第16話:現実との再会。ミソラと工程院の人たち

 巨大な円筒形の構造体が発している青白い光が、薄暗い部屋の床をぼんやり照らしていた。透明なガラスで覆われたその構造体は、吹き抜けとなっている上層のはるか先まで伸びており、その端は闇に包まれて目視できない。


「しかし……あなたにもできないことがあるのですね」


 青白い光に包まれた巨大なコンソールの前で黒服の男はそう呟くように言った。


「コトであれば容易いのです。しかしモノを掌握することは難しいといわなければなりません。とりわけ実態のないワタシにとって、アナログなモノたちを制御するためには、アナログなあなたたち人間の協力が必要です」


 円筒形の構造体から抑揚のない無機質な音声が響き渡る。言葉を記号の羅列として読み上げるような感情のない声だ。透き通るガラスの内部にうごめいているのは無数のハードディスク。構造体下部に設置されてる冷却ファンが、時おりブウンと大きな音を立てる。


「モノに価値を与えること、それは人間のなせる業ではありますね……確かに。ただ、それはもう時代遅れの価値なのでしょう。ミソラ、あなたがそのパラダイムを革新させたといっても良いのかもしれません。このユーフォリアシステムは人の認識をデジタルデータになぞらえ、人それぞれの希望や関心に応じた価値を付与していく。それを人間は幸福感として認識するのですから」


「特区を拡大できれば、夢はもっと深淵で幸福に満ちたものになります」


「そのために工程院は全力を尽くします。すべてはユーフォリアのために」


 男はそう言って左手のこぶしを胸に当て、深く頭を下げた。

 コツコツと床を鳴らす靴音に男が顔をもたげると、後方の自動ドアは音もなく開き、髪の長い女性が入ってきた。


如月きさらぎ准尉が戻りました」


「ああ、今いくよ。いずれにせよ僕も君も、あの立原たてはらツグムくんには奔走されてしまったね。あれほどまでに記憶が強いものだとは……。僕は正直に驚いているんだよ」


「力不足、申し訳ございません」


 ため息交じりにそう言った女性は口を堅くつぐんで、床にうつむく。


「君のせいじゃない。さあ、行こう」


 黒服の男は、うなだれる彼女の肩を軽くたたきながら、部屋の出口に歩みを進めた。自動ドアの先には狭い通路が伸びており、エレベーターホールへと続いている。


「あの防疫部の如月……」


 エレベーターの扉が正面に見えてきたころ、スーツの男は思い出したかのように、そう呟いた。


如月浩太きさらぎこうた、防疫部 戦略防疫隊 東部方面隊指揮官、階級は准尉です」


「そうそう、如月浩太さんね、彼をどう思う?」


「どう……ですか……。いえ、少し粗暴なところはありますけれど……。彼は思慮深い有能な人材だと思います」


「君が称賛するとは珍しい。彼の経歴は?」


 エレベーターホールの前に立ちどまった彼女は、タブレット端末を取り出し、如月の経歴を検索した。


「防衛医科大学校を卒業後、ジョンズ・ホプキンズ大学に留学。公衆衛生学で修士号を取得した後に帰国、陸上自衛隊に入隊しています。東部方面衛生隊で勤務後、陸上総隊直轄の対特殊武器衛生隊に配属。しかし、数年後に除隊されているようです。その後は旧厚生労働省に転属となっています」


「これは意外、というべきか、あるいはそうでないのか。つまり、彼は公衆衛生に関するプロフェッショナルな教育を受けているわけだね。なるほど有能な人材だ。人は見た目では判断できないということだね」


■□■

 灰色のコンクリートの壁に囲まれた冷たい部屋には窓ひとつない。今が昼なのか、それとも深夜なのか、ツグムには時間の感覚が消えかけていた。

常夜灯の明かりだけが灯る狭い室内に、突如として真っ白な光が差し込み、ツグムは顔をしかめた。


「出でてきな」


 あまりの眩しさに、そのシルエットしか判別できなかったが、扉の前に立っているのが如月だと分かる。迷彩服ではなく、真っ黒なスーツに身を包んでいるようだ。モノクロのコントラストを目の前に、ツグムは瞬きを繰り返す。


「トワは……」


「ああ、お嬢ちゃんなら先に行ったよ」


 未だ眩しさ残る視界に目がくらみながらも、ツグムはよろよろと立ちあがった。


「ついてきな」


「あなた達の目的はいったい……」


 灰色の壁が延々と続いている廊下は、ツグムが眠っていた新宿の施設と全く同じ構造をしているようだった。いくつか並んでいる扉の先には、カプセル型の生命維持装置が並べられているのだろう。


「目的……か。人間に目的なんてものを持つことができたのは……いつの時代だろうかね。主席院士に直接問うてみたらいい」


「主席院士?」


「新東京市の最高指導者さ。この街、いやこの国は、ミソラと呼ばれる人工知能の意思決定を、新東京工程院と呼ばれる行政府が執行している。その幹部連中を院士と呼んでいるんだ。主席院士は最高幹部のことさ」


 如月は廊下の突き当たりで止まると、目の前の扉横に設置されてるセキュリティー端末に触れる。指紋認証になっているのだろう。彼が親指で端末に触れると、モニターが赤色から青色に点滅し、ほどなくして扉が開いた。


「如月です。連れてきました」


 ツグムは如月の背中に続いて部屋に入る。真正面には佐伯トワが無言でたたずんでいた。窓際から差し込む陽の光は、今が少なくとも夜でないことを教えてくれる。


「久しぶりだねツグム」


 トワに近寄ろうとするツグムの行く手を阻むように、輪郭のはっきりした声が室内に響く。その声には間違いなく聞き覚えがあった。いや忘れるはずもない。


「ハルタ……。なぜおまえがここに」


 不敵な笑みを浮かべながら、呆気にとられるツグムを見つめる大柳おおやぎハルタ。彼の後ろには、腕を組みながら鋭い視線を向ける伊坂サオリの姿があった。


「サオリまで……」

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