第3話 盗まれたナイトドレス

 庭師の叫び声を聞きつけた近所の住民の通報により、ヤードがやってきて早速現場検証を始めてた。だが現場検証するにしては動きがキビキビしている。それにウエストエンドが犯罪の温床であるイーストエンドと比べて落ち着いているとはいえ、男の叫び声だけで七・八人もの警官が一斉に動くとは思えない。

 ボビー警察たちがたむろしている中から、見覚えのあるえんじ色の帽子と厚手のトレンチコートの男が近づいてくる。ははぁ、警官たちの動きが早い理由がわかったぞ。


「また目撃者はお前かデス・ジョーンズ。死体漁りをしているとゾンビに出くわしやすいのか」

「捕まえられたら物好きにでも高値で売って死体漁りからおさらばしますよ警部殿。にしてもわざわざ陣頭指揮ですかい。指揮官様は現場に出てこそですな」

「それで、犯人はどこに消えた」


 トレンチコートのポケットに手をつっこみながら、目撃現場に入ってく。

 ゾンビを目撃した場所は大通りの脇にある細い道。ガス燈もないイーストエンドと比べれば明るいが、小さなガスランプしか置いてないパブと夜ですでに店じまいしている雑貨屋が軒が連なり、おまけに霧が発生しやすいロンドンの夜も相まってウエストエンドの住民からすれば暗い通りらしい。

 警部がゾンビが逃げた裏通りを覗き込むと、霧でできた水溜りに気づかずズボンの裾に跳ね返った。素敵な装いが茶色の水玉紋様をつけられて立腹かと思いきや、何度も水溜りをぴしゃぴしゃと服の汚れを気にせず革靴の先でつついた。


「濡れてるな。今日霧が出たのは日が落ちてからだったはず。足跡は見つけたか」

「目撃場所から裏通りへ続く足跡はありましたが、それより前に何人か通っていたらしくどれがホシのものかは」

「結局頼りはお前の情報になるわけだ。犯人の顔はどんなだった」

「ロンドン名物の霧で見えにくかった。おまけに前髪を大きく垂らしていたから、仮に霧がなくてもわからなかった。郊外で見たゾンビと同じかはわからない」

「ふん。金がかかっているというのに。もっと貪欲に探せ。それでは模倣犯かどうかわからんぞ」


 人に探らせておいていけしゃあしゃあと。しかし同一人物ゾンビなのは間違いないだろう。アヘンでゾンビのようにらりっている人間は見かけるが、服だけがきれいに整えられたやつは見たことがない。

 ホイッグ警部を手招きして石壁にもたれかかっている庭師のを見せた。


「おっちゃんもう泡吹かなくなったけどぉ、慎重にしてよぉ」


 ユーリの介抱の甲斐あって話せるようにまでは回復していた。だが譫言のように胸の辺りで両手で拳をつくり「あぁ。奥様、奥様ぁ」と何度も祈りをしていた。神様かそれとも死んだはずのトワイライト夫人の魂に対してなのか。しかし先ほどのゾンビをトワイライト夫人であると証言したのはこいつだ。こいつの証言が取れなければ話は進まない。


「あんた。さっき見たやつがどうしてトワイライト夫人だとわかった」


 だが俺の質問にアレクシスは「奥様、どうかお眠りください」としか答えないことに腹が立ち、アレクシスの服をつかみ上げた。アレクシスの服は庭仕事をしているものをそのまま着ており、土汚れと枝で引っかかって破れた跡があちこちあってボロボロで。持ち上げたままだとちぎれそうなほどだった。


「いい加減にしろ。誰に祈っていてもあんたが動かなきゃ何も終わらねえ。祈るな動け」


 プチプチと糸がほつれる音が複数回鳴った後、あわあわとしていただけのアレクシスが「降ろしてくれ。理由を言うから」とやっと質問に答えてくれた。


「ま、間違いない。あれは奥様が常に愛用して墓の中に入れておいたナイトドレスだ。あのパープルブルーは霧の中でも夜中でもよく映えるように作られた特注品だ。素人が適当な店で同じ色のナイトドレスを買ったとしても霧の向こうでも映えるドレスなどはない」

「盗み出されたということは」

「墓からか? そんな罰当たりなことがあったらすぐ屋敷の執事長がくまなく探すはずだ。でなければ、あれは。奥様が……」


 アレクシスが最後につぶやくと尻もちをついてまた元の状態に戻ってしまった。ただ前提として骸がひとりでに動くはずはない。今までに何百体もの骸の情報を扱ってきた俺が、動いた骸の話を聞かない方が最もおかしな話だ。そして俺たちが郊外で見たあのゾンビが今回のものと同じだろう。

 問題はここからだ。アレがどこに行ったのか。そして何者であったかの最大のチャンスを不意にしてしまったのは大きい。

 その時、じっとひざを曲げて濡れた床を眺めていたユーリが質問を投げてきた。 


「ジョーンズ、ゾンビはぁ路地裏へ逃げた時走って逃げたのですか?」

「恐らくそうだろうな。俺の足で追っても姿は見えなかったから」

「見えてなかったのですかぁ? じゃあスカートのすそを持ち上げてもいないのですかぁ?」

「なかったぞそれがどうした」


 曲げた膝をピンと立たせるとゴミ箱の中に捨てられていた破れた薄いシーツを腰に巻き付けた。


「ドレス系の服で小走りするときは普通裾を持ち上げて走らないとだめなんですぅ。ナイトドレスはぁ、コルセットの締め付けとかもなくて比較的軽いですけど走って逃げるのならスカートの裾は絶対持ち上げないと歩きにくいよぉ。特にこんな石畳の上だとあちこち引っかかるしぃ。裸足なら水溜りで足跡がつく、なのにそれがないのはぁ」

「靴を履き替えた。もしくは脱ぎ捨てたというのは」

「本物のゾンビは靴を履き替えるの? それだと逃げる経路も把握していることになる、用意周到だよぅ」


 一連の違和感をすべて言語化し矛盾点を洗い出すユーリを前に、警部殿の顔が訝しみながら霧の中からぼんやりと浮かんでいた。


「ジョーンズ。あの酔いどれ娘はどこの出身だ。愚鈍なアイルランド人にしてはやたら頭の切れがさえているし、令嬢の知識もある」

「……、イーストエンドに住むのは貧困から生まれたものだけじゃない。わけりの輩が逃げ込む場所でもあるのさ。特にには出身問わず流れてきた子供も多くいることを覚えておくんなせえ警部殿」


 さて、残りの不明瞭な点に取り掛かるため。再びアレクシスをたたき起こす。


「庭師のおっさん。あんたいつも非番の日にはあのパブに通っているのか」

「ああ、非番の時は昼間はハイドパークで昼寝して。夕方はパブで飲んでが俺の唯一の趣味でさぁ。ロンドンの町は複雑でこの道しか覚えられないからな」

「なるほど、それで戻った後はどうしてる」

「執事長にどこへ行ったか報告するんだ。旦那様から屋敷の敷地から出た人間の行動を記録せよと厳命されてな」


 行動の記録、そして一定のルートがあるとなれば。予想はつく。


「警部殿、ゾンビが次に現れる場所がわかりやしたぜ。日にちについては、そちらさんのが必要になるがいいかい」


***


  ロンドンの郊外にある墓場にはまた霧がかかっている。ガス灯も設置されてない闇夜となれば一マイル先も見えない。頼りになるのは手に持っている明かりだけ。それが人がいる合図だ。


「ジョーンズまたここで待ち構えるのですかぁ。いやだよぉ私」

「いつも墓場を一緒にうろついているくせに弱気なことを言うな」

「だってぇ」

「黙ってろ。それに今日は死体取りじゃなく、のが仕事だ」


 ユーリの口を塞ぎ自分たちの明かりを消して息をひそめる。いくらかの時間がたった時、ぬかるんだ地面を削りながらガタガタと揺れる音が聞こえてきた。音がだんだん大きくなるとヒヒンっと馬が小さく嘶くとすべての音がピタリと鳴りやんだ。


 誰かが墓場にやってきた。墓石の裏でその人物をこっそり見るとランプとスコップを持った燕尾服の老紳士と前ので留めているジャケットの金ボタンが今にも外れそうなほどでっぷりと肥えた貴族の男だった。身なりとざっざっと音を立てながら歩いている音から同業者でないのは確かだ。ずぶの素人だ。その二人がトワイライト夫人の墓石の前に立つ。デブの貴族はたった数歩しか歩いてないはずなのに汗まみれになっていて、老紳士を急かせた。


「早く掘れ。あいつが死んでいるかすぐに確かめないと。わしはおちおち眠れん」

「承知しました旦那様」


 言われるがまま老紳士が手に持っていたランプを消したその時だった。物陰から大小の影がぬっと現れて、一斉に貴族の男に襲い掛かった。


「どけっ!」


 同時に墓石の裏から駆け出し貴族の男を押しのけると、霧の中から鉄パイプがたたきつけられた。寸でのところでスコップで受け止めたおかげで打撲は免れたが、後ろにも横にもまだ襲い掛かってくる輩はいた。


「誰だ!?」

「さっさと隠れやがれデブ」

「ボス、動きは素人とはいえちょっとこの人数は聞いてねえぞ」

「五人、六人はいるよぉ」


 万が一のことも考えてユーリのほかにジェームズら団員のメンバーも控えさせていた。だがやりあうことはあってもケンカのプロでもない俺たちでは人数の過多はどうしても不利になる。

 殴りかかってきたやつを地面に押し倒して、持っていた鉄パイプを蹴りで弾き飛ばす。その横から大振りに振ってきた鉄パイプが脇腹に直撃した。力は弱いものの、ろくに防御も取れずに脇腹を打たれれば嗚咽が漏れた。

 ぎろりとにらみ返すと、俺を殴ったやつはそれでひるんだのか手が止まりお返しと蹴り返す。「ひゃぁ」としわがれた男の小さな悲鳴がした。


「おいボビーどもいい加減来やがれ! 幼気な市民と少女が襲われているんだぞ!」


 脇腹が痛いのを我慢して警部が来ないことを叫ぶと、遅いのか早いのか大量の赤々としたランプが墓場を照らし出す。


「全員取り押さえろ!」


 警部殿の掛け声とともに、ボビーどもが一斉に押さえつけに乗り出した。警部殿が動員をかけたボビー警官の数は十人。さすがに相手も多勢に無勢と次々と地面に押さえつけられた。全員が拘束されて犯人たちにランプを近づけると、中年から若い女と犯人はそれぞれ年齢も性別も異なっていた。その中に先ほどまで貴族の男のそばにいた老紳士も含まれていた。だが男が驚いていたのはその中で十五歳前後ぐらいの少年だった。


「執事長に乳母! それに……息子まで!!」

「顔に見覚えがあるのですね。トワイライト男爵」


 ゾンビ騒動の犯人はトワイライト夫人に付き添っていた女中や執事と息子たちが仕組んだことだった。今回の事件の目的はトワイライト男爵にトワイライト夫人のことを自らの手で調べに行くことを目的にしたものだ。そして人気のない夜中のトワイライト夫人の眠る墓地へ誘い出したところで……と思っただろうが、逆に俺たちとボビーが利用する形に仕組んだ決着になった。


「な、なんでお前らがこんなことを」

「お前が母さんを殺したんだ! お前が夜な夜な会いに行っている女が夜中、大量の睡眠薬を母さんのアフターディナーの紅茶の中にいたのをお前が辞めさせた女中から聞いたんだ」

「わ、わけのわからないことを! 警部さんこいつら全員捕まえてください。いくら息子と言えども親殺しだなんて」

「あなたもですよ男爵」

「え?」

「トワイライト夫人のことで前々から聞きたいと思っていたのですが、なかなか会える機会がございませんでしてね。たまたま市民の迷惑となっていたゾンビ狂乱の犯人逮捕に偶然出会えるとは何たる幸運だ。ついでにご子息が話していた女中さんも同伴させましょう。あいにくスコットランドヤードのアフタヌーンティーは少々臭いますが、これからのことを考えれば我慢していただいてくださいね」


 味方だと思い込んでいた警部にまで裏切られ(男爵の一方的な思い込みだが)言われるがまま生気が抜けたように重い体を沈ませて、警部に連れていかれた。

 そしてトワイライト家の使用人たちも次々と警官たちに逮捕されていたが、首謀者であるご子息様は、小柄な体にもかかわらずしぶとく警官の脚を倒そうと手を動かして抵抗していた。さっさと引き揚げさせるために、暴れるご子息様のお手を土踏まずのところで押さえつけた。


「坊主。残念だったが、これも金のためだ」

「貧民が……金のためならあの腐った豚野郎につきやがって!」


 どうも俺たちが男爵の護衛と勘違いしているようだ。状況的に考えればそうなるが、あの豚からは一ペンスももらってはいないのだが。


「……さすが貴族様ってところだな。だが復讐はいいものだ。今度があったらリーズナブルな価格で手伝ってやるよ。特に墓場で墓場で復讐を果たすのならな」

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