第2幕

アジト

 稲田を覚醒させたのは鈍い頭の痛みであった。

 頭痛というほどでもないが、脳を揺さぶられたような気持ちの悪い感覚。

 それが徐々にはっきりしていくのと同時に、視界も明るくなっていった。


 薄目を開けると、自分がどこかの部屋の中で横たわっているということを認識した。

 それほど寝心地が良くないベッドの上で仰向けになっている。


「目が覚めましたか」


 誰かの声が聞こえた。

 落ち着いたトーンの、女性の声。栗生ではない。


 視線を動かすと、ベッドの脇で白衣の女が椅子に座っているのが見えた。


 心臓が跳ね上がり、ベッドから飛び起きようとする。

 しかし、女はベルトのホルダーから素早くハンドガンを取り出し、銃口を稲田に向けた。


「動かないでください。今あなた方の生殺与奪権は私たちにあります」


 言われた通り、上半身だけ起こしたまま動くのをやめた。



 なんだ、一体何が起きている……?



 稲田は必死に今の状況を理解しようとした。

 どうやら自分は今、見知らぬ病室のような場所にいて、見知らぬ女に銃を向けられているようだ。


 その女をよく見てみる。

 背は子供のように低いことが座っていても分かる。おそらく栗生よりも小さい。

 でも顔つきと肌の質感は大人の女性のものだ。おそらく二十代半ばくらいだろうか。

 髪は黒のストレートロングで、胸のあたりまで伸びている。

 服装はグレーのセーター、ジーンズ、その上に白衣。


 そういえば栗生以外の女を見たのは随分久しぶりな気がする、と呑気なことを思った。実際には二日半しか経っていないのだが。


 次に、どうしてこんな状況になっているのかを考えようとした。意識を失う前、何が起こったのか。



 そうだ、たしか俺は名古屋の河川敷で栗生と話していて、そしたら銃を持った奴が……。



 そこで、今ここに何かが足りないということに気付く。


「栗生はっ!?」


 慌てて周囲を見回した。

 が、この部屋には稲田と白衣の女の他には誰もいない。


「落ち着いてください。栗生さんは今別の部屋にいます」


「…………」


 稲田はようやく、襲われたときのことを完全に思い出した。

 状況から考えて、自分たちを撃った襲撃者がこの女だろう。


「俺たちはお前に拉致されたということか……!」


「有り体に言えば、そういうことになります」


 女は抑揚のない声でそう言い、銃口を下げた。

 稲田が起きたときからずっと無表情で、眉一つ動かさない。


「お前は何なんだ? 目的は何だ?」


「そのあたりのことは所長から説明します」


「所長……?」


 もしかして、この女が襲ってきたときにトランシーバーで話していた相手だろうか。


「あとで紹介します。まずは落ち着いて、朝食でも召し上がってください」


 女は足元に置いてあったトートバッグから市販のコッペパンとペットボトルの水を取り出し、稲田に手渡した。


 疑いの眼でそれを見ていると、稲田の心の中を見透かしたかのように女は言った。


「未開封のものです。何も入っていないので安心してどうぞ」


 敵の施しを受けるのは不本意だが、腹が減っているのも事実だ。

 稲田は渋々とそれを口にした。


 コッペパンを食べながら部屋を眺めていると、壁に時計が掛かっているのを見つけた。時刻は七時。午前であれば、女の言う通り朝食の時間だ。どうやら一晩中気絶していたらしい。

 時計の下には、折り畳み式のテーブルらしきものが立てかけられている。


 それから、この部屋には窓がないということに気が付いた。光源は無機質な蛍光灯だけ。

 ベッドの向かい側にはテレビ台があるが、テレビはつけられていない。


 テレビ台の上にはマイクも設置されていて、テレビの上部には小型カメラがセットされていた。

 これがテレビじゃなくてパソコンだったら動画配信者のデスクみたいだな、と稲田は思った。


 質素なコッペパンを食べ終え、袋をゴミ箱らしきものへ勝手に捨てた。

 そのときようやく、自分のバッグがベッドの下に置いてあることに気が付いた。


「では、そろそろ所長からお話をさせて頂きますが、よろしいですか?」


「ああ……」


 緊張した面持ちで頷くと、女はリモコンでテレビをつけた。



 やっぱりこれを使うのか……。



 画面に白い壁のようなものが映された。おそらく別の部屋の映像だろうが、室内の様子は分からない。


賀来がらいです。所長、今大丈夫ですか?」


 女はテレビ……いや、マイクに向かって声を発した。

 この女は賀来という名前らしい。


「ああ」


 誰かが画面の向こう側から返事をする。

 そして数秒後、右側から背の高い女がフレームインし、カメラの前に座った。


「おはよう、稲田。ご機嫌はいかがかな?」


 画面の女は賀来とは違い、快活な印象を受けた。

 黒髪のハーフアップで、賀来と同じく私服の上に白衣を纏っている。


 名前を把握されているということは、持ち物も全て調べられているようだ。


「ご機嫌は……あまり良くない」


「そうか。色々思うところはあるだろうが、まずは自己紹介をさせてくれ。私の名は中瀬。二十八歳、乙女座。職業は……そうだな、所長だ」


「…………」


 なんだ、こいつ。ふざけてんのか……?


「我々は……と言っても二人しかいないが、ここで異孤の研究をしている。男のサンプルを使う検証を始めるため、君たちを拉致・監禁させて頂いた」



 異孤……。

 男女が接近すると精神に異常をきたすというアレか?



 稲田は眉をひそめた。


「実在するのか、それって?」


「君もそう思うか? まさにそれを確かめるための実験なんだが。こうして中継で話しているのも、まだ異孤を起こさせないためだ」


「栗生は無事なんだろうな?」


「もちろん。だが君が妙なことをすれば、無事ではなくなるかもしれん」


 そう言って、中瀬はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。


「くそっ」


「まあ、それでも逃げたいなら逃げていいぞ。とは言っても、ここは既に女性居住区域。見つかれば即逮捕だがな」


「なっ……」


 気絶させられている間に、女の領土まで運ばれていたようだ。

 稲田は頬に冷や汗が垂れるのを感じた。事態は想像以上に深刻だ。


「夜になったら、もう一度じっくり話し合おうじゃないか。今度は画面越しではなく、顔と顔を突き合わせてだ。それまで今日は一日、賀来とこの部屋で大人しくしていてくれ」


「見張りなんかつけなくても、どこにも逃げやしねーよ」


「そういう狙いも一応あるが、私が異孤になってしまっては元も子もないからな。念のため、半日賀来と接近しても何も起こらないことを確認してから君と会うことにする」


「その賀来さんとやらは、どうなってもいいのかよ?」


「それも賀来の役目の一つで、理解もされている。他に訊きたいことは?」


「少しでいいから、栗生と話をさせてほしい」


「現時点での意思疎通は認めない。じゃあ切るぞ」


 中瀬はピシャリと言い放ち、画面が真っ暗になった。


「ちっ……」


 栗生のことは心配だが、今は言われた通りにするしかない。相手は銃も持っている。研究者のような口ぶりをしているが、完全に犯罪者集団だ。


 稲田が大きくため息をつく。

 賀来はそんなことも気にせず、リモコンでテレビの電源をオフにした。


「簡単ではありますが、この部屋の説明をします」


 いきなり事務的な口調で話を始める。


「まずは扉です。この部屋の鍵は特殊で、サムターン……ツマミの部分が部屋の外側、鍵穴の方が内側に付いています」


 稲田は黙って、彼女の無感情な話を聞いた。


「既に予想しているかもしれませんが、現在鍵は閉まっていて、その鍵は私が持っています。外出は許可しません」


「つまり、アンタを行動不能にして鍵を奪えば出られるってことだな?」


「おっしゃる通りです」


 安い挑発には乗らず、淡々と続ける。


「ですが、そのような状況にはまずならないので、その案については考えなくても大丈夫です」


「あっそう」


「心配なさらずとも、トイレとお風呂もありますし、半日過ごすだけなら何の問題もありませんよ。暇でしたらテレビでも見ていてください。ただし、そちらのスマホは電波が入りません。確認しましたが、女性のスマホは男性居住区域では使えず、同じく男性のスマホは女性居住区域では使えないようです」


「……お気遣いどうも。で、結局ここはどこなんだ? アンタらの研究所か何かか?」


「廃業となった病院の地下です。所長がを使って法外な額で買い取り、今は私たちのアジトとなっています。この部屋は、特殊な患者を閉じ込めておくための部屋だったとか」


「なんかめちゃくちゃ怪しいな……」


「この部屋の説明は以上となります。半日ではありますが、仲良くしましょう。私としても、あなたとお話ができると嬉しいです」


 友好的で可愛らしいセリフを、人形のように冷たい表情で言う。


「オーケー。アンタには抵抗しないよ」


 稲田も一旦は了承することにした。



 さて、どうしたものか……。

 冷静になるんだ。昨日は奇襲されてパニックになっちまったが、同じ失敗は繰り返さない。



 自分は今何をするべきか。

 稲田は思考のエンジンをフルスロットルで動かし始めた。

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