生きる意味と死ぬ意味と⑤
目的地である洋食屋は、竜真の歳の離れた兄が経営している店だ。 繁華街から離れ住宅地の中心といった場所にあるが、休日昼時にもなると三十ある席が全て埋まる程混み合う。
もっとも現在は昼時から外れてしまっているため、外からでも分かるくらいに閑散としていた。
「雰囲気いいでしょ。 ほら、サボテンもたくさんあるんだよ」
竜真の趣味であるサボテンは、兄から教わったものだ。 掃除の手間が少なく、物珍しく感じた客を呼び寄せるという理由らしい。 常連の間では、サボテン喫茶と呼ぶ声もあった。
「・・・悪くはない」
「素直に『いい』って言いなよ。 さぁ、入ろう。 中もサボテンだらけなんだ」
“カランコロン”と小気味のいい音と共に足を踏み入れると、中心にあるサボテンの植え込みがまず目に飛び込む。 触れないよう囲われているが、それだけで普通の洋食屋とは一線を画していた。
「おう、リュウ。 こんな時間によく来たな、って言いたいところだけど、学校はどうした? 休みか?」
窓際の席に勝手に座ったところでやってきたのは、経営者兼シェフである兄だ。 身なりは整えられているが、その顔付きは剛の者と表現するのが相応しい。
「サボった」
竜真は、一言それだけを言う。 兄は医者の後を継ぐという道を拒み、料理の道を選んだのだ。 それで店を経営し、成功している。
もちろんその開店資金は父親が融通したものであるが、返済も順調に行われていた。 言い訳したり取り繕ったりする必要がない、理解のいい兄だ。
兄は沙夜のことをジッと見つめた後、竜真に向かって大袈裟に言う。
「学校をふけてデートって! くぅー、青春だねぇ!」
「ちょ、そんなんじゃないって! 彼女も困・・・」
――――ってはいなかった。 サボテンをジッと眺めながら、どこ吹く風といった様子だ。
「・・・適当に何か作ってよ。 あと、ちょっとお願いがあるんだけど」
竜真は立ち上がると、沙夜に聞こえないよう耳打ちをした。 それは先程閃いた、あることを実践するため。 竜真の兄は、その人柄のよさから交友関係が広い。 その中に、竜真の会いたい人がいたのだ。
「よし分かった、ちょっと待っていろ」
兄は楽しそうに笑うと、厨房へ意気揚々と歩いていった。
「やっぱりデートに見えるのかな?」
「・・・さぁ」
「俺、女子とデートってしたことがなくてさ」
「・・・そう」
沙夜の反応は、素っ気ないの極みと言える。 だが竜真は何故かそれを、不快に感じてはいなかった。
「沙夜は、デートとかしたことがあるの?」
「・・・ないに決まっているでしょ」
「じゃあ俺も沙夜も、これが初デートだな」
「・・・」
「おいおい、若人たちよ。 人の店で何いちゃいちゃしているんだ?」
その言葉と同時に、テーブルに料理が置かれた。 彩りよく盛られたサラダと、クリーム色をしたポタージュスープだ。
「兄さんには、いちゃいちゃしているように見えたのか?」
「おうよ! 女ってのは、嫌な時は全身から“嫌”ってオーラを出すんだよ。 だけど、この嬢ちゃんはそうじゃねぇ。 まぁ、リュウに好き好きオーラを出してもいねぇがな」
「好き好きオーラって・・・。 超ダサいな」
こうしてまた、厨房へと戻っていった。 それからは他愛もない会話で、時間を潰し―――といっても竜真が話しかけるばかりで、まともに会話は成り立っていなかったのだが。
しばらくしてメインディッシュとして出てきたのは、とろとろの卵がかかったオムライスだった。
「オムライスって・・・」
「ウチの特製オムライスだぜ? リュウは食ったことがなかったっけか」
「沙夜、サボテンの棘が入っているかもしれないから、気を付けて食べてくれ」
「そうそう、隠し味の棘が舌を刺激して・・・。 って! 入っているわけがねぇだろ!」
こんな二人のやり取りを。沙夜はじっと見つめていた。 いや、視界に入ってるだけで、本質的に視ているわけではないのかもしれない。 だがそこに、物憂気な様子も見て取れた。
「沙夜、食べよ? 熱いうちに」
「・・・いただきます」
沙夜は一掬いずつ口に含むと、ゆっくりと噛み締め飲み込んでいった。 竜真も家柄が現れているのか、行儀よく丁寧に食事をとる。
兄はオムライスは掻き込んだ方が美味だと言ったが、丼飯の一種だとでも思っているのだろうか。 だがそんな彼が、繁盛店のシェフ兼経営者である。
「どうだった?」
「悪く、ない・・・。 久しぶりに、人が作ったものを食べた」
「普段、家での食事も・・・?」
「もともと家族とは、別のものを食べていたから」
「・・・?」
意味深な言い草だった。 だが、おそらく保健室で見たような食事を、家でも摂っているのだろう。 すると竜真の兄がやってきて、テーブルに小さな包みを置いた。
「持っていけ。 あんまりこういうのは得意じゃねぇんだけど、ちょっとした試みでな」
お世辞にもお洒落とは言えないラッピングで、不揃いなクッキーが包まれている。 見ればレジ横の小さなバスケットにも、同様のものがいくつか置かれていた。
「それ、売りもんだろ? いくら?」
「いらん。 今日の代金もいらねぇよ」
「いや、金はちゃんと払うよ?」
「いいから、とっておけって。 その浮いた金で、気が利くもんでも買ってやりな」
そう言うと竜真の兄は、厨房へと戻ってしまった。 小さな声で『また来いよ』と、だけを言って。 食事は既に終わっている。 沙夜に気を遣って一息入れてみたが、もう出てもよさそうだった。
「行こうか」
サボテン喫茶を後にし、竜真は沙夜をゲームセンターやカラオケ、CDショップなどに連れていった。 色々なところへ連れていけば、一つくらいハマるものがあるかもしれないと考えたのだ。
だがどれも、沙夜が気にいることはなかった。
―――・・・嫌がるわけではないんだけどな。
自分から進んで何かをしようとはしないが、勧めれば断ることもない。 主体性がないことが、大和撫子のようなおしとやかさにも感じられた。
―――約束の時間まで、もう少しある。
―――散歩でもして、時間を潰すか。
そう思った矢先だった。
「どうしたの? 沙夜」
蝉の鳴き声が響く小さな休憩所、そこを通りがかった時沙夜の足が僅かに緩んだ。 目線の先には、小さな段ボールの中に一匹の猫。 おそらくは、飼い主に捨てられてしまったのだろう。
「・・・これ、あげてもいいかな?」
彼女はクッキーの袋を指しながら言う。 竜真の兄からもらったものなのだが、もうそれは沙夜のものなので構わなかった。
「うん、いいと思うよ」
沙夜はその言葉を聞くと封を開け、一枚を残すと他の全てを捨て猫にあげた。 そのまま頭に付けていた髪飾りを外すと、それも猫に付けてあげる。
「竜真からのプレゼント。 私とお揃いの蝶」
それだけ言うと、沙夜は立ち上がり背を向けた。 拾って持ち帰るのかと思ったが、そうではないようだ。 残った一枚を口に入れると、再度手を繋ぎ並んで歩き始める。
“猫にものをあげるだけでいいの?”
その言葉が出なかった。 沙夜はそこらにいる少女とは違う。 単純な理由で、猫にクッキーや髪飾りを与えたわけではないだろう。 竜真は気になったが、考えるのを止めた。
安易に猫を引き取ることができないことは、分かっていたからだ。 湿り気を含む風が流れ、濃緑に染まる木の葉を揺らしていく。
幸い沙夜は年頃の女子のように、目的なく歩くことを嫌がったりはしない。 好むわけでもないが、不快感を出すわけでもないため竜真にとっては居心地がよかった。
だがそれは、竜真と沙夜の二人だけだった場合での話だ。 他の人間が関与すれば、簡単に壊れてしまう。 それを竜真は、これから知ることになる。
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