真の男女平等

 稲田の心臓が早鐘を打った。


「待てよ、俺を元の世界に帰すってことは……」


「……栗生という存在が消えるということだ」


「それがあいつの望みなのか……?」


「そうだ。栗生は君より物分かりが良かったよ」


 稲田は全てを拒絶するかのように頭を振った。


「ダメだ、俺は認めない!」


「別に君の許可など必要ないんだがな。まあ、今日すぐに死ぬというわけではない」


「どういうことだ?」


「決行は三日後の正午で考えている。人一人が死ぬのにはそれなりの準備と心構えがいるからな」


 今日は三月三十日だ。だから、栗生が死ぬのは四月二日の正午ということになる。


「……勝手に決めやがって。じゃあ、その日までは俺もここにいていいだろ」


「ダメだ。君はその時刻、自宅で待機していろ。君の意識が消え、この世界の稲田が目を覚ます。そいつは数日間の記憶がないということになるが、大学生の春休みだ。致命的な事態にはならないだろう」


「そんなの知らねえよ! なあ、アンタたちの目的は異孤の研究だろ? 男である俺が必要なんじゃねえのか?」


「人体実験は一旦打ち切る。発動条件の手掛かりが掴めたんだ、焦る必要はないさ。恋愛感情ならフェネチルアミンかドーパミンか……何に反応しているのか知らんが、調査はできる。それともなんだ、私のことをマッドサイエンティストだと思っていたのか?」


「まさに、そうじゃねえか……」


「ふん。だが、栗生を使ってこれ以上実験するわけにもいかないだろう。そして、君に恋愛感情を抱くような物好きは栗生しかいないし、君がここにいる誰かに恋愛感情を抱くこともなさそうだ。よって、君はもう用済みだ」


 悔しいが、中瀬の言う通りだと稲田は思った。自分がいても正直何の役に立てるのか分からない。


「栗生自身が、俺にここから出ていけって言ったのか……?」


「そこまでは言っていない……が、私が全体の状況を見て判断した。栗生のこと、我々のこと、この世界の稲田のこと。そして……今は納得いかないだろうが、君の人生を長い目で見れば、君は元の世界に帰った方がいい」


「本当に、ただいるだけでもダメなのか……?」


「はっきり言わないと分からないか? いても邪魔なんだよ。管理の面でもコストの面でも無駄でしかない」


 それを聞いて、稲田は激昂した。


「ふざけんなよ! 勝手に人を拉致して、人質使って実験に協力させて! それで、用が済んだら邪魔だっていうのかよ!?」


「そうだったな……すまない」


 中瀬はそう言って立ち上がった。


「稲田。詫びといってはなんだが、私のことを一発殴ってくれ。それでもう、おしまいにしないか?」


 稲田は迷った。

 了承して殴ってしまったら、今度こそ身を引かざるを得なくなる。だが、引っ込みがきかなくなっているのも事実だ。

 

 今思えば、中瀬がこれまでの話の中でわざと稲田を怒らせるような挑発的な発言をしていたのも、こうやって落としどころを作るためだったのかもしれない。


「分かったよ」


 ゆっくりと立ち上がる。

 このやり場のない怒りを中瀬にぶつければ、互いにけじめがつけられるような気がしたのだ。


「いつでもいいぞ」


 中瀬は白衣のポケットに手を突っ込み、余裕の表情だ。

 稲田は拳を握り締め、中瀬の顔面に向かって打ち込もうとした。



 どうせ、ビビって避けるに決まってる――。



 心のどこかでそう思っていた。あるいはそうしてほしいと思った。


 でも、中瀬はそうしなかった。


 稲田の拳が中瀬の頬に当たり、彼女は少しのけぞった。

 本当に顔面を殴ってしまい、稲田は目を見開いた。


 でも中瀬は倒れることもなく、殴られた頬に手を当てた。


「まさか顔を殴るとはな」


「俺の世界じゃ、それに枕詞として『女の』が付くんだ……。アンタが男女平等主義者で良かったよ」


 罪悪感を打ち消そうと、減らず口を叩いてみる。

 しかし、そんなことをしても余計虚しくなるだけであった。


「だが弱かったな。躊躇したんじゃないのか? まあ、一発は一発だ」


 中瀬は再び椅子に座る。


「稲田、今晩賀来が君を男性居住区域へ送り届ける。拉致した河川敷と同じ場所だ。それまでは自分の部屋で大人しくしていてくれ」


「結局、栗生とは話せないのか?」


「出発前にテレビ通信で話す機会を与える。栗生にも、君を元の世界に帰していいのかもう一度よく考えるように言っておく。夜に最後の結論を出そう。それでいいか?」


 稲田は無言で頷いた。

 自分としても、少し頭を冷やす時間が欲しかった。


「……ところで、さっき君は男女平等という言葉を言っていたな。あれは一体どういう意味なんだ?」


「男女に機会や権利を平等に与えることだよ……。そうしないと、男女間でいさかいが起こるからな」


「それも難儀なものだな。男と女とでは、脳と体の構造が異なっている。平等に扱うのも難しいだろう」


「……ちゃんとできているとは言えない」


「男と女で住処を分け、それぞれが自己の力と責任で勝手に生きる。それが真の男女平等というものではないのか?」


 その問いには答えられなかった。

 分からない、あるいはそうなのかもしれない……と。


 稲田が何も言わないので、中瀬が続けて言った。


「男は東日本、女は西日本に住め。それがこの国のルールだ」


「…………」


「じゃあな稲田。協力、感謝する」


 賀来が部屋の扉を開けたので、稲田は踵を返した。


「じゃあな」


 中瀬に背を向けたまま別れを告げ、振り返らずに部屋を出た。


 賀来に連れられて自分の部屋へ戻り、壁に掛かった時計に目をやると午後三時頃であった。

 稲田は一人取り残され、ベッドに横になった。

 そして、眠ることもできず、ただ栗生のことを考え続けた。




 夜の七時頃になると、賀来が再び部屋にやって来た。


「栗生さんと話す準備ができました」


 そう言ってリモコンを操作し、画面を別の部屋との中継に設定した。


 背景が白い壁で、どこの部屋なのかは分からない。以前と同じように、中瀬の部屋なのかもしれないし、栗生の部屋なのかもしれない。


 しばらく待っていると、横から栗生がフレームインして座った。


「栗生……」


 最後に栗生を見たのは異孤が発動したときだ。

 無事でいる彼女の姿を目にするだけで、涙が出そうになった。


 しかし、栗生の方はなぜか怒っているような表情だ。


「稲田のアホー! 女の人の顔殴るなんて何考えてんの!?」


「えっ」


 開口一番に怒られた。どうやら、稲田が中瀬を殴った話を聞いたらしい。


「ていうか、女とか関係なく人の顔を殴るなー!」


「……すまん」


「二度とそんなことしないでよね!」


「……そりゃ悪かったけどさ。そんなことより、お前の方は大丈夫なのかよ?」


 栗生はハッとした。

 それから、バツが悪そうに照れ笑いしながら頬を掻いた。


「中瀬さんから全部聞いたよね? まあ、そういうことだから」


 ほのかに顔を赤くして言った。「そういうこと」には、自分が稲田を好きになったということも含まれているのだろう。


 だが、稲田はそれには触れないことにした。下手なことを言うと、却って傷つけてしまうかもしれないから。


「ああ……お前、俺を元の世界に帰すつもりなのか?」


 言葉を選んで尋ねた。「死ぬつもりなのか?」とは怖くて訊けなかった。


「うん……やっぱりそれが一番いいよ。私が稲田のことを好きでいる限り、もう会うことすらできないんだし」


「でも、こうして通信とかで話すことはできるだろ!?」


「ごめん、会えないままこんな状況が続くのはやっぱり辛いよ」


 栗生の表情は暗く、無理をして話しているようだ。


「次に会えるとしたら、稲田のことを好きじゃなくなったとき。皮肉だよね、気持ちが冷めたら会えるようになるなんて……」


 画面上の栗生を見ているうちに胸が痛くなった。

 言葉を失っていると、彼女がまた口を開いた。


「私、この気持ちは死ぬまで消えてほしくない」


「分かってる、分かってるけど……中瀬の考えなんてほとんど推測じゃねーか! そんなことで命まで落とす必要ないって!」


「どうかな……。むしろ、そこまでさせるからこそただの推測じゃないって思える……。それに、私自身が感じるんだ」


「……何をだ?」


「この世界はって……」


「どういうことだ……?」


「ううん。ごめん、今のは忘れて」


 稲田は栗生が何の話をしているのかよく分からず、考え込んでしまった。

 彼女はそれに構わず、仕切り直すかのようにニッコリと微笑んだ。


「稲田、ここまで私を連れて来てくれて、本当にありがとう。稲田と一緒にいるの、楽しかったよ」


「おい、これで最後みたいな言い方しないでくれ!」


 稲田は焦った。

 お別れするには早すぎる。まだ話したいことがたくさんある。


「ううん、もう終わりにしよう。本当はもっとこうしていたいけど、そしたら私、甘えちゃうから。覚悟が薄れちゃうから」


「いらねえよ、そんな覚悟!」


「私のこと、忘れないでね」


「待て、まだ終わりじゃない――」


「稲田、さようなら――」


 突然画面が暗くなった。中継が一方的に切断されてしまったようだ。


「栗生っ!」


 稲田は悲痛な叫び声を上げた。

 賀来はそれを無視し、リモコンでテレビの電源をオフにした。


 そして、ベルトのホルダーから例の麻酔ガンを抜き、銃口を稲田に向けた。


「何やってんだよ……?」


 稲田の頬に冷や汗が垂れる。


「結論は出ました。これからあなたを、男性居住区域までお送りします」


「いや、普通に送れよ!」


「この方が不確定要素を排除できますので」


 賀来の表情がいつもよりも更に無機質で無感情に見えた。

 だが、稲田はそんな彼女に嘆願するように言った。


「今からでも考え直さないか? こんなの全部間違ってるよ! 栗生が死ぬことだって!」


「そうかもしれませんね」


「なあ、賀来。アンタなら分かってくれるだろ? 一緒に京都に行ったのも、なんだかんだで楽しかったよなぁ?」


「ええ、楽しかったですよ。でも、それとこれとは関係ありません」


 賀来は冷たく言い放った。


「悪く思わないでください。これはです」


「やめろよ、やめろぉぉぉっ!」


 稲田は醜く叫んだ。

 しかし、賀来は容赦なく引き金を引いた。


 拉致されたときと同じように麻酔ガンの針が首に刺さり、稲田の意識は暗闇へと葬り去られた。

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