9章 届かない叫び
「だから誤解なんですって!」
無機質な取調室で、俺は必死で声を張り上げ続けた。俺の目の前には、以前俺に話を聞きにきた安田とかいう名前の刑事が座り、俺の隣には堀内と紹介された刑事が立っている。2人とも、まるっきり同じような冷めた眼で、俺を見つめていた。俺の言うことなんて、ひとかけらも信じていないかのように。
「本当に誤解なんですよ!全部、あの男に頼まれてやったことなんです。あの男が保険金が下りるように殺してほしいって……!自殺じゃ金はおりないからって!末吉豊を殺したのもあいつです!代わりに殺してやるって……!でも、でもそれだって俺が頼んだ訳じゃない!本当です、あいつが勝手に……!」
安田はそれまでじっと外さなかった目線を俺から反らすと、ふーっと深くため息をついて言った。
「そのお話は何度もお聞きしましたけどね。申し訳ないが、到底信じられないんですよ。」
「どうして……?俺は本当のことを言っています!全部あいつが提案してきたことなんですよ!」
「あなたのお話を聞いて、念のため、被害者のことも調べましたが、あなたの言うような多額な借金なんてものは抱えていなかった。普通のサラリーマンです。」
「まさか……!そんなはずない!彼は事業に失敗したって!確かにそう言っていたんです!」
「そう言われましてもねえ……。」
安田は全く俺の言うことを信用している様子はない。俺は堀内の方を仰ぎ見たが、彼も呆れたようにこちらを見下ろすだけだった。
なにがどうなってるんだ?俺に言ったこと、全部が嘘だったって言うのか?
……そうだ、本当のことなんて、あるわけがない。何もかも、あいつが仕組んだことなんだから。俺はいまさら、何を期待していたんだ……?
「回りくどいのは苦手なので、率直にお尋ねしたいんですがね……」
混乱している俺に畳み掛けるように安田が口を開く。
「いろいろな証拠から、一連の通り魔事件、まあ巷では”水曜日の悪魔”なんてふざけた名前がつけられているようですが……あれも、本田さん。あなたの仕業なんでしょ?」
「な……!そんなわけがないでしょう!」
勘弁してくれ!末吉や富永の件はともかく、なんでそんな、テレビで情報を見聞きしていただけの犯罪まで俺のせいにされなきゃならないんだ!
「関係ありませんよ!通り魔事件なんて……そんなことは、絶対にしていない!」
動揺する俺とは対照的に、至極落ち着いた様子で安田が話を続ける。
「そう言われましてもねえ……。いろいろと証拠があるんですよ。」
「え?」
「まず決定的なのは、あなたが持っていたナイフ。」
「……!だから!あのナイフは富永から渡されたもので……!」
「とにかく、あのナイフが一連の通り魔事件に使われたものであることは間違い無いんです。ナイフの刃や柄から検出された血液は被害者たちのものと一致しましたし、傷口の形状とも齟齬は見られなかった。あなたがはめていた手袋も同様です。ナイフに比べると数は少ないですが、やはりいくつか被害者の血液が検出されている。」
「そんな……!」
「それに奥様にお尋ねしたところ、あなたは毎週水曜日には決まって、帰りが遅かったそうじゃないですか。」
「それは……。」
急に二の句を繋げなくなった俺を、安田が面白そうに見やる。どうする?本当のことを言うべきか……?そうすれば、美穂子にアリバイを証明してもらえるかもしれない。殺人の罪を着せられそうになっているのだ。流石に、幸恵にバレることを気にしている場合ではない。そう判断して、
「あの……。」
意を決して口を開きかけた俺を、押しとどめるように安田が遮った。
「立花美穂子さん、ですか?」
「……え?」
「不倫相手ですよね、あなたの。」
「どうして……。」
思わず声に出て、その問いの愚問さに自分で呆れる。すでに俺の周囲は、すっかり調べられている、というわけだ。言いかけたまま、口をつぐみ、俯くことしか俺にはできない。
「立花さんにもお伺いしたんですがね。毎週水曜日にあなたにあっていたことは認めたが、あなたはいつも日が変わる前の比較的早い時間には帰宅していたので、それ以降のことは分からない、とのことでしたよ。そして、あなたの帰宅時間と犯行時刻を照らし合わせた結果、すべてあなたに犯行は不可能とは言い切れなかった。」
「そんなバカな……!……そうだ!俺は一度、美穂子といたところを通り魔に襲われたんです!まさに黒づくめの男に!俺が犯人だとしたら、あれは一体誰だって言うんです!?」
必死に訴えると、安田は少し考えて、
「その件については、警察には届け出ましたか?」
と尋ねてきたが、俺はそれに口ごもることしかできない。
「いや……それは……。」
「届け出ていない、と?それで信じろと言われましてもねえ。立花さんからはそんな話は聞いていないですし。」
どうして、美穂子はその話をしなかったんだ!?俺のことをかばう気は一切ない、ということなのだろうか?あんなに俺に執着していたのに?もう、関わりたくない、というこことか?
……落ち着け、落ち着け!
自分に言い聞かせて、俺は最後の切り札を切った。
「いや、待ってくださいよ、末吉の件はどうなんです!?俺はあの夜、都内にはいなかったんですよ!?ちゃんと女将さんに確認を取ってくれたんですよね!?」
そうだ。その他の事件はともかく、末吉の件については、俺には完璧なアリバイがある。
「それは我々としても納得のいっていないことでして……。」
「そうでしょう!」
言い淀む安田に、俺は俄然希望の光が見えたような気がした。だがその光は、続く安田の言葉に一瞬にして消える。
「どうしてあなたがそんなすぐにバレる嘘をついたのか、納得がいかないんですよ。」
「……嘘?」
「確かにあなたのおっしゃるとおり、神奈川に”ゆたか亭”という名の民宿はありました。女将が一人で切り盛りしている小さな民宿がね。ですが、そこの女将は、あなたのことは何も知らない。その日は誰も宿泊していなかった、というんですよ。」
「そんな、まさか……!そんなバカなことはないでしょう!ありえない!……そうだ、財布!俺の財布を見てください!領収書があるはずです。ちゃんと領収書をもらったんですよ!」
それを聞いて、安田がちらりと相棒の刑事の方を見やった。
「領収書なんて、あったか?」
「いえ。所持品はくまなくチェックしましたが、それらしきものは、何も。」
「……だそうですよ。」
きっぱりと言い切った堀内刑事の言葉に、最後の切り札も失い、俺はいよいよ頭がおかしくなりそうだった。一体、どうなっているんだ?確かに領収書はもらったはずだ。それを財布に入れた。財布から出した記憶はない。富永に俺の財布に触る機会なんてあったか?もしかして……月曜の夜、俺に会いに来たあの時……?いや、あの時、財布をあいつの前において席を立つなんてことはしなかったはずだ。それは間違いない。それなら、一体どうして……?いつ……?
「あなたには動機もある。これまでの通り魔事件で出た死者の数は2人。いずれも、あなたとゆかりのある人物だ。」
「……え?」
次から次へと入ってくる情報に頭がおかしくなりそうだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。末吉はともかく、もう一人の被害者は名前すら覚えてませんよ!」
「はじめに殺されたのは松丸英昭さん。あなたの中学校自体の担任ですよ。」
「担任……。松丸……。」
松丸。そういえば、中学3年の時の担任がそんな名前だったような気がする。確か、盗撮癖のある変態で、偶然それを知った俺は、それをネタに……
「当時あなたは彼を強請って、本来推薦を受けるべきだった生徒の成績を改ざんさせて、希望の高校に推薦入学したそうですね。彼の悪癖をネタにして。まったく。末恐ろしい中学生だ。」
「いや……でも、そんな昔のこと……何で今更!だいたい……そんな証拠なんてないでしょう!」
「被害者はそのことを随分と気に病んでいたようでしてね。謝罪の手紙が、いつも使っていたと思われる鞄の底に入っていました。書いたはいいものの、ずっと出せずに、持ち歩いていたようですねえ。随分と紙が傷んでいました。手紙にはすべて書かれていましたよ。あなたを担任していた当時、偶然盗撮癖があなたにバレて、それ以来あなたに強請られていた、と。あなたが蹴落とした男子生徒が、中2ごろからいじめられていたのも無視せざるを得ず、成績も改ざんさせられて、当時は随分と気に病んでいたようですよ。手紙は、あなたへの憤りと、あなたが蹴落とした生徒への懺悔に満ちていました。それに加えて、中学時代のあなたの同級生も、松丸先生はあなたを恐れているようで子供心にも異様に感じてた、と証言してくれましたよ。手紙の内容の裏付けとしては、十分でしょう。」
「そんな……ずっと昔のことで……。」
「不倫がバレて、金が必要になり、追い詰められたあなたは、あなたのおっしゃるずっと昔のことを思い出し、今度は金を強請ろうとしたんじゃないですか?実際、松丸先生のスマホには、亡くなる近辺にいくつか非通知の着信履歴が残っていました。それ以前にも通り魔を繰り返していたあなたは、人を傷つけることに抵抗がなかった。ところが中学生の頃とは違って、今回は思惑通りにはいかず、松丸先生から拒絶されたあなたは、勢い余って、彼を殺してしまった。」
「違う……。」
「そして、会社の後輩から紹介された男から金を借りたものの、借金を返すあてがなく困ったあなたは、彼も殺すことにした。……ああ、返すあてがある、というのは嘘ですね。奥様にも確認しましたが、あなたの借金のことは何もご存知ありませんでしたよ。」
「違う……。」
「次に富永さんを狙った理由は、おそらく一連の犯行がバレることを恐れて、でしょう。居酒屋であなたが富永さんに大声を出していた、と証言している店員や客もいますし、富永さん自身もその時、あなたから、中学生時代の所業や不倫がバレたこと、それに借金についても、酔っ払ったあなたから話を聞いた、とおっしゃっていました。それでもまさかあなたが一連の通り魔事件の犯人だとは思ってもいなかったようですが。」
「は……?」
淡々と続く安田の説明に、ただただ否定の言葉を繰り返すだけだった俺は、はじめて聞き返した。確かに美穂子や末吉の話はしたが……中学生時代の話なんて、俺は富永にしていない。絶対に。自分でも、今の今まで松丸の名前すら忘れていたというのに。
「随分と酔っ払っていたと聞きました。どんな風に、自分より成績の良かった男子生徒をいじめて蹴落としたか。そんなことまでして、自分の人生を完璧なものにしてきたのに、全部ダメになりそうなこと。どれだけ不倫がバレて金を請求されて焦っているか、理不尽な契約を押し付けていた末吉を恨んでいるかなど、とつとつと語られた、とそう言っていました。一連のあなたの話に、自業自得じゃないか、というようなことを言ったら、あなたに激昂されたとも。それでしばらくしてから先に帰ったそうですね。」
「……嘘ですよ!全部、嘘です!居酒屋では中学時代の話なんてしてない!俺が声を荒げたのは、富永から交換殺人を提案されたからです!誰だって、ビビるでしょ!?見ず知らずの男にそんな話を突然されたら!」
「しかしねえ……富永さんは、あなたの中学時代の話を、よくご存知でしたよ。松丸先生の手紙とも、ほとんど齟齬がなかった。」
「だから……俺はハメられたんですよ!あの男に!全部はめられたんだ!」
「では聞きますがね。居酒屋で偶然出会った見ず知らずの男に、ハメられるような心当たりでもあるんですか?」
「それは……!」
それだ。それがまったく分からない。だが、どうしてこんなことになっているかは分かる。富永に全部ハメられたんだ。あいつが水曜日の悪魔で、その罪を全部俺に被せようとしている。だが、どうして……?あんなやつ、俺は知らない。人の恨みを買うことのある人生だったかもしれないが、あの男のことは、どうしても思い出せなかった。なんであいつは、罪を被せる相手に、俺を選んだんだ……?
押し黙った俺を見て、安田はゆったりとした口調で続けた。
「それにしても今回に限っては、革靴を選んだのが裏目に出ましたねえ。」
「革靴……?」
「通り魔事件。被害者や目撃者の証言は、服装については、黒のパーカーに黒のジーンズで一致していたんですが、靴だけはなかなか定まらなくてね。現場に靴跡が残っていたこともありましたが、種類もサイズもバラバラだったこともあって、こちらも困惑させられました。複数人よる犯行説も追っていたんですが、靴を変えて、体の大きさなどを特定させないためのあなたなりの作戦だったんでしょう?それが今回は、革靴なんて選んだせいで、警官から逃げそびれた。流石に調子に乗りすぎたんじゃないですかね?」
「そんなわけないでしょう……!俺は本当に何も知らないんだ!……ハメられたんだよ、ハメられたんだ!俺は何も、法に触れるようなことは、何もしちゃいない!」
嘆願するように叫ぶ俺に、安田はにっこりと笑った。
「まあ、時間はたっぷりとあります。ゆっくり話し合いましょう。ゆっくりね。」
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