女の首都、京都
赤いミニバンが緑の木々の間を疾走していく。
どこかの山中の道路を走っているようだが、具体的にどの辺りなのかは検討もつかない。
賀来はカーナビも使っていないのに、迷うことなくハンドルを切っている。
「今はちんけな山道ですが、すぐに高速に入りますよ」
稲田の不安を読み取ったかのように言った。
「お、おう」
「でも京都なんて、中学の修学旅行以来だから楽しみだなぁ」
栗生は上機嫌だ。遊び半分の気分なのかもしれない。
「人の多いところっていうと、寺とか観光地に行くのか?」
「お寺や神社は点在している上に、あまり広くないので効率が悪いですね。駅ビルや商店街の方がいいでしょう」
「えー、お寺行かないの!?」
ガックシと肩を落とす栗生。
「お寺、そんなに面白いですか? 私には何がいいのかサッパリですが」
「面白がらせるために建てられたものじゃないけどな……」と稲田。
「まあ、お寺に行かなくても楽しめると思いますよ。一応首都ですから」
それを聞いて、稲田と栗生は目を見開いた。
「この日本では、京都が首都なのか!?」
「正確に言えば、女の首都です。男の首都は東京です。あなたたちの日本ではどうなっているんですか?」
「こっちでは首都は東京だけだよ。大昔は京都だったけどな」
「そうですか。こちらでもかつては京都だけでしたが、男女分住化の実現を目指し、明治元年に東京が男の首都と定められました。そして京都はそのまま女の首都となり、現在に至ります」
「明治元年……?」
稲田はその言葉が妙に引っ掛かった。
「って、それ首都が京都から東京に遷都した年じゃねえか!」
「なるほど、そちらではそうなっているのですね。こちらでは1800年代から異孤が世界で徐々に発生し、日本では1868年……すなわち明治元年に首都から分けることになったのです。もちろんその時点から分住化できていたわけではありませんが」
「んなアホな……」
稲田は眉間に皺を寄せた。当時の状況や詳細はよく分からないが、現実に起きたこととは思えない。
一方で栗生はポカンとしながら話を聞いていたが、ようやく声を発した。
「でも稲田、遷都の年なんてよく覚えてたね。私理系だから、日本史の授業なんて忘れてた」
「いや、俺も他の科目よりは得意だったっていうだけだけど……」
「今の話はあくまで表向きの歴史です。どこまでが真実なのかは今の国民には分かりません」
妙に含みを持たせた言い方だ。
そして、賀来は意味ありげに続けた。
「私は、今回の検証で異孤は発生しないと予想しています。栗生さんが男性居住区域にいる間も、起こらなかったのですから」
「まあ、そりゃそうだな」
「そういえば、お二人はずっと行動を共にしていたんですよね? 何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったことって?」
「例えばこう……何か特別な感情が湧いてきたとか」
その言葉を聞いて稲田はドキッとした。名古屋の河川敷で栗生が何かを話そうとしていたのをまた思い出したからだ。あの話の続きはまだ聞いていない。
しかし、賀来の質問に先に反応したのは栗生であった。
「と、特別な感情だなんて……別に……」
歯切れが悪く、口ごもっている。
稲田は何と答えるべきか迷った。
「ああ、何もなかったよ」
栗生の気持ちは知らないが、今はこう答えるしかあるまい。そう自分に言い聞かせた。
「そうですか。やはり異孤は起こらなそうですね」
賀来は興味を失い、そっけなく返事をした。栗生もそれ以上は何も言わなかった。
賀来の車は山を下り、田園地帯を抜け、インターチェンジから高速道路に入った。ここからしばらくはまた山あいの道が続きそうだ。
「賀来さん」
栗生がいきなり、思い出したかのように口を開いた。
「なんでしょう」
「賀来さんってどうして中瀬さんのとこで働いているの?」
それは稲田も気になっていたことだ。
訊く機会を逃していたが、栗生が自然に訊いてくれてちょうど良かったと思った。
「どうしてと言われても……前の仕事を辞めたときにたまたま所長が求人広告を出していたので応募しました」
それを聞いて、稲田が思わず口を挟んだ。
「求人広告ぅ? この犯罪組織が?」
「それほどでもありませんよ」
「褒めてねーよ! で、どんな広告だったんだ?」
「そうですね……。確か、『明るく風通しの良いアットホームな職場で、若手が活躍しています』とかなんとか……」
「それ応募しちゃダメなやつだろ……」
「そうなんですか? 地下なので風通しは悪いですが、他は大体合っていましたよ」
「風通しが良いって、そういう意味じゃないと思うぞ」
賀来はそれには答えず話を続けた。
「事務の仕事と聞いていたのですが、最初に命じられたのは麻酔ガンの使い方を覚えることでした」
麻酔ガン?
賀来が口を開く度に新たなツッコミどころが生まれていくので、稲田は少し疲れてきた。
「もしかして、お前がいつも持っている銃のことか?」
「ええ。ハンドガンを模した形状の麻酔銃で、モデルガンに見せかけるためのデザインだと言われましたが、おそらくはただの所長の趣味です」
「あっ、そう…………ちなみに前の仕事は何だったんだ?」
賀来は数秒間、人形のように黙り込んだ。
「……ただの事務職です」
「絶対嘘だろ」
「ほら。稲田さんがうるさいから、栗生さんが黙ってしまったではありませんか」
いきなり話を振られ、栗生はドキッとした。
「あはは……二人も結構打ち解けてるみたいだね……」
「初めて出会った日は夜遅くまで体を寄せ合い、次の日も二人きりで過ごしました」
「誤解を招く言い方はやめろ!」
そのあとも色々と言い合いをしたが、結局中瀬と賀来の正体はよく分からないまま終わった。
京都の東側にあるインターチェンジから高速道路を出て、国道に入った。
京都駅に近づくにつれて、店やマンションや高い建物が増えていく。往来を歩いているのは女性だけだが、それ以外は元の世界の京都と変わらないように見える。
車は街中を少し走り、京都駅の駅ビルの地下駐車場に入った。
賀来はその一角に赤いミニバンを素早く駐車させた。
「着きました」
「ああ」
稲田は息を吞んだ。
今までは謎の地下施設や賀来の車の中にいたので、女の領土にいるという実感が薄かった。
だが、ここから先は女たちの世界へ飛び込んでいくことになる。男だとバレない自信はあるが、バレたら無期懲役になる。
三人が車から降りると、ふいに若い女性が稲田の目の前を通り過ぎた。
稲田たちに緊張が走る。
が、その女性は何事もなくエスカレーターのある方へ去っていった。
稲田はホッと胸を撫で下ろす。
「稲田さん。一応訊きますが、何か異常は?」
「……大丈夫みたいだ」
「そうですか、まずは順調ですね。私たちもエスカレーターに行きましょう」
賀来が先陣を切り、稲田と栗生があとに続く。
そしてエスカレーターで一階まで上がり、その光景を目の当たりにした瞬間、二人は度肝を抜かれた。
駅ビルの中は全体が吹き抜けの構造となっており、一階から最上階まで見渡す限り女だらけであった。
親子連れに社会人、お年寄りまで、様々な種類の女たちがそこかしこを歩いている。
分かっていたこととはいえ、実際に見てみると異様という言葉すら生ぬるく、圧巻だと思った。
「やはり何も起こらないですね」
賀来は腕時計を確認して言った。
「今は十一時です。もう検証は九割達成したも同然ですが、念の為ちゃんとやりましょう」
「これからどうするんだ?」
「お二人で駅ビルを適当に歩いたり、買い物でもしてください。私は少し離れたところから周囲の様子を注視しています」
「えっ」
二人の声が揃い、稲田の顔がひきつった。
それってデートみたいじゃねえか!
男の領土を旅していた頃であれば、稲田も全く気にしなかっただろう。
しかし名古屋の河川敷での「アレ」があり、今日も賀来に特別な感情がないか訊かれたばかりだったので、嫌でも意識せざるを得ない。
なんとなく栗生の様子を伺ってみる。
すると、思いっきり目が合ってしまった。
彼女はすぐに目を逸らした。
き、気まずい……。
異孤とは全く関係のないところで、稲田に危機が迫りつつあった。
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