1章 はじまりは、ありきたりな関係(1)
「−−それでは、次のトピックです。〇〇県では、半年ほど前から、連続通り魔事件が頻発しており、住民は不安を募らせていましたが、先週の水曜日、ついに初めての死者が発生しました。被害者は市立中学校の校長先生をされていたとのことで、関係者の証言によりますと、生徒からも慕われ、大変真面目な人柄の持ち主だったということです。今回の連続通り魔事件ですが、一連の事件全てが、水曜日の夜に行われていることから、”水曜日の悪魔”などと一部のネット上では呼ばれてもいるようです。しかし、ついに命を奪われる事態にまでなってしまい、これまで以上に、犯人の早急な逮捕が望まれますね。」
「そうですねえ。まず今回初めて死者が出たわけですから、これまでとは犯行パターンが明らかに変化しているといえるのではないかと思います。私個人といたしましては、この点が非常に気になりますね。犯人が自分自身をコントロール出来なくなっており、ここからさらに犯行内容が過激化していく恐れも充分に考えられますから、なんとか"決まって水曜日の夜に犯行が行われる"という点を糸口に事件解決を急いでもらいたいです。」
「どうやら被害者に共通点がみられないことや、目撃証言などにも微妙に食い違いがあることから、犯人像の特定がなかなか難しいようだ、といった情報もあります。そのため、最新の事件については、模倣犯による犯行ではないか、などという説も浮上しているようですね。」
「周辺住民の皆さんが安心して出歩けるように、とにかく早く捕まって欲しいですね……−−」
*
「"水曜日の悪魔"、だって。超ださいねー。」
テレビに背を向けて、乱雑に脱ぎ散らかした服を身につけていた俺は、美穂子の笑いを含んだ声に振り向き、改めて、ベッドの正面で光る液晶画面を見やった。近頃、このあたりで、連続通り魔事件が頻発しているらしいことは知っていたが、ついに死者まで出ていたのか。被害者は老若男女関係なく、犯行曜日以外はまるで一貫性のない事件として、それなりに話題になっている。番組では、聞きなれない肩書きを掲げたコメンテーターたちが、わざとらしいくらい神妙な顔で、当たり障りのないコメントを口にし合っていた。
「まあ、ネーミングセンスはイマイチかもな。」
まるで一昔前のB級ホラーのタイトルのようだ。そうやって無駄に世間が騒ぐから、一層犯人がつけあがるんじゃないのか?
「そういえば、今日も水曜じゃん?なんか男も女も関係なく襲われてるっぽいし、会う曜日、変えた方がよくない?」
真っ赤に染まったネイルをいじりながらなんでもないようにそう言った美穂子の表情は、どことなく不安げだ。どうやら本気で通り魔に襲われることを心配しているらしい。まあアラサーとはいえ、それなりに魅力的な容姿はしているし、”水曜日の悪魔”とやらに狙われる可能性はゼロではないだろうが、流石に気にしすぎだろう。そもそもそんなことを気にし始めたら、通り魔事件が起きていようがいまいが、日常生活なんておちおち送れやしない。普通に歩いていたって、事件や事故や災害に巻き込まれる可能性は、誰にだってあるものだ。どうしたって、人間、生きるときは生きるし、死ぬときは死ぬ。そんなもんだろ?
心の中ではそう思っていても、そのまま声に出してぶつけるのは得策じゃない。美穂子が一度機嫌を損ねると、なだめるのはなかなかに面倒だ。そこで本音をなるべく表情には出さないように注意しながら、俺は慰めるように少し声色を和らげて言った。
「お前のことは、一応ここの駅までは送っていってるし、最寄駅からは家はすぐだろ?俺の方はまあちょっと歩くけど、男だし、大丈夫だよ。」
「……送ってくれるっていっても、ストーカーみたいに、あとをつけてくるスタイルだけどね。下手すりゃ、たいちゃんが通り魔事件の犯人だって疑われそー。」
せっかく穏やかに返してやったのに、美穂子が揶揄するように言われ、俺の口調も強くなる。
「仕方ないだろ。下手に並んで歩いて、誰かに見られたらどうするんだよ。」
「……それは、そーだけどさー。」
分かってはいてもやはり不安なのか、不服そうに口を尖らせる美穂子に、彼女の服をかき集め、軽く放ってやった。
「お前も早く準備しろよ。そろそろ、出ないと。」
「……はーい。」
「言っとくけど、俺は水曜しか、会うのは無理だからな。」
「わかってますって!」
駄目押しのような俺の一言に、不機嫌そうに言い返すと、美穂子は服を抱きかかえて、バスルームへと消えていった。
「めんどくせぇなぁ……。」
美穂子と週に一回、仕事終わりにこうして逢瀬を重ねるのは、職場や家庭で溜まったストレスのいい解消法だ。反面、彼女の思慮の浅さやワガママな性格にうんざりさせられることも多かった。今だって、気にしたって仕方のない通り魔事件に不安になるなんて、まるで馬鹿げているとしか俺には思えなかった。その点、妻の幸恵は、美穂子とは正反対だ。有名大学を卒業して、俺と結婚した後も、変わらず正社員としてバリバリ働いている。その上、頭の回転も早いし、俺よりもよほど良い家柄のお嬢様なので、常識もある。話していて楽しいし、それでいて性格もいたって穏やかなので、夫婦としての関係性に、現状全く不満はなかった。それでもこうして、毎週水曜日、今年度から新しく始まった妻の知らないノー残業デーの日に、いつも通りの残業を装って、こっそり美穂子と会うことは止められなかった。自分でもよく分からないが、完璧な妻に隠し事を持っている、というスリルが、日常の中の非日常を手放させてくれないのだろう。
そんな考えに浸りながら美穂子を待っていると、メッセージの着信を知らせる短い音がした。スマホを手繰り寄せて確認するが、俺のスマホの通知画面に変化はない。となると、美穂子の方か。ベッドの上に無造作に放り投げられたそれに目をやると、画面上に映し出された新着通知メッセージが見えた。ちらりと目の端を捉えた程度だったが、そこに映し出された文字の意味は頭の中にはっきりと刻まれ、俺は一気に青ざめた。
【お前、今、どこにいんだよ?】
「……美穂子!」
「なにー?もう、支度できたって。そう急かさないでよ。」
服を身につけ、うるさそうにバスルームから出てきた美穂子にスマホの画面を突きつける。
「これ、お前の旦那じゃないのか!?」
「……え?」
スマホを受け取った美穂子はロックを解除し、慌てた様子で、アプリを開く。その間も、ピコンピコンと通知音は重なり、ブーブーと耳障りな着信音まで混ざり始めた。
「……なんで!?こんな早く帰ってくるなんて、有り得ないのに!」
「とにかく!さっさと帰るぞ!なんとかごまかせよ!分かってんだろ!?」
「分かってるわよ!」
慌てて荷物をかき集め、苛立たしげにスマホを操作する美穂子を押しやって、2時間前に入ったばかりの部屋を出る。美穂子も俺も、離婚してまでこの関係を続けようなんていう気持ちは、少しもないのだ。ほんの、少しも。だからこそ、お互いの配偶者にはバレないように、お互いの家や職場の最寄駅からは外れたこの町をあえて選んで、ひっそりと関係を結んでいたのに。もうかれこれ半年、誰にもバレずにここまでやってこれたのに。
−−どんなにうまくやったつもりでも、バレないときはバレないし、バレるときはバレるんだよ。
そう嘲るような自分の声が、聞こえたような気がした。
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