安物を使っているようであっさりとしている。総括すれば、うまくないだけで特段変わったところがない。
「それが今日のメニューだ。このメニューは死刑囚の最期の食事として提供しているのだが、たまにうちの下っ端が頼むそうだ。なんでもこの食事を食べるだけで死刑囚と警視の両方の気分が味わえると好評なんだ」
「どれだけひどい飯なんだあんたらの食生活」
「料理長が変わってからかなり改善されたんだぞこれでも。しかしこんないい料理があるのに残して、代わりにウナギを三本も食べるとは。うちの料理がそんなに気に入らなかったのか」
「残した? 何を残したんだ」
「ベーコンのゆで卵乗せだが」
ベーコンとゆで卵の料理だけを残した。ほかの檻と同条件の中で死刑囚だけが死亡した。そして、ウナギを頼んだ。
「…………わかりましたぜ警部殿」
「ようやくか。それで犯人は」
「わかった」という言葉に反応して身を乗り出した警部の固い顔が、どこか嬉々とした表情になっていた。皿の上に残っている証拠品を突き刺して、ホイッグ警部の前に見せつけた。
「卵? 卵頭の人間が犯人だとダイイングメッセージを残していたのか」
「いえいえ、死刑囚は卵で死んだんですよ。ウナギで引きつけを起こした話と同じですぜ。ただし死刑囚は卵を食べたことでひきつけを起こし、呼吸困難などを引き起こして死んだんだ」
「ジョーンズ。ケーシー・アイルは卵を食べると引きつけを起こすと知らずに死んだというのかね」
「いえ、知っていますぜ。間違いなく。この死刑囚は料理人だった。しかし味見ができなかった。その理由が卵で引きつけを起こすからなら納得でしょう。朝食にゆで卵はつくし、菓子にだって卵を使う。料理人としては致命的だ。死刑囚はそれでも料理人になることを諦めきれずに直談判した。犯行に至る経緯としては十分な理由になる」
一通り説明し終えると、ホイッグ警部のこぶしがわなわなと震えていた。そしてドンッと机が割れる勢いで叩きつけた。
「では知っていて卵を食べたというのか。ありえん! 絶対に!」
「普通の人間なら、そうでしょうな。これからも生きたいと思っている人間なら。しかし相手は間もなく死ぬ予定が決まっている死刑囚だと心情は変わってくるんじゃないか」
今後も平穏無事に生きようとする人間は、生きるための考えを巡らせる。死の選択など論外で。しかしどの道死刑が確定し、今まさに吊られそうになっている場合死が選択に入ってくる。どうすれば自分の死をより良い形に利用できるか。
「料理人になれず、殺しまで犯してしまい人生がうまくいかず。最期の舞台では底辺から貴族まで自分の人生を面白おかしく嘲り蔑み、自分の骸は糞尿垂れ流しながら墓荒らしの商品として狙われている。墓場に入れない最期の姿を衆目にさらされるよりは、ここで自死を選ぶほうがまし、とゆで卵を一欠けら飲み込んだ。しかし自分が死んだとなれば、事故か自殺で片づけられる。そこでメニューにはないもの、ウナギの素焼きを外から持ってくればとなれば犯人は外にいると誤認して、警察に憂さ晴らしできる」
自分が不幸な目にあった人間は、自分をこんな目に合わせた奴ら全員不幸にしてやりたいという思考が働く。自分たちのやるべきことをしたとしても、相手は恨みを買う。俺たちの仕事のように。
ホイッグ警部は渋い顔をしながら、最後まで余計な口をはさむことなく聞いていたが眉間のしわがビキビキと深くなっていた。当然だろう、自殺の原因が自分たちスコットランドヤードが誇る料理であるなんて信じたくないんだろう。
「もしくは、本当に卵でひきつけを起こすことを知らずうっかり食べてしまいそのまま、という両方の線が考えられるというのはどうです? まあどちらにせよ。死刑囚が早すぎる死刑になったことは違いないですぜ。完全なる密室の結末なんて自殺か事故のどちらでも可能性があるんですよ。もしくは本当にウナギ屋の仕業であるならば俺の推理は完全に的外れであったで終わりますが」
最後のある可能性を示唆したと同じ時に、取り調べ室の扉がノックされた。扉が開くとレストレードとは別の警官が入ってきてホイッグ警部に報告を入れた。
「警部。広場の付近にいたウナギ屋をすべて調査した結果。件のウナギを買った店と買い出しに行った門番の目撃情報から、特段怪しい動きもなかったとのことです」
「……釈放だ。それと料理担当に周知を入れておけ。死刑囚の自殺防止のため死刑囚が死に至るような食べ物はないかあらかじめ聞き取りをして料理を提供するようにとな」
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