第一話 三
周囲の人々は、見慣れない服装をした宮内さんを物珍しそうに眺める。
一方、宮内さんのほうは柔らかい笑みを浮かべながら、周囲を見回している。
「何か問題でも」
といった風情すら感じられるほどの余裕である。
そして俺は、その姿を見失わないうちに声をかけることにし、右手を挙げながら彼に近づいて行った。
ところが、
「あ、あのミヤ――その、あの」
と、思わず本名を口走りそうになって寸止めした。
「ああ、その……木下さん、ですよね? すみません、少しお待たせしてしまいました」
宮内さんがのんびりとした声でそう言ったので、俺は少し慌てた。
「ああ、あの、ミヤ――その……」
すると、後ろから落ち着いたマユの声が聞こえてきた。
「ゲームの中では本名を口にしてはいけないんですよ。それが礼儀なんです。だから、どんな名前で登録されたのか教えていただけますか?」
「ああ、そうなんですか。そいつは失敬しました。私は『スリーピング・ベア』で登録しました」
「あら、ずいぶんと可愛らしいお名前ですね。ただ、それだとちょっと長いから、戦闘中とかだと呼ぶのが大変ですね」
「ああ、そうか。全然気がつかなかった。そういえばそうですね。分かりました。それでは――普段はSB(エスビー)と呼んで頂くのはどうでしょうか?」
「なんだかカレーみたいな感じですが、分かりました。では、私のことはマユでお願いしますね」
「ああ、僕のほうはトイチで」
「マユさんは本名からだと思いますが、トイチさんはどうして利息計算なんですか?」
いえいえ、そっちじゃなくて俺も本名ですよ。
無事に会うことができたところで、初心者がまずやらなければいけないことを、順を追って済ませることにする。
まず、なによりも最初にやらなければいけないのは、初期装備の購入だ。
「SBさん、課金はしましたか?」
と尋ねてみると、
「最初のチュートリアルで説明がありましたが、その時はやりませんでした」
と、彼は答えた。
「ワールド・オブ・メイズ」の基本通貨単位は『ゴールド』だが、この仮想電子通貨はリアル・マネーである「米ドル」との
具体的には等価交換であり、初期登録時に日本円を為替レートでドル換算した上で、ゴールドにしておくことも可能だ。
ただ、全年齢対応を
ゲーム内のイベントで集めることができるのはゴールデンのほうだが、装備のような課金アイテムはゴールドでも購入できるし、現実社会と同様のサービスを提供することで、ゲーム内でもゴールドを入手することが可能となっていた。
それはさておき、登録特典のゴールデンのみとなると、さほど高額ではない。
しかも、SBさんの服装から察するに、彼が購入したい装備は既に決まっている。
それでも、俺は念のため尋ねてみた。
「あの、これから初期装備を購入しなければいけませんが……その服装ですと、やっぱり弓ですよね? しかも和弓」
「ああ、お判りになりましたか?」
SBさんはたいそう嬉しそうな顔をしたが、俺は困ってしまった。マユに助けを求める。
「なあ、マユ。日本の弓が売っていそうな店を知っているか?」
「うーん」
彼女は腕組みをしながら考え込む。
妖精族の外観でそれをすると違和感が半端ないが、黙って待つことにする。
さほど時間がかからずに、彼女は腕をほどいた。
「私も分からない。あまり注意して見たことがないからね」
「そうだよなあ。仕方がない。でかいところからあたってみるか」
それからが大変だった。
門の周囲には初期装備を扱う店舗が軒を連ねているが、大手の武器店をまわってみても、
「和弓? そんなマイナーすぎるものは扱っていないよ」
と、判で押したかのような回答が返ってくる。さらには、
「アーチェリーのほうならあるけど」
と言われるが、それに対しては、
「すみません。私、日本の弓が専門なもので」
と、SBさんのほうが折れない。
それを十軒近くの店で繰り返していると、SBさんは申し訳なさそうな表情になってきた。
「すみません。わがまま言いまして」
「いえいえ、それはわがままというより拘りだと思いますが――和弓と洋弓はそんなに違うんですか?」
俺は素朴な疑問を口にしてみた。
すると、SBさんは困った顔をした。
「はあ、その、見た目はそんなに変わらないように見えるのですが、引き方の原理がまったく違うのです」
「引き方の原理――ですか?」
マユが驚いたような声で尋ねたので、SBさんはさらに困ったような顔をした。
「そうなんですが……実物を見ていただいたほうが分かりやすいので、その件は後日ということで」
普段使っている武器店をあらかたまわり終えて、とうとう町の外れにある目立たない店まで辿り着いた。
そこは表にいかにも年季の入った薄汚れた装備を並べている、どう考えても新品を扱っているようには見えない店で、それゆえ俺とマユは一度も訪れたことがなかった。
中に入ってみる。
「あの――」
と声をかけてみると、細長い店の奥のほうに座っている店主が、鋭い眼光でこちらを睨んだので、俺は少し
「――日本の弓はありますか?」
店主は俺のほうを不審そうに見つめていたが、俺の後ろに視線を移してSBさんの姿を認識すると、少しだけ眉を上にあげた。
「ああ、あるよ」
そういって店のさらに奥のほうに入ってゆく。
俺はSBさんと顔をあわせた。
「ありましたね」
「はい、やっと見つかりました」
「でも、こういっちゃなんですが――期待しないほうがよいのでは?」
そう言いながら、俺は店内を見回した。
ところせましと古い装備が置かれており、手入れがされているのか怪しいものが大半である。やはり古物商の
「日本の弓ならば何でもよい――というわけではありませんよね」
そう尋ねてみると、SBさんは苦笑しながら答えた。
「ないよりはましですけどね」
しばらく待っていると、店主が布にくるまれた長い棒のようなものを持ってきた。
「これだよ。委託品だ」
そう言いながら、俺の前を通りしてSBさんに手渡す。
「拝見します」
と言うと、SBさんは慣れた手つきで長い棒の端のほうから布を解き始めた。
布は棒に巻き付けられていたらしい。棒を動かさないようにしながら、布のほうを巻き取ってゆく。
すると中から、竹(のような仮想素材)でできた弓が姿を現した。
弦はない。弓だけである。
それをSBさんは真剣なまなざしで眺め始めた。
正面、真横、下から上など、さまざまな方向からじっくりと見つめている。
そして、最後に弓を持ち上げて、下の端のほうを見つめると、小さく息を吐いて言った。
「ふうっ、まさかこれほどのものがあるとは」
マユが横から覗き込みつつ、尋ねる。
「すごいものなんですか? 私にはただの竹の棒にしか見えないんですが」
SBさんはにっこりと笑いながら、弓の下のほうを指さした。
「ほらここ、焼印が押してあるのが分かりますか」
「はい。なんだか本を開いたような焼き跡がありますね。しかも大小」
「本――ですか。何か別のものに見えませんか?」
「別のものですか。うーん、そう言われてみると大小の鳥のようにも見えますね」
「そうでしょう、そうでしょう」
SBさんは嬉しそうな顔で頷く。
そして今度は、店主に向かって言った。
「これは一体おいくらで売っているのですか?」
ところが、店主は右の眉を上げるとこう言ったのである。
「最初に言いましたが、こいつは委託品でしてね。作った人が条件を付けて置いていったんです。こいつの名前を答えられる客が来たら、俺のところに連れてきてくれ、と言われています」
俺とマユは顔を見合わせた。「まずは名前を答えろ」という意味が分からない。
しかし、SBさんはにっこりとひときわ大きく笑うと、こう言い切った。
「それなら簡単です。これは紀州の
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