3章 富永(2)

「提案……?」

 胡散臭い響きだ。なんとなく、末吉とのやりとりを思い出させられる。変な奴は弱っているカモを嗅ぎつけるのが得意と聞くが、次から次へと勘弁してくれ。

「申し訳ないが、これ以上、見知らぬ人と怪しいやりとりをするほど、流石にバカではありませんよ。」

 強い口調で牽制するも、

「いやいや。そう悪いお話ではないと思いますよ。……なんだか、いかにもなセリフではありますが。まあ、無理にと言いません。ご自身の人生だ。ご自身でコントロールされればいい。」

男はそれだけ言うと、口をつぐんだ。男の言う通りだ。俺の人生は、俺がコントロールする。誰の指図も受けない。そう決めているのだから……話だけでも聞いてみるか?いや、でも……。

「話だけでも、聞かれますか?」

 まるで俺の心を読んだかのように、男が言った。俺は無言で、男の黒い瞳を見つめ返す。

「シンプルな話ですよ。私があなたの問題を解決する代わりに、あなたには私の問題を解決していただく。」

「いや……そんな簡単に解決できるくらいなら、名前も知らない赤の他人なんかに頼らずに、自分でなんとかしていますよ!」

 なんでもないことのようにあっさりと言ってのけた男に、俺は当然のごとく噛み付いたが、

「”名前も知らない赤の他人”だからこそ、解決できる問題もある、と言ったら?」

男は一切表情も変えず、悠然としたままだった。

 ”名前も知らない赤の他人”だからこそ解決できる……だって?

「……具体的には?」

 おそるおそる尋ねる。

「具体的には、まず私があなたの借金相手を殺しましょう。不倫相手の女については……そうだな、適当に脅して怖がらせる程度に留めておいてよいのではないでしょうか。その女に関しては、あなたとの関係が深すぎるので、下手に殺したりすると、あなたが疑われかねないですしね。」

 ……は?

「いや……なに、言ってるんですか。こ、殺すなんて……そんな、いくらなんでも……。」

 動揺する俺に、男は心底意外そうに首をかしげた。

「何か、問題でも?」

 やばい。この男、完全に狂ってやがる。末吉なんて、可愛いもんだ。まともに話を聞いた俺が、バカだった。

「問題も何も、問題だらけでしょう!犯罪ですよ!そんなことしたら!どこの世界に、会ったばかりの赤の他人に、さ、殺人を依頼するバカがいるんですか!」

「会ったばかりの赤の他人から、大金を借りたじゃないですか。」

「……!それとこれとは、全く別次元の問題でしょう!!」

 興奮する俺とは正反対に、男は落ち着いた態度を崩さず、むしろ面白そうに俺を見つめている。

「いい方法だと思うんですけどね。おそらくその高利貸しの男は、同じような手で大金を稼いでいるんだろうし、あなたが何をしたって、その男には痛みが生じないように計算し尽くしているはずですよ。あなたがもがけばもがくほど、あなただけが傷ついていく。そんな相手に、同情する必要なんて、ひとかけらもないと思いますけどね。」

「いや…あなたね!」

「不倫相手の女性に関しては、ちょっと脅かすだけにしておきますし、それでうまく手が切れたら、万事解決じゃないですか。」

「あのねえ……確かに、確かに、それで俺の問題は解決するかもしれない。無茶苦茶なやり方で、乗るつもりは一切ありませんが!でも、そんなことして、あなたに何のメリットがあるっていうんですか?一人殺して、一人脅して……そんなのもう、立派な犯罪者でしょう!捕まったらおしまいだ!」

「何もタダであなたを助ける、とは言っていませんよ。そこまでボランティア精神に溢れた人間でもありませんので。最初に言ったじゃありませんか。私があなたの問題を解決する代わりに、あなたには私の問題を解決してもらうって。それに、私は刑務所へ行くつもりなんて、さらさらありませんよ。」

 なるほど、そういうことか。男の思惑に勘付いた俺は、さらに声を荒げて反論する。

「……つまり、それをネタにして、今度はあなたが俺を強請ろうって魂胆なんだろう!借金があるからそれを代わりに返済しろとか……。それにしたってハイリスクすぎますよ。確かに俺も頭がいいとはいえないが、あなたの方も大概だと思いますけどね!!」

「いやいや。金じゃない。私が求めているのは、いわば、等価交換です。」

「等価交換……?」

 それは、つまり……。

 たどり着いた答えに、背筋に冷たいものが走った。血の気がさっと引いていくのが分かる。

「……俺に、誰かを殺せって、ことですか?」

 それまでの勢いをまるで失い、怯えるように尋ねた俺に、

「はい。」

男はやはり、あっさりと答えた。

 

 *

 

「ど、どういう意味ですか!?」

 衝撃にしばらく言葉を失った後、俺は思わず立ち上がって、叫んでいた。部屋の外まで聞こえているかもしれなかったが、そんなことに構っていられる余裕もない。

「まあまあ、少し落ち着いてください。」

「落ち着けるわけないでしょう!いくらなんでもそんな……!どいつもこいつも、人の弱みに付け込んでバカにするにしたって、ほどがあるでしょ!?」

 捲したてる俺を、男はいたって冷静に見ている。相変わらず、ほんの少し口角を上げて。その態度に、俺の苛立ちは一層募っていく。

 ちくしょう!舐めやがって!

 感情のまま、さらに声を荒げようとした時、遠慮がちに扉を叩く音が聞こえた。ちらりとそちらへ目を向けると、

「あのー……お客様。何か問題でもございましたでしょうか……?」

遠慮がちに入ってきた店員が、伺うように俺の方を見ていた。

「いえいえ。なんでもありませんよ。ちょっとした行き違いで。どうぞ、お構いなく。」

 男が微笑みながら、あっさりと店員に返す。

「そうですか……?」

「ええ。随分と酒が入ってしまったようで。連れがお騒がせして、大変申し訳ない。」

「はあ……。」

 男と店員のやり取りを眺めているうちに、少しだけ頭が冷えた。俺も店員に軽く会釈をして、その場へ座り直す。それを見届けた店員は、

「何かございましたら、いつでもお呼びください。」

とだけ言い残して、部屋を出て行った。


「どうです?少しは落ち着かれましたか?」

「落ち着くも何も……もう、放っておいてもらえませんかね?そんな話……飲むわけないし、聞くだけ無駄ですから。」

「うーん。悪い話じゃないと思うんですけどねえ。」

「あのねえ……!」

 さらに言い募ろうとする男に、再び声を荒げかけた時、男がゆったりと言った。

「代わりに殺してほしいのは、私です。」

「……は?」

「ですから。代わりに殺してほしいのは、この私なんですよ。」

 何を言っているんだ、この男は。

 末吉を殺すだの、美穂子を脅すだの、散々訳の分からないことを言った挙句、今度は自分を殺してほしい……だと?バカみたいに口をぽかりと開けたまま、何も言えなくなった俺を、まるで気にしていないかのように、男は淡々と話を続けた。

「いや、ね。会ったばかりの人間から金を借りるなんて、とかなんとか、あなたのことを色々言いましたけど、私も私で、実は借金で首が回っていない状況なんですよ。」

「借金……。」

「長いこと、サラリーマンとして、汗水垂らして頑張って働いていたんですが、数年前に何を血迷ったのか……会社を辞めて退職金を元手に、事業をはじめてしまいましてねえ。その後は……やっぱり、実によくある話ですよ。まあまあうまい事いっていたのはじめのうちだけ。次第にどうにも立ち行かなくなりましてね。でも、自分じゃそれを認めたくない。どうにかなる、どうにかしてやる。そう思って、動けば動くほど悪循環に陥って。気づけば、どん詰まり、ってわけです。」

 男は残り少なくなった酒をゆっくりと口に含むと、自嘲気味に笑った。

「それが……どうして自分を殺してほしい、ってことになるんです?」

 俺のように、借金相手を、というわけではないのだろうか。

「保険金ですよ。私が死ねば、保険金が入る。それを全部使えば……私の借金をなんとかすることはできるでしょう。保証人になっていない分については、相続放棄をすればいいですし。あなたと違って、特定の誰かにだけ金を借りている、というシンプルな状況ではないのでね。ひとつの事業を起こして潰すというのは、ご想像よりもはるかに金がかかるんですよ。だからね。家族を守るには、私が死ぬことが一番いい方法なんです。それも、自殺以外の方法でね。」

 そんな話をする間も、男の表情は一切変わらない。それが、男の諦めをより一層表しているような気がした。そもそもこの男が本当のことを言っている証拠なんて、どこにもない。今話したことも、全て作り話かもしれない。だが。

 どんどん悪くなっていく自分の人生をどうにかしようとしてどうにもならず、自分でそれを認められないうちに、深みにはまる。

 男の語ったその言葉は、今の俺に怖いくらい当てはまっていて、俺は何も言えず、なんとなくただ俯いていた。

「なんだか、すみませんね。まあ、ですから、あなたにとっても悪い話ではないと思うんですよ。人を一人殺すというのは、大それたことだ。まあ、殺すというより、自殺を手伝う、と言ったほうが正確ですが。それでも、先ほどのあなたの反応は、至極真っ当です。命は大切にしましょう、というのは誰もが一番はじめに教わることですからね。それは十分理解した上で、そんな大それたことをお願いする代わりに、私もリスクを負いましょう、というそういう契約です。私はあなたの問題となっている高利貸しを殺し、不倫相手の女を脅す。私はその件で逮捕されることはない。なぜなら、代わりに、あなたに殺されるのだから。犯人が死んでちゃあ、警察がどんなに優秀でも、捕まえることなんて、できないでしょう?もちろん、あなたが逮捕される可能性もほとんどない。あなたは私が犯した犯罪には実際に関わっていないし、私が殺される際には、あなたが逮捕されないよう、最大限協力することを保証しましょう。」

「……協力って……どうやって。」

 ふと気づくと、無意識にそんなことを呟いていた。おいおい。これじゃあ、まるで、男の話に興味があるみたいじゃないか。どう考えたって、男の言う契約は、渡るべきでもないし、近くに寄るべきですらない、危なすぎる橋だ。

「そうだなあ。例えば、いま話題になっている通り魔ですが、確か2週間ほど前にはじめての死亡者が出たとか聞きました。私についても、あなたについても、どちらも通り魔の犯行にみせかける、というのはどうでしょう。殺しの味を覚えた異常者が、エスカレートしたことによる悲劇ですよ。」

「そんな思いつきで……うまいこといくわけが……。」

「まあ、よかったら、考えておいてください。」

 言い淀む俺の前に、男は千円札と携帯電話の番号が書かれた紙切れを置き、静かに立ち上がった。

「気が向いたら、いつでもご連絡、お待ちしていますよ。今夜はご一緒できて、よかった。」

 そう言って、振り返ることなく、部屋を出ていく。取り残された俺は、その姿を呆然と見送ることしかできなかった。

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