生きる意味と死ぬ意味と⑩
「びしょ濡れだけど、もしかして川で泳いだの? それは流石に汚いわよ」
河川敷から離れ、猫を休憩所まで戻すかどうかを考え歩いていると、聞き覚えのある声がかかった。 ――――樹亜だ。 まるでゴミを見るかのように二人を見ながら、鼻を摘まんでみせる。
竜真は殴りかかりたい衝動に駆られるも、何とか思い留まった。 先程、沙夜に『証拠はないから決め付けることはできない』と言われていたからだ。
―――・・・どう考えても、この女が犯人だろ。
怒りの発生は、この事件からだけではない。 沙夜に対して自殺させようとする程のいじめをしてきたのも、本当だと分かってしまったから。
「あら? 猫もずぶ濡れじゃない。 猫は水嫌いなのに、川に入れるだなんて酷いわね」
「お前ッ・・・」
竜真はもう、許すことができなかった。 だが、それを止めたのは沙夜だった。
「樹亜さん」
「なぁに? 沙夜ちゃん」
「何故、この子が川に入ったことを知っているの?」
「それはッ・・・」
この瞬間、笑顔で塗り固められた仮面に、亀裂が入った音が聞こえたような気がした。
「そ、そこに川があるからよ! 誰だって、川に入れたと思うはずよ!」
「残念だけど、この子はそこの公園で洗っていただけなの。 ちょっと水の調整を誤って、竜真もびしょ濡れになってしまったけど」
「はぁ!? 捨て猫を洗う奴がどこにいるっていうのよ!」
「どうして捨て猫だと知っているの?」
「くッ・・・」
樹亜は明らかに動揺し、視線が定まらない。 それはもう自白しているようなものだと思ったが、認めるつもりはないようだ。 沙夜は、持っていた奇妙な機械を掲げながら言う。
「私、これを警察に持っていくつもり。 何かは分からないけど、普通じゃないのは分かるから。 多分、買った人も調べれば分かると思う。 指紋も残っているかもしれないし」
「・・・へぇ、そう」
竜真は少し驚いていた。沙夜のことをあまり喋らないと思っていたため、これ程までに堂々とした態度を取ることを想像していなかったのだ。
変化した見た目と共にあるそれは、まるで天音がここで話していると思える程に。
「あと私、家を出ることに決めた」
「・・・は?」
これは竜真も初耳だ。 今日一日を過ごして家を出るだなんて言葉は、一度も聞いていない。 だが間違いなく、今日の一日が沙夜の考え方を変えたのだと悟った。
「もう樹亜さんの顔を見なくても済むと思うと、清々する」
「ッ、ふざけんな! ちょっと可愛くなったからって、調子に乗りやがって!」
樹亜は沙夜に掴みかかった。 だがそれでも沙夜は、冷静で冷ややかに彼女を見つめている。
「放してくれる? これ、暴行罪になるって知っているの?」
「・・・ッ」
竜真も見ているのだ。 樹亜は大人しく、手を放すしかなかった。
「・・・樹亜さんのこと、死ぬ程嫌いだった。 今までもこれからも、ずっと嫌いだと思う。 ・・・でも、過去のことは水に流すわ。 生きる意味にも死ぬ意味にも、樹亜さんが関わってほしくないから」
「この・・・」
「樹亜さんは警察に行って、今までの罪を償った方がいい。 私は今日竜真に出会って、外見も内面も変わることができた。 だから、樹亜さんみたいな人でも変われると思う。 早い方がいい。
歳を取ると、自分の間違いを認めにくくなってしまうから」
「アンタなんて何も変わっていない! 何もできなくて、愚図でのろまで」
「かもしれない。 だけど、樹亜さんよりは確実に一歩前へ進んでいる」
沙夜は一歩も引く気はなかった。 ここが正念場、彼女をどうにかしない限り無意味な人生に終わりは来ない。
「・・・これ」
沙夜は懐から、一枚の封筒を取り出した。 樹亜はそれを見て嘲笑を浮かべる。
「何? アンタ。 ようやく死ぬ気になったの?」
それには、竜真も改めて驚くことになった。 “遺言状” 先程破り捨てたものと同じ単語が、封筒にでかでかと書かれていたのだから。
「勉強は得意なのに、何も知らないのね」
「はぁ!?」
樹亜は目を見開いて恫喝した。
「遺言状は、死ぬ意思を示すものじゃない。 死んだ後の権利に、道を作るもの。 これには私が死んだ後の財産は、全て竜真へいくよう書いてある」
「何で・・・ッ! そんな、会ったばかりの相手に・・・」
樹亜は、がっくりと膝を落とし俯いた。 彼女からしてみれば、今までやってきた嫌がらせが全て無駄になった気分なのだろう。 信じられないことに、地面がポツポツと黒く染まっていた。
「樹亜さん、貴女は負けたの。 でも、まだやり直せる。 勉強も運動も得意だし、容姿もいい。 性格さえ直せば、まだ何とかなるから」
「ふざけんなッ! お前さえ・・・! お前さえ、いなければ・・・!!」
樹亜は力強く立ち上がると、今度は竜真に掴みかかる。 そのままペンのようなものを取り出すと、大きく振りかぶった。
「このッ・・・!」 「竜真ッ!」
竜真と沙夜が揃って声を上げた、その瞬間――――
「ぎゃああああああぁぁぁぁ!」
まるで耳を引き裂くような悲鳴が、辺りに大きく響き渡る。 そして同時に、鮮血が舞い散った。
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