3章 富永(1)

「どう考えてもおかしいだろ!?あの末吉って男は!」

「……すみません。」

 翌日、仕事が終わってすぐに須崎を捕まえた俺は、適当に見繕った居酒屋の一室で、早々に須崎に詰め寄っていた。

「お前の紹介だから信じて金を借りたのに!初めから足元見る気満々じゃないかよ……!」

「……すみません、本当に、そんな人だとは思ってなかったんですけど。」

 須崎はずっと俯いたまま、申し訳なさそうに謝罪を繰り返すばかりだ。その様子に、やり場のない怒りがもやもやと身体中に広がっていく感覚がした。それを思い切りぶつけてやりたい衝動にも駆られたが、なんとか抑え、

「……お前が金を借りた時はどうだったんだよ?その時も高金利をふっかけられたのか?」

と尋ねた。

「うーん……。どうだったか……。学費の納入期限に間に合いそうになくて、足りない分の10万かそこらを借りただけだったので、翌月のバイト代が入った時点で完済できたんですよね……。まだハタチになる前のガキだったし、金利とかその辺はあんまり気にしていなかったというか……。契約書すら、作ったかどうか……。もしかしたら、本田さんと同じように高金利をかけられていた可能性はありますけど……。」

ぽつぽつと話し、最後に、すみません、と小さく呟く。俺は深くため息を吐いた。これ以上、須崎を責めたところでどうにもならない。もしかすると末吉の方は須崎のことも騙すつもりだったのかもしれないが、大学生だった須崎にとっては、おそらく本当に末吉はちょっとした救世主のようなものだったんだろう。須崎が末吉を信頼していたことは、間違いない。問題は、俺が深く考えもせずに、それに乗っかってしまったことだ。20歳もとうに超えているにも関わらず、あっさりと引っかかった俺。それは十分、分かってはいるが……。

「……ちくしょう。なんだかハメられた気分だよ。というか、完全にハメられただろ、これ。」

思わず愚痴のようにこぼしてしまう。須崎は慌てたように、

「そんなつもりは、全然無かったんです!本当です!本当にそんな人だとは思っていなくて!バイト先の店に来る時もいつも紳士的で優しかったし、金を借りた時も親切にしてもらったイメージしかなくて……。分かってたら、紹介なんてしなかったです!信じてください!」

必死で俺に訴える。

「……分かってるよ。バカなのはその日初めて会った奴を、あっさり信じた俺だ。ちゃんと契約書を読み込みをせずに、その場の雰囲気に流された、俺だよ。」

「……。」

自嘲気味に言って、酒を煽る。須崎は黙ったまま、そんな俺を見つめるだけだった。その哀れむような視線を避けるように、俺は酒を飲み続けた。この先の見通しなんて、まるで分からない。末吉の求めるまま、幸恵に隠れ、終わりの見えない借金を、毎月5万円、支払い続けるのか。美穂子のことも、解決していない。会いに来るとか、なんとか、脅しめいたことを言っていた。幸恵には、情緒不安定な姿を2度も見られている。もともと賢い女だ。何かあったことに、気づいているに決まっている。

 ……ひとつひとつ、解決していかないと。解決していかないといけないんだ。これまでそうしてきたみたいに。

「あの……もうそろそろそれくらいにしといた方が……。」

 無言で飲み続けて、どれくらいの時間が経ったか。須崎が恐る恐るといった体で声をかけてきた。その伺うような声音さえも、やけに癪に障った。

「……うるせぇなあ。お前、もう帰れよ。」

「でも。」

「いいって!もう帰れ。変なことに巻き込んじまって、悪かったな。」

 シャットダウンするように強い口調でそういい、俺はまた酒を注文した。しばらく隣で逡巡している様子の須崎だったが、今の俺に何を言っても無駄だと悟ったのか、もしくは、この居た堪れない雰囲気にいい加減、嫌気が差したのか。

「……じゃあ、お先に失礼します……。あの……あんまり飲みすぎないように……。なにかあったら、いつでも連絡してください。」

 それだけ言うと、鞄を持ち上げ、そそくさと部屋を出て行った。

 考えるまでもなく、須崎にしたっていい迷惑だろう。不倫がバレた先輩の愚痴を聞かされ、助けようと思って信頼していた人間を紹介したら、実はそいつが高利貸しの守銭奴野郎だと知らされ、仕事終わりに無理やり呼び出されて責められる。須崎自身は、何一つ、悪いことをしていないのに。末吉からの借金もすぐに返済したと言っていたし、至極真っ当な人生を送ってきたのだろう。……俺とは違って。



 鬱々とした気分で飲み続けていると、不意に部屋の扉をトントンと軽く叩く音がした。顔をあげると、扉を少しだけ開けて、こちらを伺う男の姿が見えた。

「……なんですか?」

 男は俺の反応を待っていたかのように、扉を開け、

「突然、申し訳ない。隣の部屋で飲んでいたものなんですが、私も連れが先に帰ってしまいましてね。あなたの方もお連れ様が先に帰っていく様子が伺えたもので、飲み足りないもの同士、ご一緒できないかな、と思いまして。」

「はあ……。」

 スーツを着た痩せ気味の男だ。髪は白さの方が目立ち、メガネをかけ、初老にさしかかろうかといった頃合いに見えた。薄い唇がゆったりと弧を描いている。全席個室居酒屋の触れ込みにこの店を選んだが、案外、部屋と部屋の間の壁は薄かったらしい。……とすると、須崎へ詰め寄る俺の様子も聞こえていたのだろうか。飲みすぎて、回転の遅い頭がようやくそこへ行き着き、見ず知らずの人間に自身の窮状を思いがけずさらしてしまったことに、赤かった顔にさらに熱がこもるのを感じた。

「お酒好きなんですねえ。これは、なかなかの酒量だ。」

 特に受け入れた覚えはなかったのだが、先ほどまで須崎のいた席に座りながら、男は楽しそうにそう言った。そのまま店員を呼び出し、酒を注文し始める。俺は追い出す気力も湧かず、ぼんやりとそれを眺めていた。

「なんだか、随分とお疲れのようですね。」

 届けられた酒を一口飲み、男がゆったりとした口調で言った。

「ええ……まあ。」

「最近はストレスの多い世の中ですからねえ。」

 男は、俺のぶっきらぼうな返事を意に介さず、そんな一般論を言ってのける。そのどこかすっとぼけたような男の態度に、俺は言いようもない苛立ちを感じた。

「……聞こえてたんでしょう?俺が連れに愚痴っていたのを。」

 自分が想像していたよりも、剣呑な自分の声が耳に入った。名前も知らない相手だ。あまり喧嘩腰な態度は良くないだろう。そんな思いが一瞬、酒でぼやけた頭によぎったが。……まあ、どうでもいいか。不快なら、さっさと出て行ってもらえばいいだけの話だ。

「はは、バレてましたか。」

男はあっさり認めて、

「まあ聞こえたと言っても、何やらストレスが溜まってらっしゃるな、くらいなもので、具体的な内容までつぶさに聞こえた訳ではありませんから、ご心配なく。」

そう続けて、またゆっくりと酒を口に運んだ。それ以降、何か話す訳でもなく、ただ微笑んでいるかのように軽く口角をあげて、酒を飲み続ける。俺も無視して、しばらく酒を煽っていたが、

「……別に面白い話じゃないですよ。実にありふれた話です。」

気づけば、ぽつりぽつりと、まるで独り言を言うかのように話し始めていた。男は相槌を打つでもなく、先を促すこともなく、ただ、聞いている。

「職場の派遣社員と不倫しましてね。お互いに既婚者だったんですが、向こうの旦那にそれがバレたんです。慰謝料を請求されましてね。一括で300万。300万ですよ?ふっかてくるにもほどがあるでしょ?でも、払わなければ、出るとこに出て、妻にもバラすと脅されて。結局、さっき帰っていった連れに紹介された男から、300万、借りることにしたんです。それで、まあ、金の方は無事返せたんですが、借金の利子が法外で……。月に10%。びっくりでしょう?ありえない。気づかなかった俺も俺だが、人の足元を見て、ふっかけてくる方もふっかけてくる方ですよ、まったくどいつもこいつも!……でも、妻にバレるわけにはいかないから、どうしようもないし。結局ここから毎月5万円、振り込み続ける人生ですよ……一生返せない借金を抱えてね。しかも相手の女は、旦那にバレたっていうのに、まだ関係を続けたいようなことを言ってくるし。頭が悪いとしか思えない……。あんな女のために、俺は……。本当に……ストレスだらけですよ。」

 話し終わって、一気に残っていた酒を煽る。自分で話していても、悲しくなってくるほど、情けない話だ。この男も呆れ返っているだろう。もしくは、こんなバカな男と比べて、自分の人生の順風満帆さに安堵しているか。それまで俯けていた視線をあげ、男の顔をちらりと見上げる。男は相変わらず、微笑んでいるかのような不思議な表情をしたまま、口を開いた。

「いやあ……見事なくらい、どつぼにはまっていますね。」

「……いいですよ。笑ってやってください。自分でも、笑えてくるくらいだ。」

「いやいや。あまりよく知らない人間から、大金を借りたのは正直どうかと思いますが、そもそもの不倫については、よくある話ではありますし。まあ、相手の女性選びも良くなかったみたいではありますが、不倫相手ですからねえ……。そんなに性格や賢さを重視して選ぶものでもないでしょうから、仕方ないといえば仕方ないですよ。本当、運が悪かったですねえ。」

 運が悪かった。そうだ、そうなのだ。俺は、運が悪かっただけだ。何もかも、悪い方へ転んでいった。俺が全部悪いわけじゃない。俺が間違えたわけじゃない。ただ、運が悪かったんだ。

「そう……そうですよね。俺は、運が悪かったんです、本当……びっくりするくらい。」

「私もそう思いますよ。」

 穏やかに肯定してくれる男の声に、なんだか救われたような気持ちになったものの、

「しかし……実際のところ、なかなか大変ですね。あなたのお話を聞いていると、借金は膨らんでいく一方なのに毎月返済をして、かつ、今度こそ誰にもバレないように、おかしな女の相手もしないといけない。だが、すでに一度バレてしまっている以上、リスクはなかなかに高いでしょうねえ。」

男は、考え込むように顎の下を指で摩りながら、気の毒そうにそう続け、持ち上げられた気持ちは、一瞬にして急降下する。

 そうだ。それが現実だ。俺は悪くない、運が悪かっただけとはいえ、その二つの問題について、有効な解決策は全くもって見つかっていない。当面の間は、対処療法でごまかすしかないだろう。それも一体、いつまでもつだろうか……。

 堂々巡りする俺の暗い思考を打ち消すかのように、

「どうでしょう。ここでお会いしたのも、何かの縁だ。」

男がやたらと明るい声でいった。

「私の提案に乗ってみませんか?」

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