半月の夜の出会い

 目の前が真っ暗になった。画面に表示されている文章が現実のものとは到底思えない。狂っている、と恐れおののくことしかできなかった。


 その説明文が意味するところは、男と女の住む場所が完全に分けられているということだ。男は東日本、女は西日本にと。しかも、互いの領土に侵入すれば無期懲役。罰金などもなく、ただ無期懲役のみ。



 さっきの天気予報はこういうことだったのか……。

 だが、なんでこんな法律があるんだ?



 このとんでもない法律が生まれた経緯が載っていないか、ページをスクロールして探してみる。

 すると、それに該当する文章を見つけることができた。



 この罪状は「異孤」への対策により、1930年に制定された。

 異孤とは、男女が接近すると互いに激昂したり、冷静な判断力を失って争ったりする精神異常化現象である。1800年代より、世界中で徐々に広まり、深刻な問題となった。

 男女分住化が完了した現在でも異孤の原因は解明されていない。しかし、長年の研究により病原微生物や寄生虫等が要因ではないということが判明しており、近年では地球の気候の変化、衛星や他の惑星の引力が関係しているのではないかとの見方が――。



 そこまで読んだところで、そのページを一旦閉じた。読めば読むほど胡散臭くなっていくと思った。



 まるで中学生が書いた妄想だ。生温かい目で見られるぞ。第一、そんなんじゃ子孫はどうやって残すんだよ……。



 馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、念のために調べることにした。まさか大学生にもなって子供の作り方をネットで検索することになるとは思わず、少しむなしくなった。


 知りたかった情報はすぐに見つけることができた。



 現在の日本では、繁殖は全て人口授精によって行われ、子の出産、育成には毎月報酬が――。



 またもや最後まで読まずにページを閉じてしまった。今度は馬鹿馬鹿しいどころか、気持ち悪いとすら思った。



 やっぱりこれは何かの間違いだ。ドッキリとかエイプリルフールとか、そういう類のやつだ。まだ三月だけど。



 そこで、誰かに電話して確かめてみることを思いついた。実家の番号にかければ母親が出るだろう。

 すぐにスマホをタップした。


「もしもし」


 電話に出た声の主は、母親ではなく父親だ。少し嫌な予感がした。


「よお、親父」


「おお、真介か。どうした、こんな時間に」


「大した用じゃないんだけどさ、母さんいる?」


「カーサン? なんだそりゃ」


 嘘だろ……お前らしょっちゅう喧嘩してたじゃねえか……?


「だから、俺の母親だよ」


「生んだ母親っていうのは西にいるんだろ? どこの誰だか知らんが」


 稲田は顔面蒼白になった。


「ああ、ごめん。そうだったな」


 なんとか言葉を絞り出し、通話を切った。

 どうすればいいのか分からず、呆然と立ち尽くす。


 これは夢だ……と、目の前の現実から逃げようとし、あることを思い出した。



 そういえば、俺は帰りの電車で居眠りをしていた。まだその夢の中にいるんだ。きっとそうだ、そうに違いない……。



 上着を着て玄関へ行き、いつも愛用している白いスニーカーを履く。部屋にいると頭がおかしくなりそうな気がしたのだ。目が覚めるまで散歩でもしていれば、こんな悪夢はそのうちに終わるはずだと自分に言い聞かせた。


 外へ出ると冷たい夜風が体を蝕み、ゾッとした。寒さに震えたからではない。この空気感が現実のものとしか思えなかったからだ。


 それでもめげずに歩き出し、アパートの敷地内から出たところで立ち止まった。右へ行けば住宅街や公園、左へ行けば大通りとそこに並ぶ様々な店へと行ける。


 少し迷って稲田は右へ進んだ。

 もしまた男だらけの光景を見たら立ち直れないかもしれない。今は女としか会いたくない。


 寝静まった住宅街を少しだけ歩き、その中にぽっかりとある公園へ行った。夜なのでもちろん誰も見当たらない。稲田にとっては、とりあえず男がいなければそれで良かった。


 しかし、公園の中へ入っていくと、滑り台の上に誰かが立っているのが目に入った。



 こんな時間に子供か……?



 その少年はキャップ帽を被っていて、髪は少し長い。小さな背中に大きめのリュックサックを背負い、手すりを掴みながら夜空を見上げている。薄い雲の狭間には、半分の月が浮かんでいた。



 いや、あれはまさか……。



 近づいてよく見てみると、彼……いや、だ。その人物は少年ではなく、髪の短い女性であった。


 彼女は涙を流していて、頬を伝う雫が月の光で煌めいている。

 稲田はその横顔をとても綺麗だと思った。

 やっぱり男しかいないなんて間違いだったんだと、胸を撫で下ろしてもいた。


「おい、アンタ」


 稲田は滑り台の下、滑り板の前から声をかけてみた。


「ひぃっ」


 彼女は稲田を見た途端驚きの声を上げ、体のバランスを崩してへたり込んだ。


 おいおい、いきなり声をかけたとはいえ驚きすぎだろ……と訝しげに見ていると、なぜか彼女の顔に見覚えがあるような気がした。しかもごく最近に会った記憶がある。


 彼女がよろけながらも立ち上がった。


「くぅっ」


 そして、滑り台の階段から下りようとする。


「待ってくれ! アンタ、さっき電車で痴漢に遭ってた人じゃないか!?」


 稲田は思い出した。この女性は、稲田が電車で居眠りする前に「痴漢がいる」と声を荒げていた人だ。


「えっ……!?」


 彼女は稲田がいる方を振り返った。

 あの時の威勢はすっかり消え失せ、弱々しくなってしまっている。


「やっぱりそうだ! 俺もあのとき電車にいたんだよ!」


 彼女は滑り台の上から稲田の顔をまじまじと見た。


「あっ……」


「ちょっと訊きたいことがあるんだ! 下りてきてくれないか!?」


 声を張り上げて呼びかけると、彼女は少し迷ってからおそるおそる滑り板に座り、そのままするすると滑り下りてきた。公園で遊ぶ子供のように。


 彼女が滑り板の端まで下りてくると、稲田はしゃがんで目線の高さを合わせた。


「俺は稲田っていうもんだ」


「ええと……はい」


 彼女はまだ少し稲田を警戒しているようだ。


「変なことを訊く。アンタが痴漢に遭ったあと俺も電車を降りたら、街中から女が消えてしまったんだ。テレビやネットにも男しかいない。そんな風になっているよな?」


 質問には反応せず、呆けた顔で稲田の目を見ていた。


「どうした?」


「そうです、そうです、そうです、そうです!」


「うおっ」


 いきなり捲し立てられ、稲田はたじろいだ。


「駅に女子トイレがなかったから駅員さんに訊いたら、もの凄い顔で迫ってきて怖くて逃げちゃったんですけど、気付いたら男の人しかいなくなっててなんか様子がおかしいし、それでこの公園まで走ってきて」


「ちょっと! 落ち着けって!」


 支離滅裂な説明を慌てて遮る。

 が、彼女は止まらなかった。


「あなたにお願いがあるんです!」


 顔をグイっと近づける。


「お、おう……」


「これは、あなたにしか頼めないことなんです」


 真剣な眼差しで稲田を見据える。


「な、なんだ……?」


 彼女の意味深な表情に、稲田は思わず唾をゴクリと吞んだ。


「あの……」


「ああ……」


「おトイレ、貸して頂けませんか!?」


「……あっ、はい」




 公園のすぐ近くにある自宅まで彼女を連れて行き、トイレを貸してあげた。


「いや~、助かりましたぁ」


 彼女は用を済ませてスッキリし、朗らかに笑った。


「コンビニのトイレ借りようかなとも思ったんですけど、案の定男しかいなくて、また追いかけられたら怖いなって」


「まあそれもそうだな……」


「ホントにホントにありがとうございます」


 丁寧に頭を下げる。


「ああ。お役に立てて良かったよ」


「じゃあ、私はこれで……」


 そう言って、会釈をしながら玄関へ戻ろうとした。


「いやいやいやいや」


「えっ!?」


「どこに行くんだよ?」


「そりゃあ、帰るんですよ。うち隣の駅だし」


「帰るっつったって、隣町にも男しかいないと思うぞ」


 彼女は言葉を失い、目を見開いた。

 やがて諦めの苦笑いを浮かべ、頬を掻いた。


「ハハハ、ですよねー」


「いきなりこんなことになって、俺もわけが分からないんだ。よかったらアンタの話も聞かせてくれないか?」


栗生くりゅうです」


「えっ?」


「私の名前。栗生っていいます」


「ああ、分かった。栗生さん、狭い部屋で悪いが座ってくれ」


 稲田がグレーの座椅子を指差すと、栗生は上目遣いに彼の顔を見た。


「……いいですよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る