親父

 稲田は再び家の外に出て、男しかいないスーパーへ買い物に行った。


 前に行ったのは六日前のことだが、それも遠い昔のことのように思えた。あのときは別の世界に移動していることに気付かず、スマホで写真を撮っていた。そんな自分がひどく懐かしい。


 いつも通り値引きシールの貼られた総菜や刺身を買い、帰宅した。

 すると、スマホに父親からのメッセージが届いた。


『元気か? 明日昼飯でも食いに来ないか?』


 そのメッセージを見て少し驚いた。



 この世界の俺は、こんなに親父と仲がいいのか――。



 稲田は父親と二人で食事をしたことなど、ほとんどなかった。一人暮らしを始めてから実家に帰ったのは正月だけだった。


 女がいない分、父親と息子の仲は深まりやすいのかもしれない。そう納得し、了承の返信を送った。


 そのあとはテレビを見ながら、スーパーで買ってきた晩飯を食べた。

 栗生は相変わらずあの地下室で中瀬や賀来とコンビニ弁当でも食べてるのだろうか、と総菜を食べながら考えたりもした。




 翌日、稲田は父親が住んでいるマンションへ出掛けた。

 四月になりぽかぽかと暖かくなってきたので、上着は羽織らずに黒いカジュアルジャケットを着て行った。

 実家は千葉にあり、バイクでもそれほど時間はかからなかった。


 エレベーターで四階まで上がり、実家のインターホンを押す。

 すると玄関扉が開き、父親が顔を出した。四十代後半、中肉中背の中年男性だ。


「よく来たな」


「あ、ああ……」


 稲田は玄関から上がり、リビングへ招かれた。


 この世界の実家は、間取りは元の世界と同じであった。家具の種類は多少変わっているが、配置はほぼ同じだ。ただ、母親に関係するものだけが綺麗になくなっていた。


「ちょっと座ってろ。ちょうど飯ができるところだからな」


 言われるがままにテーブルの席についた。

 テーブルは少し小さくなっていて、椅子の数が一つ減っている。


 それから、台所で料理をしている父親を物珍しげに見た。

 稲田の記憶では、父親が料理をしているところなど一度も見たことがない。だがこの世界では母親の代わりに家事もやっているということになる。摩訶不思議だ。


「ほれ」


 父親が台所からチャーハンとサラダを持って来て稲田の前に並べた。それから自分の分も並べた。


「さあ食え食え」


「いただきます」


 見た目はごく普通のチャーハンだ。銀色のスプーンで口に運んでみると、味の方も何ら問題はなかった。というより、結構美味しい。これを自分の父親が作ったとは信じられないくらいに。


「お前、最近どうなんだ? 学校とか」


「まあ、ぼちぼちだよ」


 稲田は慎重に言葉を選んだ。この世界の自分と父親についてはほとんど何も知らないから、下手なことは言えない。


「いや真介がさ、この前変なこと言ってたから心配してたわけよ」


 変なこと……稲田に思い当たるのは、この世界に来た直後に電話で「母親はどこにいるのか」と訊いたことだけだ。それ以外に会話はしてない。


「あのことか……」


「あれ何だったんだ?」


「何って……。そうだな、親父はなんで子供が欲しいと思ったんだ? やっぱり金か?」


「ん? そうだなー」


 父親は視線を上げて、唸った。


「そりゃ、きっかけは報酬だったけどさ。いざ育ててみたら、やっぱり可愛いもんよ。なんだ、お前も子供が欲しいのか?」


「そういうわけじゃないけど」


 自分の子供を抱きかかえている栗生を想像してみた。

 が、それを実現するのはほぼ不可能だ。

 異孤があるから子供を作ることはできないし、別の世界から来た栗生は人工授精の申請もできない。

 というより、そもそも出産をする母親を選ぶことは認められていない。 


「……変なこと訊くけど、俺の母親である人に会いたいと思ったことはない?」


「何だそれ? 漫画の影響か? うーん」


 父親は首を捻った。

 チャーハンを一口食べてから、また口を開いた。


「そりゃ会ってみたいという気持ちもなくはないけどよ。異孤があるしなぁ」


 やっぱり異孤か、と稲田は思った。

 やはりこの世界の人たちは、男女が接近すると無条件で異孤が発生すると思っているようだ。だがそれも無理はない。


 稲田だって、たとえ自分の目で見ていなくても、世界で常識とされていることは大体信じている。歴史も自然科学も。

 もしも当たり前だと思っていることが作り話で、写真や映像は偽物で、全人類が自分に嘘を吐いているとしたら?

 何が真実かなんて確かめようがない。それと同じことであろう。


 稲田が何も言わないので、父親は続けた。


「やっぱりお互い憎んだり、傷つけ合いたくないじゃんか? だから会わなくてもいいんじゃないか?」


 父親の言い分も稲田には理解できる。実際、父親と母親はしょっちゅう喧嘩していた。少なくとも異孤によってその喧嘩はなくなったとも言える。


「…………」


 でも待てよ、と稲田は思った。じゃあなんで元の世界の両親は一緒に暮らしていたのか。まるで異孤でも起きたんじゃないかと思えるような喧嘩を繰り広げていたというのに。


「なあ、親父」


「なんだ?」


「その理屈だと、。ということになるよな?」


「ん? まあ、そうなるのか? よく分かんねーけど」



 どうして男と女は一緒に生きているんだろう、か――。



「サンキュ。俺の方はよく分かったよ」


「本当にどうしたん?」


 それから稲田は適当に雑談をしながら、急いで父親の料理を食べた。

 全部平らげてしまうと、食器を流し台に置いてから言い放った。


「わりぃ、俺もう帰るから」


「えぇ!? ゆっくりしてけよ~。せっかく来たんだから」


ができちまった」


「ふーん……」


 父親は不思議そうに息子の顔を眺めた。

 それから、ニヤリと笑って言った。


「真介、しばらく見ない間に良い目をするようになったな」


 稲田もニッと口角を上げて、手を振った。



 親父、もしかしたらアンタはとはもう会えなくなるかもしれない。

 でも、そうなったら俺が代わりにアンタの息子になるからな……。



 マンションの駐車場まで行き、すぐにバイクで発進した。


 稲田は街中を走りながら、中瀬とパラレルワールドについて話したときのことを思い返した。

 栗生が痴漢と一緒に電車に轢かれて死んだ後この世界に飛んできた理由について、中瀬はこう述べていた。


『死ぬ瞬間、栗生の潜在意識には強い想いがあったはずだ。例えば、男という存在への憎しみや悔しさのようなものが』


『そして栗生の想いは、無数に存在する平行世界のうちの一つであるこの世界とリンクした。男女が完全に分かれて生きている世界にね』


 稲田はかぶりを振った。



 違う、そうじゃない。あいつはそういう奴じゃない。一緒に旅をしてきて分かったけど、あいつは本当に優しい奴だ。

 俺だよ、俺の方なんだ。イライラして、男と女なんか分かれちまえばいいなんて考えていたのは。

 あいつがそんな俺に助けを求めたから、俺たちはこんな世界に来ちまったんだ。


 どうして男と女は一緒に生きているのか。それはきっと千差万別だろう。正解はない。

 でも俺は、少なくとも今の俺は、栗生に会いたい。そばにいたい。話がしたい。ただそれだけなんだ。


 俺は今からお前に会いにいく。今度会ったら、きっと俺にも異孤が起こるだろう。これからもずっと、お前と同じ世界で生きていきたいと思ってしまったから。

 俺たちは、互いに異孤が起こって争うような形になるかもしれない。だが、それも仕方ない。


 お前の決意を変えられるかどうかは分からないよ。

 でも俺の想いを伝えることができれば、お前の悲しみを半分は癒せるかもしれない。十九歳で死んじまうお前の人生を、五十点くらいまでにしてやることはできるかもしれない。

 それでもいいだろう? だって人生なんて、望みが半分も叶えば大健闘じゃねえか。



 稲田は女の領土へ行く準備をするために、自宅を目指して飛ぶように走った。

 栗生が死ぬのは明日の正午。残り二十四時間を切ったところだ。急げばまだ間に合うはずだ。

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