水曜日の悪魔
わたなべ すぐる
プロローグ、もしくはもうひとつの結末
すでに日が落ちて、久しい。
ぽつんぽつんと設置された街灯がわずかな光をともしている。
その光の下で、くたびれたスーツを来た男が一人、佇んでいた。中肉中背で、年齢は初老に差し掛かる頃合いだろうか。右手の親指の爪をしきりに噛み、左手はスマホを握っている。
男はちらりとスマホに目をやった。スマホの画面はあたりの闇に溶け込んだままで、何かしらの通知をもたらした様子は見られない。それを確認した男は、いらだたしげに深くため息をついた。ため息が白く濁って、空中へと離散していく。男はしばらくの間、そのままその場に立ちすくんでいたが、やがて諦めたかのように軽く首を振ると、駅のある方向へと踵を返し、歩き出そうとした。
その時。男が諦めたそのタイミングを見計らったかのように、道に広がる暗闇の中から、ふわりと人影が現れた。人影といっても、あたりの暗闇にその姿は紛れており、顔はおろか、性別の判断すらつかない。
「……ようやくお出ましか。一体何を勘違いしているのか知らないが、こんな風に呼び出されるようないわれはないんだよ!どこの誰だか知らないが、さっさとあんたのいう、”証拠”とやらを見せてもらおうか。……まあそんなものがあるはずはないんだが。念のためだ!念のため!!」
スマホをポケットに押し込みながら、男はゆらりと立ったまま動かない人影に、一方的に喋り続ける。
「黙ってないで、なんとか言ったらどうなんだ?私と話がしたいから、わざわざ連絡してきたんだろうか!そもそも一方的な連絡ばかりしてきて、素性の一つも名乗らないなんて、失礼にもほどが……」
ドンと、鈍い衝撃があった。
つい先ほどまでそれなりにあったはずの人影との距離が、ゼロになっていることに、男は初めて気が付いた。
男の見張った目が、まさに今自分を刺した人物の顔を、至近距離で捉える。
そう、男は刺されたのだ。今まさに。
識別できるほど近づいた顔を見ても、誰だか分からない相手に。
男の胸に深々と刺さった包丁が抜かれ、そこから止めどなく血が流れ出す。体を支える力を失った両足が、男の体を冷たいコンクリートの上へと誘い、男もそれに逆らうことなく、その場へ倒れ込んだ。
「な……んで……。」
男の最後のつぶやきが、早くも色を失った唇から漏れる。それは誰にも聞かれることはなく、静かに闇の中へと溶け込んでいった。
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