第2話 パブ

「よかったですね早く釈放されて、おまけに保釈金まで貰えるだなんて」

「もらう場合は保釈金なんて言わねえの」


 普通墓荒らしと警察は仕事柄対立する関係だ。なんなら取調室でやり合うことも辞さないほど血の気が多い輩もいるから、ひどい警官なら収監することだってある。

 今回はあのホイッグという男がお人好しであったのと、入団して日が浅いユーリが警官に嫌悪感を持ってないことが幸いし、たった一夜で釈放された。おまけに金も払うどころか三ヵ月分の生活費をせしめたのはいいがその代わりに警察の犬として使われるのはどうも気にくわない。


 だがユーリは「警察のお墨付きで金がもらえるならいいじゃない」ともうアルコールが抜けているはずなのに能天気である。


「あのな。俺たち墓荒らしは自由のある底辺だ。工場で長時間ブルジョアに低賃金でこき使われることなく、ジェントルのように格式ばったしきたりに縛られない。金を思いのままに使える底辺の中の頂点だ。それを警察の思いのままに操られるなんざ、墓荒らしとして情けない」

「でも、割のいい仕事だぁ。って言わなかったですかぁ?」

「あれは、皮肉だ」

「はいはーい。わかりましたぁ、ごめんなさい。それに私もジョーンズに拾われなければぁ、今頃裏通りで娼婦をやってたかもですしぃ」

「本当にわかったのか」

「はい、なのでこの金はさっさと酒代に使っちゃいますねぇ」

「おい、金は別だ!」


 金の入った袋をひったくろうと手を伸ばしたが、するりするりとユーリは俺の動きを読んでいるように上手いことよける。


「ゾンビィの調査代ですよぉ。それじゃジョーンズ、ウエストエンドのパブで会いましょうね」


 ケタケタと幼子が鬼ごっこで動き回るのと同じく裏路地を駆け抜けていった。

 あいつ、警部からもらった金全部溶かすなよ。


 ふと、自分の腹の中が締め付けられた。そういえばあれから何も食べてない。もう日も登るし、ジェームズのところで飯でもするか。


 徹夜明けと空腹で頭がぼーっとする倦怠感を我慢しながら、工場の排煙と同じ勢いで黒煙を吐き出す窯を構えているベイクドポテトの屋台に腰かける。そしてそこにいたなじみの男がねっとりとした口調で呼びかけた。


「ようボス、なんだよその目のクマ。朝帰りかい。ご機嫌だね」

「ああ、機嫌がいい。なにせ国の犬に首輪をかけるか縛り首用ロープか好きなのを選ぶなんて一生に一度はお目にかかれない人生の選択を迫られたんだからな」

「はっは。天下の『デス・ジョーンズ』様もついに警察にお縄かよ」

「お前を脱退させてボビー警察に突き出してやろうかジェームス」


 冗談だよと古ぼけたハンチング帽の下から黄色い歯を浮かせた。墓荒らしという職業は俺やユーリのように専業だけでなく昼間はカタギの仕事をやり、その日の稼ぎが悪いようなら墓荒らしの手伝いをして兼業するやつもいる。ジェームスもベイクドポテト屋兼業という形で俺たちのグループ『スカルヒューム』のメンバーだ。

 ジェームスが窯にトングを突っ込むと案山子の木を思わせる手から焼きたての白い蒸気が立っている焼き芋を取り出して、俺に差し出した。


「変なもの入ってないよな」

「まさか、ここ数日はアイルランドの芋がまともに採れてきて中身がものばかりよ」

「ああ、だから俺の所に小遣い稼ぎに来ないんだな」


 ジェームスが冗談っぽく話したが、質が悪いものを他のもので嵩増しなんてよくあることだ。こいつの店はまだ悪い芋が入ったら獣脂で増やすなんて可愛いもので、中には砂やテームズ川の泥水を入れたり、食べてはいけない薬品でも混ぜているところもある。

 皮肉交じりに久しぶりに仕入れたというまともな芋を口に運ぶ。頭を少しかじると熱くホクホクした食感が口の中で何度も転がる。かじった断面には外の黄緑色のものからは想像できないほど白パンも真っ白な中身が出てきた。これ一個だけで腹いっぱいになるんだから労働者のパンというのはありがたいものだ。アイルランド人もパンではなくこれだけで飯を賄おうという考えが浮かぶわけだ。


「ジェームス。女のゾンビ事件は聞いたことあるか」

「ゾンビ? ああ、新聞にちょこっと書いてあったな。興味本位でアヘン窟に入った上流階級の女だと思ったけど、もしかして頼まれごとってのは」

「その通りよ。俺はこの目でしっかり見たよ。マリンブルーのナイトドレスを着た顔中血だらけの女ゾンビ。ボビーはその骸の関係を探して俺らはその骸探しとくるのさ」

「へえ、砂金は新鮮な骸探しから腐った骸まで扱うのかいうちのチームは」

「今回限りだ。お前も手伝え、手間賃ぐらい出すぜ」

「別にいいけど。あとでその芋代もくれよな」

「せめてただにしやがれ、マミィから一々手伝い賃をねだるようなせこいことしやがって」


 ガツガツと残った芋を口に放りこんで、ズボンについた土を払って立ち去る。


「身内だけで金せしめりゃいいのに若いねえうちのは」


***


 朝からパブなどを回ってこれで六件目。収穫なし。たくっ、これ以上回るなら警部に追加料金せしめさせてやる。

 日も暮れてきて次の場所であるリージェント・ストリートにあるパブに入る。ウエストエンドに属するリージェント・ストリートなのだが、市による通りの改良工事と柱列で街灯があっても薄暗く店が陰に隠れている。高級品を扱う店側としては暗闇は商売にならないから嫌われるのだが、安いアルコールと喧騒が大好きなロンドンの労働者が好むパブの場合は例外だ。暗くなければパブにあらずだからだ。

 小さな細い扉を開けるとつんとアルコールの匂いと酒に酔った男たちの喧騒が出迎えた。店はウナギの寝床のように細い一本道でそれと並行するように長テーブルが置かれて、男たちが一人でも入れるようにみっちりと肩がぶつかるまで寄せあいながらやはりウエストエンドといってもやはりこういう騒げる場所は必要なのだろう。カウンターにいるマスターにジンを頼む。


 目的はトワイライト男爵に仕えている使用人の情報。

 件のトワイライト夫人の不審死に疑念を抱いているはず、金や地盤があるのならトワイライト男爵の家に入り込めるのだが、最下層の人間である俺たちが立派に着飾っても金も土地も血筋もないなら門前払いで追い出されてしまう。だからパブは有力にして唯一上流階級と関わっている人間と接触できる場所だ。

 不愛想な口ひげを生やしたマスターが小さな木樽に注いだエールを持ってくると、先に入っていたユーリが俺の頼んでいたエールがぶがぶ飲んで口ひげに愉快な白髭を生やす。


「ブハー! マスターエールもう一杯ぃ」

「飲むな! 人の酒だけじゃなく軍資金までも食いつぶす気か。割に合わねえぞ」

「私は合いますねぇ。だってウエストエンドのお酒は薄めていないからよく酔えるぅ」


 こいつの酒瓶といっしょにパンツの中ひっくり返して醜態晒してやろうか。

 隣の飲ん兵衛を押さえつけて、ホッブズ警部からもらった事件が起きた日の新聞記事の切り抜きを引っ張り出す。


「しかし、もうちょっと正確な証言書いて欲しいですぅ。綿織物労働者に煙突掃除の子ども。うぁ、こいつ絶対アヘン窟の人間ですよ二十人ものの男とも女ともわからない奴が焼け爛れた顔で襲ってきて、この世のものとは思えない不気味な声を上げて襲ってきた。そんなばぁかなぁ。私たちが見たのと全然違うよぉ、この証言者ラリながら答えてますよ」


 そいつがアヘン中毒者かどうかは置いて、証言にはマリンブルーのナイトドレスは共通しているのはあるものの、声にしても顔つきにしても全部違う。おまけに目撃した場所が、ウエストエンドのハイド・パークだったり、イーストエンドの娼婦街だったり、はたまたケンブリッジ大学付近だったりと一貫性がない。


「同業の墓荒らしが服を盗んだをごまかすにしては回りくどい。アヘンでラリった女がたまたま墓を荒らして服を盗んだにしては動きが正常すぎる」

「じゃあ男爵様の家の人がぁ?」

「にしては行動範囲が広すぎる。ましてイーストエンドなんざ、屋敷暮らし仕えしている人間だと迷いやすいし、ゾンビなんかよりも執念深い追いはぎにやられる」

「ですよねぇ。上流階級の服を着てるなんて、宝石がなった木と同じですぅ。あわよくば根っこから切り倒しますしぃ。布教しにした神父が身ぐるみ剥がされた話なんてよく聞きますからね。布教活動が滞って悲惨な状態ですよぉ」


 とイーストエンドの状況を語りながら酒をぐいっとあおる……ってそれ俺がもう一杯頼んだエールだ! この酒飲み女! と胸ぐらをつかもうとした寸でのところ、すれ違いざまに視界に入った背中が曲がった男を見て動きを止めた。

 アルコールが漂う店の中であるが、すれ違っただけでわかるほど汗臭さと草の汁の匂いが混じった独特の香りを放っていて、一番奥のカウンターに腰かけた。


「あれトワイライト男爵の庭師だ。男爵様の紋章がついている」

「じゃあ、歌って呼び込みしますね」


 ドンと空にしやがった俺の酒樽を置いて、カウンターに身を乗り出してマスターを呼び、ここで歌っていいか聞いた。


「ウチは売りは斡旋しないぞ」

「やだぁ。ここのお酒があんまりおいしいくて、気分がいいから歌いたいだけですぅ。むしろお金払って歌いたいほどですよぉ。あっ支払いはポンド硬貨でいい? それともフラン?」

「面白いアイルランド人女だ。いいぜ歌え」


 フラン外貨どころかポンドすらなんて持っていなさそうな小汚い風貌が幸いしたか、酔っぱらいの戯言だと受け取ったマスターは、了承してくれた。


 カウンターに座りながら、朗らかなソプラノで歌うユーリの声はまるで酒なんて一度も口にしたことがない少女のような透き通る歌声で、喧騒だらけだったパブが静まりかえり、静謐な歌声にみんな耳を傾けている。

 のそりのそりとカウンターから移動してトワイライト男爵の人間の傍に近寄り、酒で火照った顔を近づけてそいつだけにしか聞こえないように歌を聞かせた。そしてクスリと微笑して、再びパブに聞こえるほどの音量に戻す。

 これがユーリの情報収集の手法だ。こうすればどんな男だってコロリと心を開くという寸法だと、まったく男って生き物は女につくづく弱いと実感させられる。


 そうして気が緩んだところで、俺が男の横に移動して話しかけた。


「どうだい兄ちゃん。俺の連れの唄は」

「アイルランド人かい。なかなかの美人さんじゃないか」

「大酒飲みだがな。けど、ケチなスコットランド人よりは幾分かいい」

「どのくらいまであの子はいるんだい?」

「俺が帰るぞと言ったらそれに従うまでさ」


 弛んだ男のあごの皺がくしゃっと窯の中で焼き上がるパイ生地のように膨れ上がって微笑む。

 釣れたぜこれは。

 ようやくトワイライト男爵の人間に情報を聞く機会を得て、代わりのジンを頼む。


「その服の刺繍、あんた爵位持ちの家に仕えているみたいだな。いい暮らしできてんのか」

「いや散々だ。旦那様はケチで惚れた女にしか金を出さない主義でなあ。おまけに奥様は亡くなったことをいいことに旦那様は良家のメイドにぞっこんで奥様に仕えていた女中たちをほとんど辞めさせたよ。このままだと家格が下がって社交界にでられなって俺らの給料が払えるかどうかと乳母が嘆いていてね」

「雇い止めか?」

「そりゃあそうだよ俺たちは雇われだからな。奥様はそれは良い人で、俺のような田舎者の庭師でも優しくしてくれて、金が足りなくなった時はこっそり金を無心してくれたほどさ。あやうく惚れてしまいそうになるほどで、七年前にリバプールの屋敷から無理を言ってこっちにまで奥様と共に移ってしまったんだ。大きいお子がいるとわかっていても、あの人を追いかけたくなっちまう」


 男はいとも簡単にペラペラとトワイライト男爵家の話をしてくれた。こいつは簡単に情報くれそうだな。ちょっと場所を変えてじっくり聞きだしてみるか。

 まだ歌っていたユーリをこっちに呼び寄せ、別の場所で聞き出すと伝えると「ガッテン」と啖呵を切ると、ユーリが庭師の男の傍に寄り添い。


「おじさん。その素敵な奥様の話もっと聞かせて。できたら別の場所で」

「ああいいよ。奥様の話だったら山ほどあるさ」


 気分が良くなった庭師の男ことアレクシスは籠絡されて、俺に導かれるままパブを出た。

 俺が先頭に立って夜のロンドンの街を歩き、その後ろではユーリがトワイライト夫人の話を聞きだしている。


「奥様はなあ。魔女みたいな人で、ああいい意味でだ。年を取らないのかってぐらい若くて、庭先で自分の書いた小説をお気に入りのパープルブルーのナイトドレスで読み聞かせてくれてねえ。俺は学がないから内容はわからなかったが、読み聞かせてくれる奥様のお姿はそれは美しくて」

「そうですかぁ、私もその奥様にもお目にかかりたかったですねぇ」

「運が悪かったなぁ。奥様なら君にでも顔をお出しになるお優しい方だよ」


 この調子なら欲しい情報は全部聞き出せそうだな。どこか別のパブで絞れるだけ情報を聞き出してサイナラするかと考えていたところ、わき道からフラフラと歩く人影が見えた。最初は酔っ払いだと思った。だがだんだん人影が濃くなると、ともにぴちゃりぴちゃりと石畳に水滴のような水音が人影から大きくなった。


 ぞわりとまだ温かい季節なのに鳥肌が立った。きっとあれは件のゾンビだと理解しズボンの裾から護身用の棒を構える。

 そして暗闇からパープルブルーのナイトドレスを着たゾンビ女が姿を現す。ゾンビはこの前よりも前髪が長く顔が見えないが、海藻でも被ったかのように髪質が悪くより不気味さを際立たせている。


 すると、どさりと後ろにいた庭師の男が倒れた。


「おっちゃん! おっちゃん、しっかり!」


 ユーリの声に反応したのか、ゾンビは急に足先を変えてわき道にへと逃げていった。こん棒を片手にわき道に入ろうとしたが、ゆっくりと歩いていたはずのゾンビは姿をくらましていた。


 くそッ。逃げられた。


 元の道に戻ると、急に倒れた庭師の男は弛んだあごのしわが小刻みに震えて、口からは先ほどのエールの泡のようなものが噴き出そうに失神しかけていた。ユーリが呼びかけて正気を保させようと背中を必死になる。そして庭師の男は口をわなわなさせながらつぶやいた。


「お、奥様……奥様が蘇られた!! あのナイトドレス、奥様のナイトドレスだ!!」

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