女の服を創る少年③

 源五郎が落ち着くと栗生は彼の体を放し、ポンと手を叩いた。


「あっ、そうだ。 源五郎君、ノートと鉛筆借りてもいいかな?」


「いいけど、どうして?」


「ボクが考えた服も描かせてもらえないかな?」


「……ホントに!? いいよ!」


 思いがけないお願いに、源五郎の表情がぱあっと明るくなった。

 机の上のペン立てから鉛筆を取り出し、栗生に手渡す。


「ありがとう。ちょっと待っててね」


 慣れた手つきでさらさらと鉛筆を走らせる。絵心はそれなりにあるようだ。


「ここはこうして……ほいっと……はい、できた!」


「見せて見せて!」


 源五郎は期待に胸を膨らませ、ノートを受け取る。

 そして、完成した絵を見て驚きの声を上げた。


「凄い! これ可愛いよ、健太さん!」


「ふっふーん。でしょでしょ」


「ほほう、どれどれ」


 稲田もノートを覗き込んだ。


 栗生が描いた絵は、七分袖でロングスカートのドレスであった。鉛筆で黒く塗っているのでシックなデザインに見えるが、上下がセパレートとなっていてウエストが露出しているのが特徴だ。


「これは思いつかなかったなぁ……」


 源五郎は感心したように絵を眺めている。

 しかし、稲田の方はこのデザインを最近どこかで見た覚えがあり、モヤモヤとしていた。

 一生懸命記憶をほじくり返してみると、やがて奥底の方でその正体を見つけることができた。


 それはファッションショーの映像だった。この世界に来る少し前、ニュースでナントカファッションショーの映像が流れたときに、このドレスが紹介されていたのだ。



 こいつ、ボクが考えた服とか言ってたのにパクリやがった……!



 呆れた顔で栗生に視線を送ると、彼女は舌を出してウインクで返した。


「ははは……」


 源五郎を騙すことを最初に提案したのが自分だった手前、文句は言えない。


「ねぇねぇ、また今度うちに来てよ。それまでにこれより綺麗な服考えるから!」


「…………」


「健太さんの服、クールだけどそのパーカーとか可愛いよね。他の服も見せてほしいな」


 栗生が黙ってしまい、稲田はフォローするべきか迷った。



 正直、一度女の領土に入ってしまえば、栗生がまたここを訪れるのはかなり難しくなる気がする。

 でもまあ、卒業式とかで「またいつか会おうね」って言っても会わなかったりするし、それくらいのノリで言えば……。



 そんな風に考え、稲田は口を開きかけた。


「ごめん」


 先に言葉を発したのは栗生であった。


「ボクはもう、ここへは戻って来れないんだ」


 凛とした声で、はっきりとそう告げた。

 稲田は驚いて彼女を見た。


「そんなんだ……」


 源五郎はあからさまに肩を落とした。


「でもボク、源五郎君のこと忘れないから……」


「うん、僕も今日のことは一生忘れないよ……」


 震えた声で精一杯に答えた。せっかく泣き止んでいたのに、また涙が溢れそうになっている。

 稲田は思わず、二人の話に割って入った。


「ああ、そうだ。この店の商品、健太用に一つ買ってやるからさ。それで元気出してくれよ」


「いいのっ!?」


 栗生と源五郎の声が揃い、二人して嬉しそうに稲田の方を向いた。



 さっきまで葬式みたいな空気だったのに、現金な奴らだな……。



「あ、ああ。高いもんじゃなけりゃ……」


「やったー! 源五郎君、一緒にお店見よっ」


「うん!」


 二人は部屋から出て、ドタドタと階段を下りていった。

 稲田はやれやれと言わんばかりに頭を掻きながら、あとに続いた。


 一階の店内へ戻ると、三人の表情を見た店主が安堵したような声色で話しかけてきた。


「源五郎、お話はもういいのかな?」


「うん、僕の商品買ってくれるから一緒に見るね!」


「おお、それはそれは。ごゆっくり」


 源五郎は栗生の手を引っ張り、自分の考えた服について話して聞かせた。

 カウンターの前に残った稲田は、二人の様子を見守りながら呟いた。


「はぁ、こういうのって時間掛かるんですかね」


「なに、うちは商品が少ないからすぐ終わるでしょう」


「……ですね」


 孫が楽しそうだからだろうか、店主はニコニコとしている。

 が、稲田は声のボリュームを下げ、真面目な口調で言った。


「店主さん、余計なお世話かもしれないんですが、一つお願いがあるんです」


「ほう、何ですかの?」


「もし源五郎が辛くなってどうしようもなくなったら、精神科に連れていってくれませんか?」


「ううむ……やっぱりそれしかないですかねぇ……」


 先ほどの穏やかな笑顔が消え、眉間に皺を寄せる。


「今は服を考えたり着たりすることで、なんとか己を保っているという感じなんですじゃ……」


「源五郎のお父さんは何か言ってないんですか?」


「一年前までは育児休暇してたんですが、仕事に復帰してからは多忙でのう。あの子とちゃんと向き合おうとしないんですわ。お恥ずかしい」


「ふうん……」


 男の領土では、精子を医療機関に提出して男の子が生まれたら引き渡してもらえるというだけだ。母親が誰なのかも分からない。だからこの家みたいに、子供が大きくなったら祖父が見るという三世帯が多いのかもしれない。


「まあ、心配なさらずとも、なんとかやっていきますよ。あなた方だって同じでしょう?」


「ええ、そうですね……」


 稲田が栗生の方に目をやると、ちょうど商品を選び終えてカウンターへ向かってくるところだった。


「兄ちゃん兄ちゃん、ボクこれにするよ」


 演技とはいえ、栗生に兄ちゃんと呼ばれるのはなんだか体がむず痒い。

 が、栗生はそんなことも気にせずに稲田の手に商品を押しつけた。


 それはハート型のリングをあしらったペンダントであった。全体がシルバーで、悪目立ちもしない落ち着いたデザインだ。


「アクセサリーの方にしたのか、なかなかいいじゃないか」


 値札を見てみると、手書きで四千円と書かれていた。一応良心的な価格ではあるので、栗生とこの店のために買ってやることにする。


「じゃあ、これください」


「まいどあり~」


 会計を済ませ、ペンダントを栗生に手渡す。

 彼女はそれを嬉しそうに見つめ、その場で首に付けた。


「ありがとう! ひひっ、兄ちゃんに買ってもらっちゃった」


「どういたしまして。大事にしろよ」


「うん!」


 ここまで喜んでもらえるとは思ってなかったので、稲田もつい口元が緩んでしまった。

 そして、店主と源五郎の方に向き直る。


「じゃあ、俺たちそろそろ行きますわ」


「源五郎君、元気でね」


「うん……」


 源五郎は名残惜しそうな顔をしている。

 また泣き出すんじゃないかと、稲田は内心ヒヤヒヤした。


「僕、真介さんと健太さんがどこに行くのかは分かんないよ。二人が自分たちのことあんまり話せないのも、なんとなく気付いてる」


「うぅ、ごめんね……」


「でも僕、二人がどこに行っても僕の服を目にするようなデザイナーになるから! 服で二人に届いてみせるから! だから、そうなったら僕のこと思い出してね!」


「源五郎君……」


「ああ、お前の服なら見たら一発で分かるよ」


 照れくさそうにはにかむ源五郎。

 稲田、栗生と優しく視線を交える。


「ありがとう……二人とも、どうかお元気で!」


「バイバイ!」


「達者でな」


 後ろ髪を引かれながら源五郎と店主に手を振り、店をあとにした。


 駐車場に戻り、時刻を確認。今はちょうどお昼の十二時だ。静岡のルートはもう半分を過ぎたので、今日中には男女の境界線まで行けるだろう。


 栗生の顔をちらりと窺うと寂しそうな目をしていた。

 稲田はそれが気になり、少し話をすることにした。


「お前、すげえな。もう会えないってちゃんと言えて。俺だったら、またいつか会えるって言っちゃってたかも」


「ただでさえ騙してるんだもん。叶えられない約束はできないよ」


「そうだな……」


「でもあの子、やっぱり凄いよ。私たちの世界でもデザイナーになれるかも」


「ああ、そうか。もしかしたら俺らの世界にもあいつがいる可能性があるのか……」


 そう口にした途端、得体の知れない不吉な予感が背筋を這うのを感じた。何か重大な見落としをしているような、大きな過ちを犯しているような、そんな予感が。


「それで」


 稲田が難しい表情をしているのも気にせずに、栗生が上目遣いに彼の顔を覗き込む。


「ボクはこのまま弟のふりを続けた方がいいのかな、お兄ちゃん?」


「……そこはケースバイケースでフレキシブルに対応してくれ。気持ち悪いけど」


「ひどっ! 自分から言い出したのにー」


 稲田の胸をポカポカと叩く。


「……あ」


「どうしたの?」


「そういえば、栗生の下の名前って何ていうんだ? 聞いてなかったわ」


「えっ」


 栗生は慌てて目を逸らした。


「なんか今更改まって言うのも変な感じっていうか……」


「ほれほれ~。恥ずかしがらずに言ってごら~ん」


「……みゆき」


「……ふーん」


 数秒前までのニヤニヤが一瞬で消滅してしまった。


「って、興味なしかい!」


「すまん、源五郎のインパクトが強すぎてな……」


 そう言ってバイクを立て、サイドスタンドを足で払う。


「どうせ私は平凡な名前ですよーだ」


 バイクに跨り、喚く栗生を無視して発進の準備をする。


「ほら、もう乗っていいぞ」


「ふん……」


 栗生もいつも通りにバイクに乗り、稲田に掴まる。


「そうだ。チラッと言ってたが、俺は真介だから、そう呼びたかったら呼んでもいいぞ」


「べ、別に稲田なんて稲田でいいしっ」


「あっそ。じゃあ行くか、健太」


「結局健太かよ!」


 返事の代わりにアクセルを吹かせる。

 そして二人を乗せたバイクは、男の領土の最西端である愛知に向かって発進した。

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