俺に助けさせてくれないか

 稲田はベッドに腰掛け、栗生は彼の方を向いて座椅子に座った。


「改めて言うが、俺は稲田っていう。大学一年だ」


「私も大学一年です……」


「マジで!?」


「マジです」


「現役?」


「現役」


「じゃあ同い年だな。もっと若いかと思ってたよ。口が悪くてすまなかった。栗生さんもよかったらタメ口で話してくれよ」


「……わかった」


 栗生はコクリと頷いた。


「じゃあさっそく本題な。悪いが、栗生さんが痴漢に遭ったあとのことを教えてほしいんだ」


「あのあとのこと? うーん」


 話しづらそうに目を伏せる。


「実は電車から降りたあと、犯人が走って逃げちゃったんだ。それで……」


「…………」


 彼女は口ごもってしまったが、稲田は何も言わずに次の言葉を待った。


「それで、ホームの反対側に電車が来る瞬間、その線路に落ちちゃったの……」


「なんだって!?」


「…………」


 栗生の手が微かに震えている。


「そいつは死んじまったのか?」


「……たぶん」


「たぶん?」


「……犯人は線路に落ちたあと、なぜか消えてしまった。電車には何もぶつからなかった。周りにいる人も、犯人が落ちたことに気付いていない感じだった」


 どういうことだろうと稲田は眉をひそめたが、栗生は静かな口調で続けた。


「きっとその瞬間からだったと思う、女の人たちが消えてしまったのは。混乱した私は駅のトイレでちょっと落ち着こうと思ったんだけど、女子トイレらしきものが見つからなかった」


「それで女子トイレについて駅員に訊いたら、追いかけられたってわけか」


「うん……」


 稲田がネットで読んだ法律が正しければ、無期懲役に値する罪人がいきなり現れたことになる。男性居住区域に侵入した女性。駅員が血相を変えるのも頷ける。


「話を聞く限りじゃ、やっぱ犯人が電車に飛び込んだ瞬間に、世界がこんな風になっちまったみたいだな」


「…………」


 栗生は同意も否定もしなかった。


「俺はそのとき、電車の中でまだ眠ったままだったんだ。電車は快速の待ち合わせをしていて、発車する前だった。その快速に犯人が飛び込んで、。俺は発車する前に起きられて、降りたら男しかいなくなっていた。こう考えたら辻妻が合う」


「なんか頭痛くなってきた……」


 そう言って、額を手で押さえる。


「となると、キーとなるのはその犯人か?」


「どうだろうね、普通のおっさんぽかったけど……」


「気を悪くしないでほしいんだけど、念のために訊かせてもらう。痴漢したのはそいつで間違いないよな?」


「うん。触られてる最中に腕を掴んだから」


 稲田は思い出した。

 今でこそ大人しくしているが、あのときの栗生は痴漢にも怯まずに声を上げていた。見た目よりも逞しい女なのかもしれない。


「あ、それともう一つおかしなことがあるの」


「なんだ?」


「これ」


 栗生は上着のポケットからスマホを取り出し、稲田に見せた。

 ホーム画面が表示されていて、アイコンに隠れているが男性ロックバンドの写真が壁紙として映っている。


「この画面のままフリーズして、動かなくなっちゃった」


「ちょっと借りるぞ」


 稲田は栗生のスマホを受け取り、操作してみた。

 彼女の言う通り、画面にどう触っても動かず、電源ボタンで電源を落とすことすらできない。

 だが、しばらく格闘しているとあることに気付いた。


「このスマホ、時計も止まってるな」


「何時?」


「三月二十五日、午後六時三十七分。今から二時間くらい前だ」


「その時間って…………あ!」


「どうした?」


「たぶん電車から降りた直後だよ。乗り換え検索で見たから覚えてる」


「ということは……」


「やっぱり犯人が電車に飛び込んだ時間だね……」


「うーん」


「稲田さんのスマホはどうなってるの?」


「俺のは動くよ。ただ、SNSや電話帳から女の登録が全部消えていた」


「ふぅん……」


「なんか俺は意識だけがこの世界に飛ばされてきて、持ち物はこっちのものになってるけど、アンタは持ち物含めて体ごと全部こっちに来たって感じだな」


「確かに、そういうことになるね」


「あぁっ、もう分からん!」


 ベッドに倒れ、リモコンでテレビをつけた。おっさんだけでスイーツを紹介する番組が流れている。何が面白いのか理解できない。


「ホントに女の人はみんないなくなっちゃったのかな……」


 栗生がテレビを見ながら不安そうに声を漏らす。


「女は西日本にいるらしいぞ」


「どういうこと?」


「まだ話してなかったか。ほれ」


 稲田はスマホで男女居住区域侵入罪について書かれたページを検索し、栗生に見せた。


「なにこれ……」


「栗生さんが駅員に追いかけられたのも、そのわけ分からん法律のせいだ」


「そんな……」


「ただ入れないってだけじゃなくて、生活の全てが分断されているみたいだ。テレビとかネットとか」


 栗生は顔面蒼白になっていたが、続けて謎の精神異常化現象である「異孤」についても教えた。


「異孤ねぇ……」


 今度は不安そうな反応ではなく、疑わしそうに眉をひそめていた。


「それに関しては眉唾もんだけどな。男女が接近すると起こるらしい」


「男女の接近ねぇ……」


「…………」


「…………」


 二人は目を合わせた。


「……あ」


「えっ」


 自分たちが男女であり、かつ接近しているということにようやく気付く。


「異孤だっ! 異孤が起こるぞ!」


「えっ、なになになになに!?」


 慌てて立ち上がり、ほんの少しだけ距離を取る。栗生はなぜかファイティングポーズ。

 そのまま睨み合いながら、しばらくの間石像のように固まっていた。


「……何も起こらないな」


「ねぇ、ちょっと言い辛いんだけど……」


「なんだ?」


「私たち会ってから結構時間経ってるし、別に大丈夫なんじゃない?」


「……そうだな」


 二人でため息をつきながら腰を下ろす。


「うぅ~、何やってたんだろう。恥ずかしい」


 栗生は頬を赤らめながら、顔を手でパタパタとあおいだ。


「いや、もしかしたら遅効性かもしれんぞ」


「知らないよ。なんか異変を感じたら、とりあえず離れるしかないんじゃない」


 確かにそうだ。今はわけの分からない現象を心配するより、現実的なことを考えるべきだと稲田も思った。


「なあ、これからどうするんだ? 俺はひとまず大丈夫だけど、ここはアンタにとって危険すぎるだろ。元の世界に戻る手掛かりも今のところないし」


「うん、あの犯人がいるのかも分からない……」


 数日くらいなら泊めることもできるが、ずっとそうしているわけにもいかない。

 稲田は栗生の頭が整理されるのを待った。


「……私、実家が三重なんだ。辺鄙なとこにあるマンションなんだけど、そこまで行ければなんとかなるかも。三重は女の領土みたいだし」


「この世界でも同じようになっているか?」


「たぶん大丈夫。ここはみたい。現に、稲田さんの家だってちゃんとあるでしょ?」


「まあ、そうだけどさ。因果律の操作とかいうレベルじゃねーぞ」


「稲田さんの家族は?」


「親父はさっき電話したけど、ちゃんといた。実家が千葉だからな。母さんはこの世界だとどこにいるのか分からない」


「それなら、私の実家も同じかも」


「どうやって三重まで行くんだ?」


「電車とか新幹線しかないでしょ」


「マジか? 駅で一回騒動になってるし、電車の中で女だとバレたら今度こそ逃げられないぞ」


「言われてみれば、今電車に乗るのは辛いかも……」


「だよなぁ」


 無理もない。こちらの電車は、言ってしまえば全車両が男性専用車両。今日痴漢に遭ったばかりの栗生にとっては、脅威以外の何物でもないだろう。

 二人して頭を抱えた。


「…………あ、そうだ!」


「何?」


「バイクならあるぜ! ちょっと遠くへ行くときとかツーリングのときに乗るやつ。駐輪場見てくるから待っててくれ」


「えっ!? ちょっと」


 稲田は栗生の制止を無視して玄関から出た。

 アパートの二階から階段を下り、駐輪場へ向かう。


 バイク専用のスペースを見てみると、愛用の黒いバイクがあった。

 125ccの適度なパワーと軽さが魅力で、取り回しも楽だし、維持費や燃費も安い。ざっと見てみても、元の世界で使っていたものと同じのようだ。


 安堵の息をつき、自分の部屋へ戻った。

 にこやかな顔で栗生に報告する。


「俺のバイク、ちゃんとあったぞ」


「いやいや、私バイクなんて運転できないから」


「何言ってんだ? 二ケツでいいだろ。俺が運転するからさ」


「えっ……」


 栗生は一瞬、言葉を失った。


「だって三重だよ!? そんなすぐ着くの?」


「俺のバイク高速乗れないけど、まあ二日もあれば着くよ」


「二日って……」


 明らかに困惑した表情をしている。


「どうして、私のためにそこまでしてくれるの?」


「どうして……か」


 正直に言えば、自分以外で唯一、元の世界のことを知っている栗生を手放したくないという事情はある。

 しかし、稲田にとってはそれ以上に大事な理由があった。


「俺さ、アンタが痴漢に遭って騒いでたとき、近くにいたんだ。でも何もできなかった。まあ、体調は悪かったんだけど」


「あ……」


「アンタは自分で解決できたかもしれないけれど、もし俺が手助けできていたら、こんな事態にならずに別の未来になっていたかもしれない。そう考えると何か悔しくてさ」


「…………」


「だから今度こそアンタのことを助けたい……俺に助けさせてくれないか?」


「…………」


「栗生さん?」


「……うん、わかった」


 栗生は囁くように返事をした。

 口元に柔らかで淡い笑みを浮かべ、瞳は微かに煌めいている。


「よろしくお願いします」

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