どっぺるげんがー

 稲田は賀来からなるべく情報を引き出すことが優先だと判断した。

 この女は愛想こそ悪いが、訊かれたことには概ね答えてくれている。今のところ。


「賀来さんよぉ、俺もアンタと話がしたいんだ。夜までやることもないから、色々と聞かせてくれないか?」


「構いませんよ。私に答えられることでしたら」


「まずは……そうだなぁ、ここは女の領土のどこらへんなんだ?」


「詳細は教えられませんが、三重の郊外、とだけ言っておきます」



 愛知県の隣か。一晩しか経ってないから、長距離を移動できるわけないか。



「どうやって男女の境界線を越えた?」


「パトロール船に偽装した小型船を使いました。三重と愛知は伊勢湾を挟んで向かい合っていますから」



 俺たちは意識を奪われたあと、小型船で運ばれたということか。

 こいつが持っている銃はハンドガンにしか見えないが、きっと麻酔銃のようなものなのだろう。



「この施設には俺たちとアンタら以外に誰かいるのか? 例えば、他に拉致した男とか」


「いませんよ。男性サンプルの強制捕獲に踏み切ったのは今回が初めてです」


「マジかよ」


「私たちは入念な準備をした上で、愛知まで男狩りに繰り出しました」


「そこだけ聞くと、婚活に行くOLみたいだな……」


「コンカツ? オーエル? おっしゃっていることがよく分かりません」


「こっちの話だ。続けてくれ」


「……まあいいでしょう。ともかく、男性居住区域に上陸してから最初に見つけたのがあなた方だったということです」



 そんな超珍事に巻き込まれるなんて、運なさすぎだろ俺……。



 稲田はガックリと肩を落とす。

 それから、バイク屋にバイクを預けたまま放置してしまっていることをふと思い出した。

 ここでは男のスマホは使えないから連絡も来ない。

 とりあえずバイクについては一旦諦めることにした。なるようにしかならないだろうと思った。


 稲田が黙って考え込んでいるので、賀来は再び口を開いた。


「ですが、今は予想外の事態となってしまいました」


 聞かれていないことまで喋りはじめる賀来。稲田と話せたら嬉しいと言っていたのは、もしかしたら本当なのかもしれない。顔には全く表れないが。


「予想外?」


「はい。所長は今、私たちの本来の目的を忘れ、栗生さんに夢中なのです。一旦興味をひかれると周りが見えなくなってしまう人ですから」


「栗生に夢中!?」


 生唾をゴクリと吞む。やはりこの世界だとそういうことになってしまうのだろうかと。


「栗生さんは、自分たちは別の世界から来たのだと言っていました」


「なっ……」


 その展開は稲田にとっても予想外であった。



 あいつ、喋りやがったのか……。



「事の成り行きはこうです。あなた方が眠っている間に体を調べたところ、栗生さんが女性であることが判明しました。そして夜中に栗生さんが目を覚ましたので、なぜ男性居住区域にいたのか問い質したのです。最初はなかなか口を割らなかったのですが、話さないと稲田さんを殺すと告げたらあっさり吐きましたよ。洗いざらい。なんでも、男女が一緒に暮らす世界から来たそうじゃないですか」


「栗生……」


 お互いに人質になって、思い通りにさせられている。この状況は二人にとってかなりまずいだろう。


「それ以来所長はろくに睡眠もとらず、栗生さんに関することばかり調べています。まあ、一過性のブームのようなものなので、すぐに飽きるとは思いますが」


「いやいや、俺にも夢中になれよ。俺も別の世界から来たんだから」


「意識だけが飛んで来たというやつですか? まあ、本当なら確かに凄いのですが……」


 賀来は口に手をあてて考える。


「意識だけが別世界から来たということを確かめるのは、ちょっと難しいですね……。ですが、栗生さんは違います。を見つけるだけで、同じ人間が二人いるという証明になりますから」


 それを聞いて、稲田は目を見開いた。


「この世界の栗生だって!? あいつとは別に存在するのか?」


「私たちはそう考えています。この世界には元々栗生みゆきという人物がいて、あなたと一緒にいた栗生さんはあとからポンと現れたのだと」


 言われてみれば、そう考える方が自然だと思った。

 稲田と違って、栗生は体ごと全部元の世界から飛んできたのだから。

 その条件の違いは認識していたが、深く考えようとはしていなかった。


 思い返せば、源五郎の店に行ったあと栗生が「自分たちの世界にも源五郎がいるかもしれない」と言ったとき、稲田はかなり違和感を覚えていた。そして、その違和感の正体が栗生の存在だったのだとようやく気付いた。あのときよく考えていれば、この世界にも栗生がいることに気付けたかもしれないというのに。


 稲田が言葉を失っているので、賀来は話を続けた。


「本当にもう一人いるかどうかは、今探偵に調べさせています。存在するのなら、見つけるのはそれほど難しくないでしょう。名前と年齢も分かっていますし」


 稲田は呆然としていたが、なんとか気を取り直そうとした。この件に関しては、今考え続けても結論は出ないと思った。


「なるほどね……で、アンタの方は何かしてたの? 俺の見張りだけ?」


「私は夜遅くまであなたの傍にいて、異孤が発生しないか確認していました。ついでに、せっかくの男性の体なので、隅々まで調べたり撮影したりしていました」


「撮影……」


「所長もちらりと見ていましたが、『文献通りだな、大したことない』と言って栗生さんの方へ行ってしまいました」


「大したことない……」


「結果はご存知の通り、異孤は発生していません。試しにあなたの体に抱きついてみたりもしましたが、精神に何の影響もありませんでした」


「それはそれで悲しいな……」


 でも気絶していて本当に良かったと思った。意識があったら別の意味で精神が暴走していたかもしれない。


「あなたの方はどうですか? 私と一緒にいて感情が昂ったり、気持ちが揺れ動いたりなんてことは?」


「いや、全然。全く。これっぽっちも。動かざること山の如し」


 賀来は少しの間黙った。表情は変わらないが、好意的な反応ではないということは読み取れる。


「確かに、そうはっきり言われると少し腹が立ちますね」


「だろ?」


 賀来は何も言わずにトートバッグからペットボトルのお茶を取り出し、一口飲んだ。

 小さな口からふうっと息が漏れる。


 会話が一段落ついたような雰囲気になった。

 すると落ち着いたせいなのか、稲田は尿意を催していることに気が付いた。


「俺、ちょっとトイレ」


「分かりました。参りましょう」


 稲田は立ち上がり、室内にあるトイレのドアを開けた。

 ふと後ろを振り向くと、背後に賀来が立っていた。


「なにナチュラルについてきてんだよ!」


「いえ。貴重な資料となりますので、動画に収めておこうと思いまして」


「ダメ! 絶対ダメ!」


 慌てて叫びながら、勢いよくドアを閉める。


 やっと一人になることができて、安堵の息とともに小便を出した。

 この世界にいると、性に関する倫理観がおかしくなっていくような気がした。


 トイレから出ると、賀来は椅子に座って分厚いハードカバーの本を読んでいた。タイトルが英語で書かれているので、その内容までは分からない。

 稲田に気付き、視線だけを彼の方へ向ける。


「今回はあなたの言う通りにしてあげましたが、なるべく私の指示には従った方がいいですよ。こちらには栗生さんという人質がいるのですから」


「へっ。栗生は今、所長のお気に入りなんだろ? 簡単には手出しできないはずだ」


「少しは頭が回るようですね。ですが……」


 賀来はホルダーからハンドガンを出した。彼女の小さな体と服装にはひどく不釣り合いで、異様な存在感を放っている。


「あなたの体の一部を切断するくらいの権限は、私にも与えられているのですよ?」


 どこか無機質な目つきでそう告げた。目は口程に物を言うという言葉があるが、賀来の瞳は何も語らないのが逆に怖い。


「……わかったよ」


 そのあと二人の会話はなくなった。大体の状況は掴めたから、あとのことは親分である中瀬と話せばいいと思った。

 賀来は静かに本のページを繰り、稲田はテレビを見ていた。


 賀来がトートバッグを持ってトイレに行くこともあったが、稲田は脱走を試みたりはしなかった。ドアノブをガチャガチャとさせようものなら、今度こそ体の一部を切断されてしまうかもしれない。


 昼飯時になると、賀来がトートバッグから円筒型の容器らしきものを二つ取り出した。


「お昼はカップパスタならありますが、食べますか? アボカド味とタコライス味がありますが」


「味のチョイスが変化球だな……」


「ちなみにタコライス味は私が食べるので、あなたは必然的にアボカド味ということになります」


「じゃあ、なんで選べるような雰囲気を醸し出したんだよ」


 賀来はそれには答えず、壁に立てかけられていた折り畳み式のテーブルをベッドの前に設置し、二人分のカップパスタを作った。


 プラスチックのスプーンで黙々とそれを食べる。会話がないことにももう慣れた。それにうっかり変なことを口走って、またハンドガンを出されるのも避けたかった。


 午後になっても二人は静かに時を過ごした。


 賀来はなぜか古今和歌集の文庫本を読んでいた。

 背筋を綺麗に伸ばしてひたすら本を読み続ける彼女は、まるで本物の人形だ。あるいは絵画のモデルのようにも見えた。


 一方、稲田は相変わらずテレビを見ていた。女だけの昼ドラ、女だけの国会中継、女だけのラグビー……。特に何か得られるものがあったわけでもないが、自分たちの世界ではまず見られない光景だから全く飽きなかった。

 ワイドショーでは海外の映画賞に関するニュースが取り上げられていた。この世界に来てから初めて見る外国の映像にはやはり女しか映っておらず、国内に流される情報には何らかの規制がかけられているような印象を受けた。


 午後六時頃、賀来のトートバッグからいきなり無機質な電子音が鳴った。

 賀来は特に驚く様子もなく、トートバッグの中からスマホを取り出した。


「もしかして中瀬からか?」


「ええ。ふむ……意外と早かったですね」


「……何が?」


 根拠はないが、なぜか嫌な予感がした。


「一緒に所長の部屋へ行きましょう」


「ああ、やっと親分のお出ましか」


「見つかったそうですよ……この世界の栗生さん」

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