第1幕

男女の領土の境界線

 小気味好いエンジン音を響かせながら、片側一車線の道をバイクが走る。

 春の凛とした風を正面から受け、体がじんわりと冷えていく。


 二人は出発後、東京の町田市内から神奈川の厚木方面へ南下できる県道へ入った。

 県境はすぐに越え、静かな街並の中を気楽に進んだ。道の周りには住宅が多く、その他には飲食店やコンビニなどの店が点々と並んでいる程度だ。


 一見すると元の世界と同じように見える。だが、行き交う人々はやはり全員男だ。稲田は、自分が別世界に来てしまったということを改めて思い知らされた。


 そんな道を三十分ほど走り厚木を通過する頃、道路沿いにコインランドリーがあるのを見つけた。


「コインランドリーあったぞ」


 路肩に停車し、背後の栗生に声をかける。


「行く!」


 即答され、近くにあった駐車場にバイクを停めた。

 鍵付きのヘルメット用ホルダーを使い、ヘルメットをバイクに括り付ける。


「あ、これ忘れてた。顔隠すやつ」


 稲田はバッグから新品のマスクを出し、栗生に手渡した。


「ありがとう……。ねぇ、女だってバレたらやっぱり逃げるしかないのかな」


 憂鬱そうに下を向く栗生。


「念のために渡したけど、たぶんバレないと思う」


「どうして?」


 今度は首を傾げた。


「栗生、昨日駅にいたときも、何も起こらなかったんだろ? 普通に駅を歩いているくらいじゃバレないかもしれない」


「そうだけど……え、私女に見えないってこと?」


「というより、この日本の男は女の実物を見たことがないから、よほど女っぽい恰好をしてない限り見分けられないんじゃないかな。栗生ってなんか男っぽいファッションだし」


 胸も膨らんでいないしな、と稲田は心の中で付け加えた。決して口には出せないが。


「せめてボーイッシュって言ってくれないかな……」


「あー、わかったわかった。それじゃあ行くぞ」


 駐車場から少し歩き、コインランドリーに入る。

 すると、ちょうど洗濯を終えた中年男性が出て行くところであった。


 二人に緊張が走る……が、その客は何事もなかったかのように外へ行ってしまった。


「やっぱりバレないもんだな」


「嬉しいやら、悲しいやら……」


 店内を眺めてみると、そこはごく一般的なコインランドリーであった。側面に扉の付いたドラム式洗濯機が、兵隊のように横一列に並んでいる。

 二人はその中の一台の前に立った。


「よし、栗生。始めてくれ」


「おう」


「…………」


「って洗濯物ジロジロ見るな!」


 栗生が手でシッシとあしらう。


「バレたか」


 仕方がないので、店内の壁際にある椅子に座って待つことにした。

 しばらくすると、栗生が洗濯物を入れ終え、お金を入れた。


「発進!」


 栗生の謎の掛け声とともに、洗濯機が回り始める。

 それから彼女も稲田の隣の椅子に座った。


「乾燥込みで一時間かかるみたい」


「ああ、いいよ。俺もずっと運転してるのは疲れるし。どうせ一日じゃ着かんし」


「ごめん、やっぱり電車の方が良かったかな」


「いや。仮に女だとバレなさそうでも、逃げ道のない閉鎖空間にずっといるのは精神にくる。だから気にすんな」


「うん、ありがと……」


 少しばかりの沈黙が二人を包み込む。

 が、栗生がまた口を開いた。


「ねえ、さっき言ってたことだけど」


「なんだ?」


「ここの男の人は女の人の実物を見たことがないってやつ。あれ、やっぱり変じゃないかな?」


「あくまで、現代の男の話だけどな。で、なんで?」


「県境っていうの? 男女の境界の場所まで行けば、見えちゃうんじゃない?」


「……言われてみればそうだな。ていうか、境界がどういう風になっているのかも調べてなかった」


「ちょっとググってみてよ。私のスマホは使えないから」


「わかった」


 稲田はネットで境界線に関する情報を検索してみた。すると、それについて説明したページにこう記述されていた。



・男女居住区域の境界は全てが壁で区切られている。壁の高さは市街地であれば最大二十メートル、山岳地帯であれば三メートル程度。

・壁に出入り口は設置されていない。隠された通路がどこかにあるという憶測もされているが、その存在は公にされていない。



「マジかよ……」


 稲田は思わずため息をついた。

 気になった栗生が、横から画面を覗き込もうとする。


「どうだった?」


「全部壁で仕切られていて、出入りできないみたいだ」


「えっ。全部って、ホントに全部!?」


「男の領土の最西端が石川、岐阜、愛知だから、その西側の県境全部ってことだ。さすがに万里の長城と比べたら短いけど、それでも百キロ以上あるぞ。頭おかしいだろ」


「…………」


 何かが腑に落ちないという様子の栗生。


「どうした?」


「いや、この壁なんだけど、山岳地帯は三メートルだって。そんなに高くないね」


「まあ、山の中に十メートル以上の果てしなく長い壁を作るのは大変だからな。さすがに妥協したんだろ」


「でも、これじゃあ結構簡単に侵入できちゃうような……いいのかな」


 栗生の言う通りだ。

 稲田は侵入を防ぐ方法について考えてみた。

 そして、ある仮説を思いついた。


「例えばの話だ。俺が銭湯の女湯に侵入するのって難しいと思うか?」


「え、アンタそんな願望があるの?」


 そう言って、稲田から少し離れようとする。


「だから例え話だって!」


「うーん、できるんじゃないかな。捕まるけど」


「それだよ。別に施錠されてるわけじゃないんだから、入るだけなら超簡単。強引に走って行けばいいだけだ。なのに誰もそれをやらないのは、逮捕されるからだ」


「捕まらなければやるんだ……」


 軽蔑するような目で稲田を見る。


「そりゃ、やる奴はいるだろ……俺はやらないけどな!」


「……とりあえず言いたいことは分かったよ。壁が低くても捕まったら無期懲役だから、わざわざ侵入する人はいないってことだね」


「さすがにゼロってことはないと思うけどな。で、栗生は男湯から女湯に戻ろうとしてるだけだから、無理矢理壁を越えても見つからなきゃ問題はない」


「もしかして山登りする羽目になるのかな……」


 ゲンナリとした表情で肩を落とした。


「さあな。まずは三重の手前まで行ってみるしかないだろ」


 そう言って、稲田は伸びをした。


 すると、突然スマホが振動した。

 画面を見てみると、バイト先のレンタルショップからの電話であった。この世界でも自分は同じ店で働いているらしい。


「もしもし」


「稲田君、どうしたの? 今日シフト入ってるよ!」


「…………」


 とりあえず、今はバイトをしてる場合ではないので断ることにした。


「すいません、インフルエンザになったんで治るまで休みます」


「えっ!? 大丈夫なの!?」


 この世界に来る前に、電車で体調が悪くなったのは事実だ。すぐ治ったし、インフルエンザではないだろうが。


 一応、二言三言謝罪をしてから通話を切った。

 そのやり取りを聞いていた栗生がため息をついた。


「私も元の世界では、今日バイトだったのになぁ」


「致し方なし、だな」


 そのあとも、二人であれこれと雑談を続けた。

 途中に若い男性客が一人来たが、やはり栗生が女だということはバレなかった。彼女は複雑そうな顔をしていた。


 やがて時間はあっという間に過ぎ、栗生の洗濯が完了した。


「よし、栗生。洗濯物を出すぞ」


「おう」


「…………」


「……ってジロジロ見んな!」


「バレたか」


「なぜバレないと思った!?」


 栗生がリュックに荷物をまとめると、二人はコインランドリーから出て駐車場へ戻った。


 出発後、厚木から先は南下せずに、西へ向かった。山あいの国道へ続くルートだ。何か意味があってその道を選択したわけではなく、ネットのルート検索で広い道を調べただけだ。


 高速道路でも運転できる排気量であれば、厚木周辺から高速道路に入れたが、二人が乗っている125ccのバイクは走行が禁止されている。バイクに詳しい人に見られたら一発でバレる可能性もあるので、そこまで危ない橋を渡る気にはなれない。


 国道に入り静岡方面へ走り続けていると、前方に富士山が見えてきた。男女が分かれて住んでいようが、その堂々たる白い勇姿は健在のようだ。


「富士山だーっ! まだ神奈川なのに結構おっきく見えるんだっ」


 後ろではしゃぐ栗生。バイクから落ちたりしないか不安になる。稲田はなるべく安全運転で行こうと心に誓った。


 神奈川は走行距離が比較的短く、コインランドリーにしか寄らなかったので、何事もなく通過することができた。

 そして、二人は今回の旅で最も距離の長い静岡へと突入していった。

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