愛じゃないからこそ、できたこと

 自分にできることがまだあるのだろうか。

 暗く沈んだ心に、一筋の光が射したような気がした。


「なんだよ?」


「私のお母さんとお父さんにね、今までありがとうって伝えてほしい。あと、先に死んじゃってごめんねって。ここまで育ててもらったお礼も言えないで、突然お別れになっちゃったのが心残りだったから……」


「なっ……」


 稲田は目を丸くした。

 そんなこと、思いもよらなかった。


「聞いて、稲田。確かに私は、このままこの世界で生きていくこともできるのかもしれない。でも元の世界では、私の死はであって、お母さんとお父さんはそれと向き合いながらこの先も生きていかなきゃいけないの」


「栗生……」


「それはきっと、とてつもなく悲しいこと。だからせめて、私の最期の想いを伝えてほしい。これは、なんだ」


「…………」



 そんなことお願いされたら、断れないじゃないか――。



 稲田は悲しみを堪え、栗生のためにどうにかして笑おうとした。


「簡単に言うけどさ、俺の話信じさせるのめちゃ大変だぜ、それ?」


「私のお母さんなら信じるよ。やり方は稲田に任すっ。別に時間かかってもいいから」


「無責任な……」


「あー私、両親にお礼言えなくて困っちゃったなー。誰か助けてくれないかなー」


「その言い方は卑怯だろ」


「やってくれないと、また化けて出ちゃうぞ」


「俺としてはその方が嬉しいけどな。まあ、やるけど……」


「ふふっ、ありがと」


 淡く微笑む栗生の後ろから、中瀬が割って入った。


「話はまとまったか? それなら今日はお開きにするが」


「ああ……。辛いけど、栗生の頼みは引き受ける……」


 だが、栗生は何か言いたいことがありそうな表情でそわそわとしていた。


「待って、もう一個お願いが……」


「まだ何かあるのか?」


「いや、お願いっていうか……私たちってこれで彼女と彼氏になったんだよね……」


 稲田は嫌な予感がした。



 何を言おうとしているんだ、この女は。



「でさ、なんかさっきはバタバタしてたから、もう一度ちゃんと『好き』って言ってほしいっていうか……」


 場の空気が何とも言えない沈黙に包まれた。


「私ったら何言ってんだろ、中瀬さんと賀来さんも見てるのに! あぁ、やっぱりここじゃ恥ずかしいっ」


 栗生は両手で顔を覆っている。

 そんな彼女を見て、稲田は思わず心の中でツッコんだ。



 デレデレじゃねーか!

 なんだこいつ、男がデキた途端に豹変するタイプか!?



 しかし稲田はこの事態を終息させるために、栗生の要望に応えることにした。


「まあ、なんだその……好きだ」


「あ、ありがとう。私も好き……」


 一連のやり取りを聞いていた中瀬が、死んだ目をして賀来に問いかける。


「賀来、我々は一体何を見せられているんだ?」


「始めは微笑ましかったのですが、なんといいますか、こう……棒状のものを振り回したくなってきました」


「通信は入れっぱなしでいいから、あとは好きにしてくれ。予定通り明日決行するからな」


 そう言って、中瀬は部屋から出ていった。栗生が慌てて「おやすみなさいっ」と声をかけた。


 続いて、賀来も立ち上がる。


「さて、私もそろそろお暇させて頂きます」


「あっ、賀来さん待って!」


「なんでしょう」


「実は前から賀来さんに訊きたかったことがあって……」


 稲田はまたもや嫌な予感がした。

 が、とりあえず黙っていることにした。


「私に答えられることでしたら」


「あの、もしかして賀来さんと中瀬さんも、実は愛し合ってたりするのかなーって」


 稲田の予感は的中した。



 なんだこいつ、男がデキた途端にしきりに恋バナしだすタイプか!?



 だが、賀来の方は気にせずにこう言った。


「愛? 愛なんてありませんよ。私と所長の絆は、それよりもずっと固くて深いんですから。あなたたちもそうだったんじゃないですか?」


「えっ?」


 二人は驚いて賀来を見た。どういうことだろう、と。

 賀来はいつものすまし顔で話し続けた。


「栗生さんに異孤が発生したのは京都でした。言い換えれば、それまでは恋心がなかったということになります。つまりお二人は、愛がなくても東京から京都まで辿り着くことができたんです。男女が東と西に分けられたこの国で。だから、愛が生まれる前の二人の絆も、愛と同じくらい大切だったんだと思います」


 こういうこと言う奴だったのかと、稲田は思った。

 ここに来るまでの車内で話したときとはまた違った、信念のようなものが感じられた。何か賀来なりの答えのようなものを見出すことができたのかもしれない。


「考えてもみてください。もし私と出会う前に、どちらかに異孤が発生していたら、もうどうしようもなくなっていたでしょう。あのときまで、で行動していたからこそ、あなたたちは今、真実の未来へ進むことができるのです」


 かつての稲田には恋心がなく、ただ栗生を助けるために行動していた。

 それが、結果的には元の世界へ帰還するという未来に繋がった。

 もし栗生が男の領土で捕まって無期懲役になっていたら、稲田は元の世界へ帰れなくなっていたかもしれない。


「ああ、確かにそうだな。今ならそう思えるよ」


「少し喋りすぎました。では、また明日に」


「じゃあな」


 呆然と話を聞いていた栗生が、ハッとして我に返った。


「おやすみなさい!」


 賀来はペコリと一礼をして稲田の部屋から出ていった。

 それから少しばかり二人は黙っていたが、やがて栗生の方から話を切り出した。


「はは……賀来さんがあんなこと言うなんて、ビックリしちゃった」


「顔には出ないが、色々思うところはあるんだろうな」


「うん……。ねえ、稲田。これで二人っきりになっちゃったね」


「そうだな」


 部屋には自分しかいないけど、栗生と二人きり。なんだか妙な気分だ。


「もっとイチャイチャしようよ」


 直球すぎるだろ……と、稲田はちょっと呆れた。


「例えば?」


「うーん、下の名前で呼び合うとか? 今までずっと名字で呼んでたし」


「ほう、じゃあ呼んでみろ」


「……真介」


「ちゃんと覚えてたのか」


「もちろん。ねえ、どんな気分?」


「悪くはないよ」


「でしょ? 私のことも呼んでみて」


「健太」


「おい」


「冗談だよ」


「ほれほれ、恥ずかしがらずに言ってごらん」


 栗生がわくわくした顔で煽ってきた。


「……みゆき」


「わーっ!」


「なんだよ!」


「やっぱ恥ずかしい!」


 顔の前で手をぶんぶんと振っている。


「お前がかよ!」


「やっぱり、稲田なんて稲田でいいや」


「え、なんで俺がディスられてんの?」


「ねえ、まだ眠くないからさ。稲田がここに来るまでの話聞かせてよ」


「……いいよ」


 稲田はひとりぼっちの旅路の話をした。


 バイクを回収し、高速道路に乗って帰ったこと。

 この世界での父親と話をしたこと。

 源五郎の店に行ってスカートを買ったこと。

 風変わりなタクシー運転手と出会い、壁を越えたこと。

 賀来が車でここへ連れてきてくれたこと。


 栗生は途中で飽きることもなく、楽しそうに稲田の話を聞いていた。


「そっかぁ、源五郎君も元気そうで良かった」


 彼女の胸元には、源五郎の店でプレゼントしたペンダントが静かに煌めいている。


「で、最後はここの一階で『好きだー』って叫びながら私に突進してきたのかぁ。いやはや、モテすぎるのも困りもんですなぁ」


「その件についてはイジらないでくれ……」


 そう言いながら、稲田はそのあと異孤が起こったときのことをまた思い出してしまった。


「栗生、異孤が終わったあとは大丈夫だったのか? その、体の具合とか」


「うん、全然平気だよ」


「その、ホントにごめんな。あのときお前の悪口とか色々言っちゃって……」


「大丈夫だよ、嘘だってちゃんと分かってたから」


「えっ?」


「だって今日、エイプリルフールだもん。だから、嘘言ってもいいんだよ」


「あ……」


 そういえば、そうだった。完全に忘れてた。でもそれなら……と、稲田は思った。



 お前が明日死ぬっていうのも、エイプリルフールの嘘だったらいいのに――。



 稲田は俯いてしまった。

 そんな様子に気付いた栗生はポンと手を叩いた。


「今日はもう寝よっか。稲田も長旅で疲れただろうし」


「……じゃあ通信切るか」


「待って! ねぇ、寝てる間も画面ずっとつけっぱなしにしておかない?」


「いいけど、なんで?」


「今晩はずっと稲田と繋がったままでいたいから。一人だけど、二人で一緒にいるような気になれるから」


「……分かった」


 最後に栗生は実家の電話番号を稲田に伝えた。元の世界に戻ったあと、稲田が栗生の両親に連絡するための手段だ。

 稲田は番号を記憶するため、スマホにメモしておいた。


 それから二人はそれぞれ寝る準備をして、消灯する前に一言だけ挨拶を交わした。


「おやすみ、栗生」


「おやすみなさい」


 栗生の笑顔を見届け、照明のスイッチを押した。

 テレビの画面は僅かに光を帯びているが、栗生の部屋も真っ暗なので何も見えない。


 暗くなった画面を眺めながら、稲田はふと思った。

 栗生がいきなり浮かれたり恋人のような振る舞いを見せたりしたのも、明日死ぬという怖さを打ち消すためだったのではないだろうか、と。


 あるいはあいつのことだから、俺の不安を和らげようとしていたのかもしれない。

 そうだったとしたら、ありがとう――。

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